5
「俺のことまで話したらそれこそ脱線するから、今は置いとけ。次に吸血についてだが、頻度や摂取量はそれぞれ個人差がある。俺の場合は一週間に一度、大人の人間一人分の血液を摂取する。お前は今回どのくらいで体調が崩れだした?」
「俺は……最初に眩暈がおきたのは、あの日から約三日です。本格的に体調が悪化したのは五日目くらいから」
「おいおい今日でちょうど一週間だぞ……。本当よく理性保っていられたな、お前。となると、大体三日に一度、五百ミリリットルくらいか」
五百ミリリットル。人間の全血量は体重の約八パーセントだから、逆算して体重約五キログラムの人間一人分である。
更に人間は全血量の約三分の一を失うと生命の危険があると言われているから、更に計算して十五キログラム以下の人間……つまり幼児を襲うと相手を殺しかねない、ということだ。
勿論必要摂取量イコール摂取可能量というわけではないだろうから、なら大人なら襲っても大丈夫ということには全くならないのだが。
ここまでトオルと男が計算したかは分からないが、それでも人を殺しかねない量ではないと分かったのだろう。それ自体には素直に安堵した。
「えっと、五百って数字は、どこから来たんですか?」
「俺が今日持ってきた血液、容量が五百ミリリットルのペットボトルを二本持って来てたんだ。その内の一本で満足出来たんだから、つまり五百だろ?」
「そうだったん……ぁ」
男の言葉に頷きながら聞いていたトオルは、しかしその言葉に動きがピタリと止まった。次いで、かぁっとトオルの頬が赤く染まる。
思い出した。思い出してしまった。どうして忘れていたのか分からないけど、どうせなら忘れたままでいたかった!
トオルの頭に蘇るのは、先程の車内での出来事。苦しくて辛くてどうしようもなくて、ただそこにある何かに手を伸ばした、あの時。
あの時唇に触れたのは、暖かさのある少しかさついた柔らかいナニカだった。その後に弾力性のある物体がねじ込まれ、鉄の香りのする液体が流れ込んできた。
あれは何だったのか、なんて。考えるまでもないだろう。トオルだって健全な男子高校生だ。
羞恥から顔が真っ赤に染まったトオルは男が直視できず、申し訳程度に俯く。熱くすら感じる顔を少しでも冷まそうと、手の甲を頬に当ててみた。
「おっまえ……そういう反応すんなよ」
「す、すみません……なんていうか、もう恥ずかしさで溶けそうです……」
「ったく、成る前なら無視できたが、今のお前にやられると大分クるんだよ。早く落ち着け同胞」
「うう……。って、成る前とか、今の俺とかって、どういう意味ですか?」
男はトオルの反応を見るなり、若干目を見張るとやはりこちらも目を逸らした。いたたまれなさそうな表情で、けれどその瞳の奥には車内のような甘い熱が揺らめいている。
トオルは男の言い訳のようなその言葉にチラリと視線を上げると、男は腕を自分の目線の高さまで持ち上げてトオルが見えないように隠した。その行動の意味が分からず、トオルは小さく首を傾げる。
「あのな、吸血人間ってのは人間から血液を摂取しやすいように、人を惹き付けるための何かを発しているんだ。俺はそれをフェロモンのようなものだと思っている」
「フェロモン、ですか?」
「そう。だから元がお前みたいに平凡だとしても、周りからはカッコよく見えたり、可愛く見えたりするってことだ。お前も俺に対して似たようなこと思っただろ?」
そう言われて思い出すのは、ここに腰を落ち着けた時のこと。初めてこの男の顔を正面から認識したのは、その時だ。
確かにトオルは男に対して、顔のパーツが整った人だという印象を受けていた。
「そうやって相手の意識を惹き付け無意識に警戒を解かせ、吸血しやすくする。襲いやすくする。まぁお前との初対面時は、俺に対する警戒が先に出ていたから適応されなかったようだけどな」
男の言う言葉で言うならこのフェロモンは、不特定多数の相手に視覚的影響を与えている。そのことから考えても、においなり何かしらの物質が発生しているのだとは思うが、如何せん専門的知識もない彼らには『何かがある』としか分からないのだった。
だからこそ、『フェロモンのようなもの』。特別な何かを発している自覚も他覚も無いが、周囲の者が惹き寄せられている現実。
そもそも人体の構造を全く無視して身体を作り変えられているのだ。それすら説明できないのだから、『そういうもの』として受け入れる他無いのかもしれない。
「だからお前がそうやって照れたりすると俺には可愛く見えるし、俺が男らしくすればお前にはかっ
こよく見える。逆もまた然りだ」
「そこに対象者の嗜好や趣味は含まれない、ということですね?」
「ああ。だから気を付けろよ。俺はある程度コントロール出来るが、この現象は基本的に相手を選べない。さっき俺がお前に適応されたように、お前が俺に適応されたように、な」
.