嫌な話だ・・・
笑い話で済むように願って、どれだけワクチンがいいのか知りたくて、期待は絶望に・・・
疫病が恐れられ、感染する恐怖に人がいた。
その国にも、疫病の恐怖は死者の数が多かったのもあり、洗脳に近いほどあり、命が助かるのだったらワクチンが欲しいと待望されていた。
そして数か月後、ある国で薬師が疫病に対抗できる、近代的な手法でmRNaというだれも接種したことがないワクチンが短時間で作成された。表向きはこの疫病に対抗できる、可能性があるかもしれないと国に特別に使用許可と販売権をもとめた。その見返りに薬師はこのワクチンを世界中に売ったお金を政治献金しますと約束し、王はもしかしたら政治的優位に立てると予想して特別に許可を許可した。
誰もが恐怖していた国では命をつなぐ可能性があるワクチンだ。大量に購入しよう、国民の切望にうごかされ、様々な国が不利な条件でもワクチン購入をきめた。そのひとつが国や薬師を責めないというのがその一つだ。
そして、なにも考えないまま、感染しないかもしれません、うつさないかもしれません、今までの状況に戻れますよ、家族を守りましょうと、感染者状況をメディアで発信し続け、マスク生活脱却できますよ~
病気の形が変化しようと
効果がどれだけないか証明されようと、
死者がどれだけ増えようと
おかしいと思っても
周りにどれだけ苦しむ人、亡くなる人がいても
メディアがどれだけ信用を失っても
それが一定の習慣に刻まれているなら、だれもがそれが正しいと思い込む。思い込みたい。
どれだけ反対の事象が出ようとも。
それは本能にある損失回避が働いていいるのだから、仕方ないのだろう。
ワクチンにどれだけ税金が使われようとも
CDCの施設を作り同じ今後同じワクチンを接種しなくてはならないのだから
その税金がなくなった補填分が消費税、またこれから障害が出る人が多いのだろうから、その補填分を補うため高額医療制度もなくなる可能性があったとしても
国民の責任として重みを負うべき
自己責任でワクチン接種で亡くなっているのだから保証しないと法律を作っても
しかしどれだけ、健康な人が残っていくのだろうか。
そのうち、一家に一台でAEDの改良版が普及しないことを願う