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半吸血人間  作者: 華穂
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 体を揺さぶられる感覚に、気を失っていたトオルの意識が戻ってくる。

 心地いい眠りを妨げるそれを振り払おうと手を動かせば、その手を掴まれてまた揺らされた。

 しつこいそれに仕方なくトオルがゆっくりと重たい瞼を持ち上げれば、目に映ったのはよく見知った女の顔。

 一つ年上のトオルの幼馴染、平野早紀だった。


「あ、やっと起きた。こんなところでなに寝てるの?」


 肩下までの黒い髪を風にたなびかせた早紀は、トオルの体を揺らすため肩に置いていた手を離す。

 ぼんやりとその動きを何とはなしに目で追っていたトオルは、次の瞬間勢いよく上体を起き上がらせた。

 慌てて周囲を見渡すも、そこにある風景はいつもと何も変わらない。静かで閑散とした、少し寂れた公園。変わったものは何もなく、自分達以外には誰も居ない。

 誰も居ない? 何もない?

 そんなはずないだろう!


 記憶がフラッシュバックする。

 虚ろな女。転んだ時の尻の痛み。ちくりとした首筋。体中から、徐々に力の抜ける感覚。

 覚えている。全て、あの時感じた恐怖も死を覚悟した記憶も。忘れられたなら良かったのに、失われることなくその記憶は貼り付いている。

 それなのに、あの男も亡くなった女もどこにも居ない。痕跡すら見当たらない。

 トオルは無意識に自身の体を掻き抱いた。がたがたと震える体を抑えようとしてなのか、しかし体の震えは一向に収まらない。


 怖い。怖かった。あんな異常事態があったのに、何も無かったかのようなこの光景が。明らかに殺されかけたのに、何故か生きている、生かされている自分自身が。

 あの男の目を最初に見た時に浮かんだ感情は、本来であれば警戒や危機感だろう。あまり見たことのない色だったから、驚愕や怪訝でもいい。

 しかし、そんなものじゃない。そんなものを感じる暇もなかった。

 あの黄金色に輝く瞳を見て感じたのは一寸の乱れもない、純粋な恐怖心。


「ちょっと、ねぇ。大丈夫なの? 誰か……おばさんかおじさん呼んでこようか?」


 尋常ではないトオルの様子に、いよいよただ事ではないと感じた早紀は、トオルの両腕を掴んで震えを止めようとする。

 しかしトオルとしては、突然掴まれた腕は余計にあの男に掴まった時のことを思い出してしまって。そうではないと理性では理解しながらも、半ば反射的に腕を振り払った。

 勢いのついた指先が、しゃがんだ早紀の頬を傷つける。

 小さく漏れる痛みを訴える声と、鼻を擽るわずかな血の匂い。

 まるで冷水でも浴びせられたかのように一瞬にして冷静になったトオルは、さっと血の気の引いた顔色で早紀の頬を凝視した。


「あ……ご、ごめん早紀。どうしよ、あ、血が出てる! 手当てしないと」

「や、別にこれくらい平気だから! 本当にどうしたの? 何か悪い物でも食べた?」


 トオルが自身の異変に気付いたのは、すぐだった。早紀の声が聞こえていないかのように問いには答えず、震える手で口元を覆う。

 いくら反射的に手を振り回したといっても、男の丸まった短い爪で皮膚を血が出るまで裂けるわけがない。裂けたとしても皮膚のみで、そこから血が出ることはまずないだろう。

 それに、無意識だからこその勢いでそれが偶然ありえたとして。極少量の血の匂いを嗅ぎ取るのは、どう考えても普通ではなかった。

 錆びた鉄のような鈍い香り。まるで吸い寄せられるように、視線が鮮やかな赤に釘付けられる。


「……ぇ。ねぇ、トオルってば!」

「っわ! ご、ごめん。……本当に、ごめん!」

「あっ、ちょっと!」


 早紀の呼びかける声に一瞬遅れて反応すると、自分のその行動に驚愕した。

 本当に無意識に、目が赤色に向いていたのだ。わずかに浮いた腕が、何を求めて動いたのか、考えたくなかった。

 何かがおかしい。トオルが違和感をはっきりと認識したのは、この時だった。自分の五感が、体が、おかしい。

 自身の体の変化に堪らず、早紀を置いて走り出す。未知という恐怖が、先程の男へのモノとは違うその恐怖が、ゆったりと背後から迫ってくるようで。


 そう遠くない距離を全力で走り、焦る手で何度も失敗しながら自宅の鍵を開ける。大きな音を立てながら扉を叩きつけるように閉めて部屋へ駆け込んだ。

 早紀は最近付き合いが無かったため知らないが、トオルの両親は共働きでこの時間は誰も居ない。そのため咎められることもなく、衝動のままに部屋の扉も力強く閉めた。

 そうしてようやく足を止めて膝を着き、思い出したように暴れる心臓を抑えて荒い呼吸を繰り返す。

 酸欠の苦しさから目が見開いている。目玉が渇き、生理現象からか涙が溢れて止まらない。苦しい。苦しい。苦しい。

 喉の奥が焼けるように熱く、血の味が舌を撫でる。喉の熱から逃れようと首を掻き毟るも、熱からも味からも逃げることなどできなかった。


 しばらく。どのくらいの間そうしていたのだろうか。

 詳細な時間は把握できないまでも、しばらくと言って差し支えないほどの時間が過ぎた頃。ようやくトオルは落ち着くことができた。

 といっても、疲れて暴れることができなくなっただけなのだが。


「っはぁ、っはぁ、」


 静かな部屋に、荒い呼吸だけが木霊する。

 自身の許容を超える体験に初めての気絶。また自身の変化やその後の混乱など、一日で起きたとは思えない数々の出来事。

 心身ともに疲れ切っていたトオルは、そのまま睡眠の中に落ちていった。





短いですが、これにてプロローグ終了です。

以降は週1更新(予定)となります。

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