第一章
喫茶室
その喫茶室は東京の都心にあった。
それもずいぶんと、都心の、中心部に近いところにあった。
あんまり中心部近くにあるものだから、私は、その喫茶室が実は、初めは東北あたりのさびれた地方都市なんかの、片隅らへんにあって、それが日々ずりずりと前進を続け、そしてようようここまで辿り着いたのかもしれない、という、そんな想像をすることがあったものだ。そして喫茶室は今も、中心に向けて、ずりずりと前進を続けているのだと。
喫茶室は広い交差点の角、七階建てのビルの一階から三階までを占めており、そのすぐ裏手には、大きな黒い川が流れていた。
ビルの四階から七階部分が何に使われていたのかは知らない。
いつもその部分の窓はすべて真っ黒で、そこで何かが活動している気配は感じられなかったので、おそらく、何に使われているわけでもなかったのだろう。要するに、そこは空き室になっていたわけだ。そして私はなんだか、その空白が、その喫茶室には必要なものに思えたのだった。そう、その空白が、下の三階分の喫茶室を、喫茶室たらしめているように、思えたのだった。だからもしそこに何かテナントなりが入っていて、窓に明かりが灯り、そこに机が並び、人々がそのなかを動き互いにやりとりをし、物を運んだりブラインドが上がったり下がったりして、ビルの脇には**商事などといった看板が掲げられていたとしたら、いったいあの喫茶室はどうなっていただろうか? そうなると、私にはあの喫茶室があの喫茶室のままでいられたとはどうにも思えないのだ。そう、つまりあの、上の四階分の空白があってこその、あの喫茶室だったのではないだろうか? そこが何かで埋まってしまえば、取るに足りないどこにでもある喫茶室になる。そう、あの空白が、あの喫茶室をあの喫茶室たらしめていたのだ。そういう意味で、あの上の四階分の空白もまた、あの喫茶室の一部と言えたのだろう。
私は高校を卒業後、数年職を転々とした後、都心にある、ある会社に就職した。もうかれこれ十三年になるだろうか。
私はその会社へと向かう道を行きながら、幅約十メートル程の車道の向こうの、あの、喫茶室を、毎朝いつも見ていた。
あたりはいつも、車と人でごった返していた。オフィス街のあのあたりでは、道をゆく人々は大概がスーツを着込んで、それぞれの職場を足早に目指していた。私もその大勢の中の一人として、その道をゆき、そしてあの喫茶室を、見つめ続けてきたのだった。
いつから私は魅入られるようになったのだろうか?
今となっては忘れてしまったが、とにかく、私はいつのころからか、あの喫茶室に、強く魅入られるようになっていたのだった。
私は人々でごった返すいつもの通りを歩いた。
朝のその時間は、いつも太陽の光が当たって、喫茶室のガラスの表面は白く輝いてた。私がゆく殺伐とした、憂鬱が支配する世界、そんな世界のなかで、あの喫茶室だけは、私の目にはっきりと生きたものとして映った。もっと言ってしまえば、あの朝の重い空気のなかで、生きているのは、あの喫茶室だけだったのだ。
そう、あの喫茶室は、確かに生きていた。
真夏の白い光を反射した、その透明な涼し気なガラスの内側には、確かに生きた世界があった。そして真冬の冷たい風のなかをゆく私の視線の先には、あの暖かそうなガラスの内側には、確かに生が蠢いていた。
私は思ったものだ。
あの内側にこそ本当の生があるのだと。私の知らない生が。いや、遥か昔に生きていた生が。なぜならあのガラス張りの内側を思う時、私の心はこんなにも懐かしさで満たされるのだから。
いつのことなのだろうか?
ちいさかった頃?
もしかすると、
未来のことなのかもしれない。
いや、それは生まれる前のこと?
あるいは、死んだあと?
そこにはすべてがある。
すべてが、すべての懐かしさが混然一体となってそこにある。
未来が、過去が、懐かしくそこにある。
そしてその向こうには、すべての懐かしさの源がある。
おおげさだろうか?
おおげさなのだろうか?
だけどしかし、ほんとうに、朝の通勤の路上で見ていたあの喫茶室の姿は、私の目にほんとうに、そのように映っていたではないか?
そして私はいつもある地点まで来ると、そこの横断歩道を渡り、喫茶室があるビルの、車道を挟んだ向こう側の歩道に移動した。
それからその歩道をゆき、**銀行**支店の前まで来ると、車道の向こうに目を移し、あの喫茶室を見やった。
そしてそう、私があの喫茶室に、そのような憧れ、ノスタルジーとも、あるいはもっとそれを超えた、過去も未来も現在もないまぜになったような、過去が未来でもあるような、未来が過去に流れ込んでいるような、そんな区別などどうでもいいような、未来も過去も懐かしく、そしてやがて、白く輝き、天高く屹立する、あの懐かしさの根源に触れるような、そのような、激しい憧憬を見ていたのは、職場へ向かう行きの道だけだったのだ。
そう、私は帰りには、あの喫茶室のある通りには向かわなかったのだ。
そう、私は帰りには、別のルートを通り、駅に向かった。そしてその時、私はあの喫茶室のことを、思い出すことはなかった。私は別のルートを通り、駅に向かい、そして家路についた。喫茶室のあるあのあたりには、まるで道など通っていないかのように、そしてそこら一帯には何か巨大な岩山かなんかでもあるかのように、私はそこを迂回し、駅に向かった。とくにそんな自分を、変だと思うことはなかった。
そしてそんな私は、もちろん帰りはいつも一人だった。同僚や上司にそこまで一緒に行こう、などと誘われても、いつもそれを断っていた。今思えば、それはあの喫茶室のある通りに、彼らが私を導くことを、怖れていたからなのかもしれない。私はそのことに触れられるのも、おそらく、無意識に避けていたのだ。
だって、彼らが向こうにあの喫茶室がある通りを指さし、「飯でも食ってかない?」などと私を誘ったりしたらどうなる?「あの信号の向こうのローソンの隣に、うまくて安いステーキ屋があるんだけど」みたいなことを言って、向こうを指さしたりしたら? そうすると否応なく、あの喫茶室のある通りは、私の意識のなかに入り込んでくるだろう。そこはもう道の通らぬ土の山や、灰色をした岩山ではなくなるのだ。
断ればいいというはなしではない。
断っていつもの迂回の道をゆけばいいというはなしではない。
もはや彼の言葉によって、その通りを指し示す指先によって、岩山には大きくトンネルが掘られ、その大きすぎるトンネルは内側から岩山の影を跡形もなく消し去り、その穴はなおもあたりの空間に広々と広がっていっただろう。
そしてそこには何遮るもののない一本の太い通りが現出しただろう。
そうなるともちろん、その通りのカーブの向こうに隠れている、あの喫茶室の姿も、否応なく私の頭のなかに浮かび上がってきただろう。
そうだ。
そんなことがあってはならなかったのだ。
そのあと私はそれを断り、私と彼は迂回の道を行ったかもしれない。
彼は言っただろう。
「なんでお前こんな遠回りの道わざわざ歩くんだよ?駅行くんだろ?あそこ通れば近いじゃん?どっか寄るとこでもあるの?」
私はその後彼と別れ、地下鉄の改札へと向かう階段を下りながら、自分の行ってきた不合理を思い知ることになっただろう。
そうだ。あそこには、岩山はなかったのだ。そしてあそこには……
要するに。そんなことがあってはならなかったのだ。
だから私は帰りはいつも一人で帰った。
そしてそこには岩山があり続けた。
時にそれは土の山だったり、単なる黒くて巨大な、丸い空白だったりした。
もし私があの迂回に向かう岐路で我に返り、世界がありのままの姿で私の前に提示され、そしてあの喫茶室を認識していたとしたら、どうなっていたのだろうか?
なにかが、壊れただろう。
ひょっとすると、あの**銀行**支店の正面玄関の前に立ち、左側を向くと、ガラス張りの向こうにあるのは、喫茶室などではなく、旅行代理店だったり、あるいは美容室だったりしたかもしれない。そしてビルもなんだか、妙に貧相な、縮んだものになっていたかもしれない。
いずれにしろ、壊れただろう。
しかし幸いというべきなのか。私は我に返ることはなかった。
岩山はあり続け、私は「不合理」のなかを歩き続けた。
そして翌朝になって満員の電車の中でつり革につかまり、目の前のガラス窓の向こうの黒いトンネルの壁を見つめている頃になると、私のなかにあの喫茶室のガラスの内側の光が、命を得て、輝きだし、まわりの灰色の世界のなかで、まさしくそれだけが生きていて、それだけが真実であるという実感が湧き上がりだすのだった。
そうなると今度は、まわりの事物が、潤いのない、干からびた、意味を奪われた、ただ形を成しているだけの、虚妄に思えてくるのだった。
その時私の頭には、なぜ昨日一日この光を思わなかったのかと、訝しむ思いがもちろん浮かぶ。
わざわざ遠回りして地下鉄の駅に向かう自分。
家に着いても、そのことは決して思わず、食べたり喋ったり笑ったりぼんやりしたりしている自分。
そんな自分が、なにか別の人間のように思えた。
いや、別の人間というよりも、確かに自分自身ではあるのだが、その姿は妙に色が薄く、向こう側が透けて見えるのだ。そう、それはまるで私の幽霊のようなのだ。
なんでもないことのようにこの喫茶室のない世界に生きる自分。
喫茶室のある通りの、向こうの通りを歩く自分。
幽霊。
私は朝毎に、その地下鉄の車内で目覚めて、そしてまた幽霊の世界に帰っていたことに気づく。
しかしでは、その時「私」はどこにいたのだろうか?
幽霊の「私」が時を過ごす間、もう一人の「私」はどこにいたのだろうか? その、電車の中で目覚めた「私」は?
いずれにしろ、朝のその時間のあたりでもう一人の、いや、真の「私」は目覚め、さっきまでの自分が幽霊であったことを知る。
私はこうしてずっと、何千回と、こうした循環を繰り返してきたわけだ。
朝の地下鉄の車内で思い返してみると、昨日の仕事帰りの夕方、あの喫茶室のある通りの北の方の路地を、缶コーヒーを飲みながら歩く自分の姿が、透明に見える。
あれは夢だ。
私の残骸だ。
意味を為さないものだ。
私は目覚めた自分を感じる。
あの喫茶室こそが世界だ。他は虚妄だ。
しかしまだそれに気づいただけだ。私は「それ」と遠く隔たっている。
電車の中で、私は「それ」に対する激しい「飢え」を感じる。
そしてあの、喫茶室を目にしたとき、私の「飢え」は満たされるだろう。
電車のなかは白い寒々しい光に照らされている。
立ったり座ったりしている人たちは私とは関係のない人たちに見える。
そして電車はトンネルのなかにあり、その狭いトンネルのなかで、私は、閉じ込められている、という強い閉塞を感じる。
そして私は電車がトンネルを出るのを待ちわびる。
やがて電車は白く輝く広々とした世界の元に出て、その白い光が車内を照らす。
そして私は否応なく気づくことになる。
気づくことになるのだ。
私が閉じ込められていたのは、あのトンネルなどではなく、
この世界そのものだということに。
私はこの世界のなかに閉じ込められている。
あの喫茶室への憧れが胸を焦がす。
そこだけが、この狭苦しい閉じた世界からの突破口であり、すべての限界を超えた、命そのものの、顕現なのだ。
そして私はこの三次元世界の閉塞のなか、朝の通勤の道を歩み、あの喫茶室を目にする。
それはすばらしい慰めだった。
一時でも私は、希望を持つことができたのだ。
そこには源泉があった。
そしてもちろん、源泉は広々とどこへでも通じていて、遮るものはなにもなく、完璧で、意味に満ちていて、とにかく、私はそれを見ていると、「それでよい」と思えたのだ。
それでよい。
私はそれに高い真っ白な塔の姿を見た。
あるいは、縦横に枝葉を広げ、どこまでも天高く屹立する、真っ白な、大樹の姿を。
そこにはたくさんの、赤や黄や、緑や、あるいは金色をした鮮やかな色の木の実がなり、その枝の上や幹のまわりには、小鳥や鹿や象やライオンや、鰐や人や、とにかくすべての命が憩う。
眩しくやわらかな、すべての憂いを溶かし、よいことも、わるいことも、すべて包み込んで、それでよい、と語りかけているような、そんな太陽の光が、見渡す限りの草原に、白く浮かんでいる。
大樹はその根をどこまでも深く密に張り巡らし、それにつれてその幹も太く天高く伸び、枝葉は真っ青な空の下、四方の空間にはてしなく膨らんでゆく。
日に照らされ、朝露を湛えた、瑞々しい若葉の上の、小鳥のちいさな、あたたかな命。
その白い幹に頭をもたせかけ目を閉じると、地中深くどこまでもどこまでも張り巡らされた、根の広がりを感じる。
そこではすべての命が網の目のようにつながっており、さらに深くには白く輝く源泉がある。その命の迸りは根を這いあがり、幹を這いあがり、枝を伝ったそのあたたかな流れは、若葉の新芽に結晶し、芽吹いたその、風にちらちらと揺れる若葉を、降り注ぐ日の光が、薄緑色に、明るく、生命の水を透かしながら、そのありのままの姿を、祝福している。
それでよい。
だってすべてはつながっているのだから。
つながり、その命は天高く舞い上がる。
それでよい。
いいことも、わるいことも、すべて包み込んで、
それで、よい。
ただ私はその白い幹に触れ、額をもたせかけ、根が地中深く伸びる様を、命が天高く舞い上がる様を感じ、やがて私も舞い上がり、枝を伝って若葉となり、すぐそばの枝に留まる小鳥となり、無限の世界に飛び立つ私を、すべてを、降り注ぐ日の光が、祝福している。
それでよい。
と。
なにかが根本的に〝だめだ〟と訴えかけてくるような、いつもの世界は、その朝のひととき、薄れる。
そしてあの喫茶室のガラスの向こうに、あの塔を、あの大樹を感じて、私は思う。
実は、〝それでいい〟、のかもしれない。
世界はなんだか〝根本的に間違っている〟といういつもの感慨は、その喫茶室の前を通り過ぎる数十秒の間、その影を限りなく薄くする。
私がその時見ていたものは、要するに命そのものだったのかもしれない。
命とは、すべての限界を超えるのだろうか?
すべてを肯定してしまうのだろうか?
そしてなにより、〝ひとつ〟なのだろうか?
私はそんな感慨を抱き、職場への道をゆく。
喫茶室を通り過ぎた後も、しばらく命の輝きは私の胸に残り、その時にはもう、まわりの世界は灰色ではない。目にも入らない。ただ限界のない世界を私は歩いている。何かをどうにかする必要のない世界を、私は歩いている。すべてが〝成った〟世界を私は歩いている。私は〝命〟のなかを歩いている。
そして職場のビルのガラス戸のドアハンドルに手を触れる頃になると、また世界が灰色を帯び始めていることに気づく。
命はいつのまにか、遥かどこか、知らないところに姿を隠してしまった。
そして見上げる薄い雲のかかった空は、天空を覆い尽くし、私を窒息させる、無限の厚みを持った、壁でしかない。
白い廊下を歩き、事務所のドアを開ける頃には、もはやあの喫茶室の面影は私のなかから姿を消している。
そして私はその日一日をなんとかこなして家路につく。
そこにはあの喫茶室はない。
あの通り一帯は、黒い空白が支配している
そしてその北の路地をゆく私の一歩一歩が、黒い革靴の尖った先端が目に入るが、そういえば私はどこに向かっていたんだっけか?
もちろんすぐに私は、それが私のアパートの部屋であることを思い出す。
私は思わずあたりをきょろきょろと見回す。
そして他に行くべきところを思い浮かべる。
実家の家。
友達の家。
仲間のいるあの店。
終いには電車に乗って飛行機に乗って世界の果ての南の島にまで行ってみる。
そこで私はもう考えるのをやめ、まっすぐ家を目指し、玄関の扉を開けて布団の上に身を投げ出し、ぼんやりと、お腹が減ったり、何か体を動かしたくなるのを待つ。