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「……お兄ちゃん、だれ?」
そこに居たのは、小さな男の子。まだ小学校低学年くらいだろう子だ。
その子が、転んだのか血の滲む膝を立てて、座り込んでいた。
「……君は、ここでなにしてるの?」
「ぼく、友達とかくれんぼしてたんだけど、転んじゃったの」
「そうなんだ。おひざ、痛い?」
「男の子だからへいき! いたくないもん!」
「そっかぁ。君は強くて、とてもいいこだね」
トオルの言葉に、男の子は嬉しそうに少し頬を染めながら頷く。知らない人相手であるのに、大人相手じゃないからか男の子は驚くほど無警戒であった。
ちらりと、もう一度周囲を見渡す。大通りを歩いている人は居るが、こちらに気付いている人の気配も、視線も感じない。今のトオルが感じないのなら、誰も居ないのだろう。
ぺろりと、唇を舐める。慣れない八重歯が邪魔で上手く湿らせられなかった。
ああ、のどがかわいた。
「……おにいちゃん?」
さすがに不審に思ったのだろう。少し首を傾げながら、それでも逃げようともせずにこちらを覗き込む。
少しだけ俯いていたトオルと男の子の視線が重なり、その瞬間。男の子は動きを止めた。
表情からどんどん力が抜けて行き、とろんとした顔でトオルを見上げる。緩慢な動きで男の子は自身の襟元を開き、そっとその白い首筋を晒した。
首を傾ける。トオルの目には、本来視えるはずのない血管が、はっきりと見えた。とくんとくんと、脈打つ様子まで分かる。
トオルが屈んで手を伸ばすと、心得たように男の子は立ち上がってその姿勢のまま近付く。元々距離なんてほとんどなかったのだ。一歩、二歩でもう腕の中に。
はぁ。熱い吐息が男の子の首筋にかかる。ぶるりと一瞬だけ男の子が震えた。
そして……。
「ぃ、あ……?」
ぶつ。と、小さくも鈍い、何かが切れるような音がした。
そしてすぐに、じわりと滲み出て来る甘い甘い液体。少しだけ歯を引けば、その勢いはすぐに増して溢れてくる。
零すなんてもったいないことはしない。そのまま口で受けて、ごくっごくっと音を立てて飲み込む。
それは、なんとも形容し難い味だった。
初めて宏人から血を貰って飲んだ時にも、こんなにも美味しいものがあるのかと考えてしまったことはある。
けれどこれは、この味は、それすらも上回っていた。
確かに甘いのだが、それだけでなくどこか酸味があり、口の中が甘ったるくならない。
どろりというよりとろりとしていて、喉越しも良く飲みやすい。
なにより、口に入れた瞬間に広がる新鮮な匂い。つんと鼻を刺激する、芳しいかおり。
「あ、あ……ぅん……」
どのくらいの時間が経ったのだろう。だんだんと目の前に立っていた男の子の体勢が崩れてきて、がくりと倒れそうになる。
けれどその寸前でトオルは男の子を抱き留め、最後の一滴まで堪能してからようやく口を離した。
ぐち。音がして、八重歯が抜ける。どっと鈍い音がして、小さな体が汚い地面に転がった。首元の傷口からは血の一滴も流れて来ない。
十にも満たないだろう小さな男の子は、とても静かにその短い一生を閉じてしまった。
「……あ、あれ? なんで、え、なに、これ……」
靄が晴れていくような、水底から水面に上がったような、そんな感覚。
まるでたった今目が覚めたかのようにハッと目を見開いたトオルは、自分の手の平と倒れた男の子とを見比べる。その手が徐々に震えてきているのは、気のせいではなかった。
「たった今目が覚めたかのような」なんて、とんでもない。
トオルははっきりと覚えていた。当然だ。自分で取った行動なのだから。
この手が男の子を引き寄せ、この歯が首に噛みつき、この喉が男の子の血を奪い。
この、ここに居る自分が、一人の子供の命を奪ってしまったのだ。
「や、え、ちが! だって俺は、そんな、そんなつもり、なんで、なんで、ちがう! おれじゃな……!」
違うと否定しても、自分じゃないと拒絶しても。トオルには男の子を襲った記憶があるし、口の中には新鮮な血液を飲み干した味が残っている。
自分じゃないと思いたくとも、自分であると誰よりも理解していた。
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