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「血液の味なんて知りたくなかった。人を襲いたくなかった。自分が子供を殺せるだなんて、知らないままでいたかった! 退屈な日常が何より大事だったなんて、気付かないまま甘受していたかった!」
それは傲慢な願い。一度起きた出来事は覆らないし、知ってしまったことは無かったことには出来ない。時間は一方通行で、未来を知る方法なんて誰にもない。
けれど。でも。と、思ってしまうのはいけないことなのだろうか。
あの時に戻って、あの道を通らなければ。もう少し時間を潰してから帰れば。もう少し早くに帰っていれば。たられば。
そうしたら、トオルは今もきっと何も知らないまま。いつも通りが幸福なのだと知らないまま、その幸福をいっそ傲慢なまでに一生受けられたのに。
「遠藤君。君は悪くない。君は運が悪かっただけだ。悪いのは宏人で、糾弾されるべきはアイツで、君じゃない。君は誰に隠れる必要もないんだよ」
ふと、トオルはその時違和感を覚えた。
いや、それだと少し語弊がある。トオルは違和感の正体に気付いたのだ。
少し前から何かが引っかかっていた、その違和感の正体に。
ディザストロはずっとトオルに優しかった。トオルの話を聞き、否定しない。トオルは悪くないと、君は被害者だと慰めてくれていた。
しかし、どこか……何かがずっとおかしかった。なぜ、どうして?
「どうして、ディザストロさんは俺の話を聞こうと思ったんですか? どうして、無関係のはずの貴方が、こんなに親身になって話を聞いてくれるんです?」
「え……」
「それに、あの、こんなこと言うのは失礼なんですけど、貴方の優しさはなんか……どこかずれている。なにより、どうして宏人さんの名前を知っているんですか?」
感情を爆発させたおかげか少し冷静になった脳内が、その違和感の正体を突きつける。思い出すのは、前回の出来事ではなく今日の会話。
ずっと違和感があった。その正体が、ようやく掴めた気がする。
ディザストロは初めから吸血人間の存在を知っていたとしても、トオルのことを理解し過ぎていた。トオルの感情を引き出すのが上手すぎた。
他人が他人の気持ちを察するのは容易ではない。ある程度の想像はできても、詳しくなんて分かるわけがない。
だって所詮は他人なのだから、完全に理解し合うなんてできっこないのだ。
だからこそ会話を重ねて想いを伝えあう。そのために口があり、耳がある。伝えきれない感情を、それでも知ってもらいたくて言葉を紡ぐ。
だがディザストロは、トオルの感情を彼が口にする前に理解していた。
そもそもおかしいじゃないか。どうして「修学旅行」「子供」「怪我をさせた」これだけの情報で、あの誘拐事件に辿り着く?
どうしてあの事件の小さな記事を持ち歩いていた?
あれではまるで、初めから全て分かった上でトオルに接触しようとしていたみたいではないか。
「……ふ」
「ふ?」
「ふふっ。あっはははは! いやぁ、お見事! よくわかったね! ふはっ! ああ面白い!」
突如お腹を抱えて笑い出したディザストロに、トオルはわずかに身を引いた。
とはいっても二人ともベンチに座っているので、気持ち程度の距離しか離れなかったが。
先程までの紳士的な優雅さは無くなり、心底愉しそうに笑い声を洩らす。黒髪の間から覗く蜜色の瞳が愉快げに三日月の形に歪み、トオルの背筋を凍らせる。
少し前に見た時は、そんな表情すら美しいと思ったのに。今トオルが感じているのは、純粋な恐怖と気味の悪さだ。
「ああそんなに引かないでよ。久しぶりの同族に僕だって喜んでいるんだ。君と仲良くなりたいと思ったのは本当だよ? 本当なんだよ? あははっ!」
ぐっと、無意識に立ち上がろうとした体が腕を掴まれることで阻止される。掴まれた腕に込められた力の強さに、眉間に皺が寄った。
やばい。トオルの脳裏で危険信号が点滅する。
このままこの男と居ては危ない。
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