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男はその様子に喉を鳴らして笑いながら、トオルの座っていたソファの真正面に座る。
正面と言っても机を挟んでいるため距離はあるし、トオルが座っているのは扉に一番近い場所だ。有事の際の逃げ道は、しっかりと確保しておく。
「あー、んー……何から話せばいいかな。説明するって言っておいて悪いけど、上手い説明方法なんて分からねぇわ」
「あなたが分からないなら、俺はもっと分からないですよ」
「だよなぁ」
しばらく男は腕を組んで悩んでいたが、整理がついたのだろう。自分の缶コーヒーを一口飲み込み机に置くと、トオルを真正面からじっと見つめた。
こうしてしっかりと男の顔を見るのは、初めてかもしれないなとトオルはふと気づいた。
初対面と今朝の対面した時はそれどころではなかったし、先程は近すぎて逆によく見えなかったから。
男の容姿はそれなりに整っていた。誰もが振り返るイケメンというわけではないけれど、一つ一つのパーツが綺麗に収まっている。顔立ちは男臭くなく、爽やかに見えなくもない。
特にその中でもトオルの目を惹いたのは、琥珀のような色の瞳だ。男の少し長い前髪で影になっているため一見焦げ茶にも黒にも見えるけど、よく見ると分かるオレンジのような茶色。
そこでふと、トオルは何かの違和感を覚えた。何かが、おかしい。何か。……何が?
「まず、俺は吸血鬼だ。そんでお前は吸血鬼の俺に血を吸われたから、半吸血人間になっちまった。だから俺の同胞ってわけだ。オーケー?」
「……はい?」
今までの疑問や考えごとが全て吹っ飛ぶような発言に、目が点になるという経験をトオルは初めて味わった。
思考回路が停止してしまったトオルを、一体誰が責められるだろうか。いや、誰も責められはしない。特に目の前のこの男にだけは責められたくないだろう。
「えっと、いろいろと言いたいことはありますがとりあえず、病院行きましょう?」
「人を精神不安定な妄言患者みたいに言うな。ったく、だから説明は苦手なんだ」
ガリガリと乱暴に頭を掻いた男は、足を組んで背もたれにだらっと体重を掛けてソファに深く沈んだ。
どうやら本人の申告通り、何かの説明をするという行為は苦手らしい。どう説明したものか、と悩んでいる様子が前面に押し出されている。
これはもしかしたらトオルから質問して男に答えてもらう、という形式の方が話は早いかもしれない。
気になるワードは既にいくつか出ていた。もし本当に精神異常者で吸血鬼というのが妄想なら、咄嗟の質問には答えられないだろう。必ずどこかに矛盾が生じてくる。……と、思われる。
そこまで考えて、しかしトオルはその案を実行に移すことはしなかった。男に自分から質問をするのが嫌だったとか、そういうのではない。自分のために一生懸命説明を考えてくれている男の行為を無為にしたくなかったのだ。
くっ。と、トオルは喉の奥で小さく苦笑する。自分を攫ってきたような男に何を気遣っているのだろう。バカじゃないのか、と。
「とりあえず、一通り説明してみるから。まずは否定せずに聞いてくれ。質問は都度で構わないから」
「分かりました。では、お願いします」
長い話になるのだろう。男はもう一度座り直して楽な体勢をとり、トオルも少しだけ全身の緊張を和らげて座り直す。
話は聞く。信じるかどうかはまた別だが、それも聞いていれば判断できるだろう。
今トオルがするべきことは退路の確保でも逃走手順の確認でもなく、男の話を聞いて信憑性を精査し、男自身に対する評価及びトオルに対しての危険性を考査することだ。
「俺は吸血鬼だ。話が進まないから、まずはそういう前提として聞いてくれ。そしてその俺に血を吸われたから、お前も半吸血人間となった。吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になるって話は聞いたことあんだろ?そんな感じだ。とりあえず、ここまでは分かるな?」
「経緯としてなら。半吸血人間というのは?」
「吸血鬼と一口に言っても、その中で種類はある。半吸血人間ってのはその内の一つで、吸血鬼に血を吸われた人間のことをそう呼んでいる。こいつは吸血行動も必要となるが、元々吸血鬼であったわけではないため、普通の食事や睡眠なども当然必要となる」
元々は人間の体。血液を受け入れる、要求するように変化したとしても、だからといってその他が必要なくなるというわけでは、当然ない。
今まで通り食欲睡眠欲やその他の生存欲求に吸血欲が増えただけのこと。と何でもないようにあっけらかんと男は言う。
「また、本能が吸血行動を行おうとした場合、お前らや俺らは瞳が金色になり歯が伸びて牙となる。目はよく分からんが、牙は確実に吸血行動をしやすくするためだろうな」
「お前ら、というのは半吸血人間のことですよね。俺ら、というのは? あえて分けたってことは、吸血鬼全般って意味ではないのですか?」
「ああ。さっき吸血鬼には種類があるって言ったろ? 正確には、俺も元人間だから吸血鬼じゃなく吸血人間だ。そして俺のような奴は異端性吸血人間という」
「異端性……?」
また新たに出た単語である。それも異端ときた。
異端ということは、当然吸血鬼とも半吸血人間とも違う。それらとはっきりとした、異なる一線を引く存在。吸血鬼という異常の中の異常者。
それが目の前の男だと言われて、けれど不思議とトオルには恐怖は覚えなかった。
むしろその逆で、今までわずかにでも残っていた警戒心が、男の正体をキチンと知れたからかだんだんと薄れていく。
それが同族意識だと、トオルの本能が男を自分の仲間だと認め始めた証とは、今はまだ気付かなかった。
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