半吸血人間
1章スタートです。
重い体を引きずるようにして、トオルは学校までの道を歩く。明らかに悪い顔色をそのままに、それはふらふらとした危なっかしい足取りだった。
あの衝撃的な出来事から数日。怖ろしいことに、あの日確かに見たはずの女性の遺体は未だ発見されていないらしい。近くをパトカーなどが通った様子もなく、ニュースに流れたのはあの女性の顔写真と「失踪」という文字だった。
そして、あの一瞬に感じた異変はあれからも続いていた。治まる気配は全くと言っていいほどにない。
さらにそれだけではなく、何故か最近は体調が優れなかった。眩暈立ち眩みは常のこと、吐き気や頭痛などもしょっちゅうだ。原因ははっきりしない。
それでも家に引きこもっていても解決しないだろうと学校を休みはしなかったのだが、それもそろそろ限界だろう。
トオルの視界はほとんどぼやけていて、黒板どころか向かい合う人間の顔すらまともに見えてはいなかった。
ずるずると体を引きずりながら、塀や壁を頼りに歩を進める。それでももう限界だ。明日どころか、今日学校に辿り着けるかも分からない。
こんな体調ではバスを使うのも逆効果だろう。不安定な揺れに吐き気を促され、余計に体調が悪化する。
こうなってまで頑張って通学する必要はないはずなんだけどなぁ。なんて、気分の悪さから少しだけ思考を逸らしてみた。
ずるずる。まだ家から十メートルも進んでいないのに、時間だけは過ぎていく。確実に遅刻だろうし、学校まで辿り着く気力がもう無い。もう無理だ。学校は諦めて、家に戻ろう。
一旦足を止めて一呼吸。踵を返したその瞬間、トオルの全身に緊張が走った。
「よう。死にかけの同胞者」
振り返ったトオルの、目と鼻の先。身長差から相手の胸元しか見えないが、忘れるはずもないこの声。
ドクリ。心臓が嫌な音を立てる。後退しようとした足が全く動かない。視線が上げられない。トオルの全身が、全神経が、この男を拒絶していた。
「助けてやろうか? なぁ」
逃げなくては。この人は、キケンだから。
理解しているのに、それすら上回る恐怖。背を向けることは勿論、向き合うことすら出来ない。
上げられない視線。その俯いた視界の中で、骨ばった男の指が、腕が、動く。恐怖に固まるトオルを嘲笑うかのように殊更ゆっくり動いたそれは、トオルの腰に回り、男が屈む。
一瞬だけ交差する視線。しかしそれもすぐに消え去り、次いで襲ったのは急激な浮遊感と腹への圧迫感だった。
「あー、男抱き上げる趣味なんかねぇってのによ。つかおもっ。痩せろ同胞者」
「おれを、……どうする、つもりですか……?」
逆さまに映る、男の背中。肩に担がれたトオルは息も絶え絶えに問いかける。
一見すると人攫いに遭っているような(否、実際攫われている)体勢だが、抵抗する力も体力も残っておらず。目の前の無防備な背中に爪を立てることすらできない。
持ち上げられた体はどこに向かうのかと問う前に下ろされた。ぼんやりと霞む視界で、それでも何とか目線を動かせば、そこが車のシートの上だと気付く。助手席の御丁寧に倒したシートの上に、寝転がるように下ろされていた。
「助けてやるって言ってんだろ。ちょっとだけ我慢してろよ」
「……へ、?」
かちりと音を立て、トオルの腰をシートベルトが固定する。
その次の瞬間、ブオンと音を立てて車が急発進した。
いくら寝転がっているとはいえ、現在貧血気味のトオル。車の決して優しいとは言えないその運転に、揺れに、襲い来る吐き気を我慢するので精一杯になる。
時間にして十数分ぐらいだろうか? トオルにとってはその数倍の時間が経過したような気がするが、とにかく。車は目的地に到着したようで、激しい揺れが収まり息を吐く。そしてエンジンを切る音がして、車内が静寂に包まれた。
すかさず手を伸ばして腹を圧迫するシートベルトを外す。なんとか吐き気を抑えようと深呼吸するトオルの呼吸音が、やけに大きく聞こえた。
「あー、ここなら大丈夫だな。おい、死にかけの同胞者」
「……さ、っきから、同胞者って……なんのことです、か?」
「それはあとで説明する。今聞いても理解できねえだろ、お前」
確かに。今聞いたとしても、車酔いと貧血で思考が錯乱している現在では、複雑な話だった場合に半分も理解できないだろう。
と、その時。思考が纏まらない中、トオルは急激な寒気を感じた。
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