完結
「人外は所詮人外だ。人間に戻ることも成ることもできはしない。ふふっ。そんなこと、トオル君自身が一番分かっていただろうにね」
どしゃりと、上半身と下半身に分かれたトオルの体が早紀の目の前に落ちる。少し遅れて、刺さっていた包丁が抜けてコンクリートの床を叩く高い音が響いた。
けれど早紀はもう、それを抱き上げる気力も勇気もない。
ガタガタと体が震える。その振動で、奥歯がカチカチと不愉快な音を立てた。
人外とは、トオルのことではない。トオルも人間離れしてしまっていたが、まだ「人」に近かった。「人」であろうとしていた。
けれど、この男は。ディザストロは。人間なんかではない。
力なんて入っているように見えなかった。ただ虫を払うかのような無造作な一閃で、肉も骨も関係なしに人体を裂ける人間が、果たしてどこに居るのか。
人外。化け物。怪物。呼び方なんて関係ない。そういう異形。そういう異端。そういう異常。
「トオル君は人である自分を、人外のトオル君を知る君に残したかったんだろうね。だから君の目の前で、まるで人間のように死んでみせた。ああ、本当に面白い」
半吸血人間となったとて、その体の本質は人間と変わらない。切れば血が出るし、心臓を貫けば死ぬ。元が人間なのだから当然だ。
けれどそんなこと、人外のトオルを一目見ただけの早紀には分からない。人でなくなってしまったトオルは、もしかしたら死を超越した化け物であると思われるかもしれない。
だからこそ、人と同じように死んでみせたのだろう。
「どうして……。そんなこと、しなくても。死、ぬ……なんて、どうして」
「どうして? おかしなこと言うね。だってトオル君を追い詰めたのは、トオル君を殺したのは他でもない。君じゃないか」
一瞬、早紀の頭の中は真っ白に染まった。
まるでブレーカーが落ちたかのように、ぶつんと真っ白に染まり、そして黒くなる。
大きく見開いた瞳に映るのは、何とも不思議そうに首を傾げる全身真っ黒な人外。
彼は今、何と言った?
「トオル君にとって君に拒絶されることは、人間全てに拒絶されるのと同じことだったんだよ。だって幼馴染なんだろう? 昔からの、家族のような相手に拒絶されるのなら、一体誰がトオル君を受け入れてくれるというんだい?」
それはきっと、とても大袈裟な物言いだ。早紀一人が拒絶したからといって人類すべてが拒絶するとは限らない。
それこそ本物の家族である両親や、学校も違う早紀より身近な友人達。拒絶するかもしれないが、受け入れてくれる可能性は十分ある。
それはきっと事実だろう。年齢を重ねるにつれ疎遠になっていった早紀よりも、トオルに近しい人間なんていくらでもいる。
はたして、そんな判断があの時のトオルにできただろうか?
「そん、な。そんな。トオル、ごめ、ごめんなさいっ。そんなつもり、こんな、こんなことになるなんて……」
「そんなつもりがなくても、こんなことになったのは君のせいだ」
「い、いや、いや……謝るから、何回だって謝るから! だからトオル、やだ、いやだよ、死なないで!」
「ふはっ! 言うに事欠いて、死なないで? 面白いこと言うね。真っ二つになったトオル君がまだ生きているとでも?」
「あ、あ、あ、いや、いやぁあああ!」
トオルの血を浴びた真っ赤な両手で頭を掻き毟り、俯いてトオルの死体を目に映す。
既に流れ切ったのか血は止まり、酸化した黒い血液に塗れたその遺体。こんな結果を作り出してしまったのが、自分、だなんて。
ボロボロと見開いた目から涙が零れ落ちる。そんな資格すら無いというのに。止まれ、止まれと念じても、一向に止まる気配すらなかった。
早紀がトオルを殺してしまった。実際にはトオルの自殺だが、そうなるように追い詰めたのは早紀だと、自覚してしまった。
確かに早紀はトオルに対して恐怖を抱いたが、トオルの死を望んだわけじゃない。驚いたし怖いと思ったが、それでも幼馴染という関係は変わらなかったのに。
それを自覚したとて、もう何もかもが遅すぎたのだけれど。
ふらりと、手が伸びる。無意識に掴んだのは、真っ赤に染まった包丁。
「……ねぇ、それでいいの?」
トオルと同じように、勢いよく胸に突き刺そうとしたその腕は、ディザストロによって止められた。胸に刺さる寸前。力も入っていないのに、添えられた手が全ての動きを封じる。
早紀はもはや、何も考えていなかった。ただ苦しくて。ただ辛くて。
この現実を作ったのが自分だということに耐えられず、無意識に逃げようとしていた。
しかしそんなツマラナイことを、目の前の鬼が許すはずもない。
「彼の気持ちを踏み躙り、彼を殺したくせに。彼を追い込んだくせに。それなのにまだ、トオル君のことを考えてあげられないんだ?」
「……トオルの、こと?」
「ねえ、どうしてトオル君は死んだと思う? 彼が願ったのは、本当に君の死だった? 死ぬ前に彼は、トオル君は、なんて言ってたかな?」
ぼんやりとした思考の中に、ディザストロの言葉がすっと入り込んでいく。思い出すのは、ほんの十数分前のこと。
トオルは「忘れないで」と言った。「普通の人間なら」と嘆いていた。
そして、「復讐することにした」と、言っていた。
「復讐?」
「そう。彼にとっての復讐。それは一体何だったんだろうね。君を追い詰めること? 君を殺すこと? 君を罪悪感で潰すこと? そんなこと?」
するりと、腕に添えられた手が早紀の頬を撫でる。乾き始めた血を優しく拭い、目尻に溜まった涙を掬い上げた。
涙が落ち、晴れた視界の中心でディザストロが嗤う。うっとりと、恍惚とした表情で。美しく、歪なその瞳で。
「よかったら、僕が教えてあげるよ。トオル君のこと。人外のこと。そして、彼の遺志も」
トオルはディザストロがこの室内に居ることに気付いていた。
一緒に来たわけではない。そもそも宏人の家で別れた時、あれで最後のつもりだった。
けれどきっとディザストロなら、自分の最期を観に来るとも確信していた。
だからこそ、トオルは言葉にせず。けれどディザストロに託したのだ。
きっと彼なら、その復讐を継いでくれると確信して。
愉悦を求め、けれど日常は退屈で仕方ないとぼやいていた彼ならば、こんな退屈凌ぎを見過ごすはずがないと確信して。
悪魔のような鬼が、早紀の前に手を差し出す。蜜色の瞳を輝かせ、ニヤリと持ち上げた口端から覗く牙が唾液に濡れていた。
ディザストロにとって、半吸血人間ごときに良いように使われるのは不快である。
けれどそれ以上に、この愉しい状態を作り出してくれたトオルに深く感心していた。
どちらに転んでも構わない。ディザストロにとってこの状況は、早紀がどちらを選んでも退屈凌ぎができる程度には面白い。
「さあ、どうする?」
ようこそ、人外の世界へ。
歓迎するよ。復讐者。
END
完結です。
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
「半吸血人間」はトオルが主人公の話なので、彼の死で完結です。エピローグはあくまで蛇足。
今後早紀がなにを選びどう行動するのか。それは是非みなさんのお好きなようにご想像ください。




