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日々の想い(日記?)  作者: otu
小説って、アニメ化される30ぐらいがちょうどいい?
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合理性と集団暴力の仮説

まえがき

この文章は、私が考えている「合理的(模倣)」という仮説をもとに書いています。


この仮説では、人間の脳は直前まで続いていた意識や判断を模倣しながら連続性を保つ性質を持ち、その積み重ねが個人だけでなく集団や社会、国家の意思決定にも影響を与えている可能性があると考えています。


ここで述べる内容は、歴史や現在の出来事を断定するものではなく、「もし合理的(模倣)という仕組みが存在するとしたら、どのように見えるのか」という視点からまとめた、一つの思考実験です。

ホロコーストを経験したユダヤ人は、「二度と同じ悲劇を繰り返してはならない」という強い歴史的記憶を持っています。しかし、もし人間や国家が「合理的(模倣)」によって行動する存在であるなら、その強い記憶さえも、別の形で悲劇として繰り返される可能性があります。


この考え方は、現在のイスラエルの人々が虐殺を望んでいるという意味ではありません。

むしろ、多くの人は自分や家族、国家を守るために、ガザへの侵攻やイランへの攻撃といった過酷な軍事行動すらも、その時々で「最も合理的」だと思える判断として積み重ねているだけなのかもしれません。


しかし、ここでさらに考えなければならないのは、その行動が本当に正しいのかどうかを、渦中にいる本人がその時点で完全に判断することは極めて難しいという点です。も


し人間が、直前までの判断や周囲の認識を「合理的」として模倣し合う存在であるならば、その人自身には、自分の行動がのちの歴史から見てどのような意味を持つのかをリアルタイムで理解することはできません。


後から振り返れば悲劇につながる行動であっても、当時の当事者一人ひとりの中では、あくまで「必要な判断」「正しい選択」として処理されてしまうからです。


このように、個々人の「正しい選択」が集団全体に共有され、前の判断を模倣し続けることで、結果として大規模な暴力や民間人への被害を容認する社会へと、自覚がないまま進んでしまいます。


もしそうであるなら、本当に恐ろしいのは特定の民族や国家、あるいは一部の明確な悪意ではありません。人は悪意によってのみ虐殺を行うのではなく、自分では正しいと信じながら、社会の「合理的(模倣)」という仕組みの渦に呑み込まれることで、結果として過去と似た悲劇を繰り返してしまうのです。


だからこそ、この強固な連鎖から抜け出す鍵は、システムの外側ではなく、個人の内側にしかありません。どれほど社会全体が一つの判断を受け入れ、模倣の渦が巨大化しても、個人の中には、言葉にできない疑問や「小さな違和感」が完全になくならずに残り続ける可能性があります。


その時点では、歴史的意味を明確に言語化できていなくても、その違和感こそが、既存の「合理的(模倣)」の流れから立ち止まり、離れるための最初の兆候となります。

その違和感を持つ人が増え、新たな共有された認識となったとき、のちの時代に新しい判断を生み出し、歴史の方向を変えるきっかけになるのかもしれません。



あとがき

このまとめは、「合理的(模倣)」が正しいと主張するために書いたものではありません。


しかし、もし人間や国家が「合理的(模倣)」によって過去の判断を繰り返す性質を持っているとするならば、歴史上の悲劇や現在の戦争――例えば、ホロコーストという壮絶な記憶を持つ人々が、防衛のためにガザ侵攻やイラン攻撃という判断を積み重ね、結果として民間人への大規模な暴力を容認する社会へと進んでしまうような状況――も、この視点から説明が可能になるように感じられます。


本当に恐ろしいのは、特定の民族や国家、あるいは一部の狂気的な悪意ではありません。自分や家族を守るための「必要な判断」「正しい選択」を一人ひとりが積み重ね、それを集団で模倣し、共有し、拡大していく社会の仕組みそのものが、結果として過去と似た悲劇を無自覚に生み出してしまう点にあります。


当時の当事者には、自分の行動がのちの歴史から見てどのような意味を持つのか、完全には理解できないのかもしれません。


だからこそ、社会が一度走り出せば、自らブレーキをかけることは容易ではないのです。

現在の判断の流れを変えるには、それに対抗する新たな「合理的(模倣)」が社会全体に広がる必要があります。

しかし、既存の巨大な流れに抗うものは、決して最初から大きな勢力として現れるわけではありません。それは、社会全体が受け入れている判断に対して、個人の中に生まれる、言葉にできない疑問や「小さな違和感」から始まります。その違和感こそが、既存の模倣の連鎖から離れる最初の兆候であり、同じ思いを持つ人が増え、新たな共有された認識となったとき、初めて歴史の大きな方向転換が起こるのかもしれません。


いや、もっと極論を言えば、この「合理的(模倣)」という仕組みそのものには、そもそも善も悪も存在しないのかもしれません。

ただ盲目的に、その時々の環境において「合理的」とされる判断を模倣し、自己増殖していくだけのシステムです。

もしそうだとするならば、個人や国家がそれぞれの「合理性」に従って破滅的な選択を模倣し続けた結果、人類が自ら絶滅へと向かってしまう未来すらも、この仕組みがもたらす冷徹な帰結として見えてきてしまいます。


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