合理性は人間を生かした戦略だったが、現代では人間を縛る可能性があるという仮説
仮説
人間の合理性とは、有限な時間の中で生き延びるために獲得した適応戦略である。
ここでいう合理性とは、過去の成功や経験を再利用することであり、その本質は模倣にある。模倣には他人だけではなく、自分自身の過去の成功や習慣も含まれる。
人間は毎回ゼロから考えることはできない。時間も認知能力も有限だからである。そのため、過去を利用することが最も合理的な戦略となった。
この合理性は、「明日も世界がある程度昨日と同じである」という前提の上で成立している。経験が未来にも役立つからこそ、知識や文化や技術は蓄積される。
しかし現代では、この前提が変化し始めている。
インターネットやAIによって、模倣できる対象は爆発的に増加した。一方で、人間の認知能力や時間はほとんど変わっていない。そのため、自分で試行錯誤するよりも、既に評価された情報や他者の判断を利用することが以前にも増して合理的になっている。
その結果、合理性はさらに合理性を強化する方向へ働く。
この極端な合理性は、個人の創造性や主体性を弱める可能性がある。また、個人にとって合理的な選択が、社会全体では人口減少や共同体の衰退など、長期的には社会を維持する条件そのものを損なう可能性もある。
つまり、人間を生かすために生まれた合理性が、環境の変化によって、人間を縛る方向へ作用し始めているのではないかという仮説である。
さらに重要なのは、合理性そのものが人間の思考様式になっている可能性である。
私たちは合理性を使って考えているだけではなく、合理性という枠組みの中で世界を見ている。そのため、合理性の限界そのものに気付きにくい。
もし合理性が特定の環境への適応であるならば、それは普遍的な真理ではなく、適用範囲を持つ戦略である。
現代は、その適用範囲を超え始めた時代なのかもしれない。
この仮説が正しければ、AI、人間不要論、人口減少、情報過多、主体性の喪失などは、それぞれ独立した問題ではなく、「合理性という適応戦略が現代環境で生み出すパラドックス」の異なる現れとして理解できる可能性がある。
ただし、この仮説だけでは人間のすべてを説明することはできない。
人間には合理性だけでは説明できない創造性、遊び、芸術、愛情、探究心などの側面も存在する。それらが合理性とどのような関係にあるのかは、今後さらに考える必要がある。




