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「どうして隠れなくちゃいけない? そもそも隠したいのなら、見つけ次第駆逐し尽くせばいい。どうして管理して血を与え、時には増やす?」
「トオル? なんの話?」
「俺だって宏人さんだって、人間だったんだ。意思も感情もあって、それは人間じゃなくなっても変わらない。なのにどうして、押さえ付けられなくちゃいけないんだ!」
例えばそれが、トオルたち吸血人間を守るためだとするのなら納得できよう。
しかし政府は宏人の母親に吸血鬼の細胞を勝手に移植し、異端性吸血人間を作り、管理するシステムを構築した。
それはもしかしたら、人間にとっての更なる発展を試みたからかもしれない。
寿命の無い吸血鬼を研究すれば医療は勿論、そのほかにだって応用できるかもと企んだのかもしれない。
けれど、吸血人間は勿論、吸血鬼にだって感情はある。痛覚だってある。それは以前の研究で分かっていたはずだ。
どうして政府の都合で研究材料にされなければいけない? 吸血人間を守る代わりに? 異端性吸血人間を作り出したのはそっちだというのに!
それさえなければ、少なくとも宏人は普通の人間として生きられたし、トオルだって平凡なまま生きていけたのに!
大多数を守るために少数の犠牲はつきもの? 確かにそうかもしれない。時にはそれを決断する人間が居なくてはならないのも分かる。
これまでの常識を覆すような発明をするためには、常識に縛られない研究が必要になるだろう。それが吸血鬼という法で守られない存在なら、手を出したくなるのも理解はできる。
ただ、理解と納得は別物だ。上の人間には下の人間の気持ちが理解できないように、下の人間には上の人間の思考を納得できないのだから。
「だから、俺は復讐することにしたんだ。でも、俺に出来ることなんて高が知れている」
「復讐? トオル、本当に何の話……」
「早紀、巻き込んでごめん。でもどうか、俺のことを忘れないでね」
「…………え?」
ぐしゃり。布を引き裂く音と共に、肉を裂く湿った音が混ざって響く。
驚愕に歪んだ早紀の顔に、服に、赤い液体が飛び散る。じわじわと広がるその色と共に、早紀の表情も恐怖に変わっていった。
きっとこんなことをしても、何にもならないのだろう。人ひとりが死んだところで世界は変わらず、トオルの恨みが晴らされることもない。
目の前のその首に噛みつけば何かが変わるかもしれないが、そんな気は欠片も湧いてこなかった。
手に握った赤く濡れた包丁が、安っぽい光を反射して鈍く輝く。
「きっと、俺が普通の人間のままなら」
ぽたり。水滴が垂れる音が静かな空間に響く。
白かったシャツがだんだんと斑に赤く染まり、元の清潔感なんてどこにもない。
汚い。汚い。なんて汚い赤。
「こんなことには、ならなかったのにな」
ほとほとと、生暖かい液体が目の奥から溢れて流れる。
それを止める術を、俺は知らない。様々な液体に塗れたその顔はとても情けなく、醜く。ああ、汚らしい。
それでもせめて、最後の記憶は誰でも、笑顔が良いから。
醜くても汚くても情けなくても。笑った顔を覚えてほしいから。
それは、全てを諦めたような笑顔だった。
「ばいばい」
手の中に握りしめた包丁を、大きく振りかぶった。
「トオル!」
倒れ込む体を、咄嗟に出した両手で受け止める。ぐったりと力の抜けきった体は重く、自身に凭れ掛からせることでどうにか支えることができる程度だった。
どくどくと、包丁の突き刺さった胸からは血液が溢れ出ている。それに反比例するように、トオルの顔色は白くなっていった。
早紀は頭の中が真っ白になる。どうすれば良いのかが分からない。
よく分からないことを一頻り話したかと思えば、急に自分の胸を裂いて。そして左胸に包丁を突き刺したのだ。わけが分からなくて当然である。
けれどこのままではトオルが死んでしまうのだけは確実で、どうにかして助けなくてはと、混乱する頭で必死に考える。
血が出ているのだから止血しなくては。この包丁は抜いていいのか? たしか刺さっているものを抜くと血が溢れるのではなかったか?
心臓マッサージは? 人工呼吸は? 包丁が刺さったままでしていいのか?
いや、そもそも生き延びたとして。
「トオルがそれを望んでいるの?」
どうしてその思考に至ったのか分からない。けれど唐突に、その考えは早紀の脳裏を貫いていった。
トオルは復讐だといって自分の胸に包丁を刺した。それがどんな復讐になるのかは分からないが、トオルが命を賭して行った復讐だ。果たして生き残らせるのが、本当に正解なのか?
だんだんと冷たくなるトオルの肉体。どうすることも出来ないまま、早紀はその死を呆然と看取ることとなった。
ただ普通に生きたかっただけの半吸血人間は、たった一人に看取られて亡くなった。
その復讐を、彼に託して。
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本編は主人公の死で終了です。
次回エピローグ……のような蛇足をして、完結となります。




