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その日は宿泊施設が山の近くにあるためか、少し歩いた先にあるキャンプ場にてカレーを班ごとに作っていた。
調理は基本的に生徒が各自にやるものなので、米を飯盒で炊いたり野菜や肉を切ったりするのも自分たちでやらなくてはならない。
しかしカレーくらいなら、各自それまでの学校の宿泊行事等でやったことはあるだろう。やったことが無くとも、ルーを使えばカレーというのはなかなか失敗することはない。
飯盒で米を炊くのは多少失敗する可能性もあるが、基本的には食べれないほど不味い結果にはならないだろう。
そういう、楽観的な考えがあったのだろうか。
トオルの班の男子が他の班の男子と包丁を持ったままよそ見をしてしまい、自身の手をざっくりと切ってしまった。
問題だったのは、それがトオルの前で起きてしまったこと。危ないからと止めようと近付いたことが裏目に出てしまい、その様をまざまざと見せつけられてしまった。
包丁の刃が皮膚を引き裂き、薄紅色の傷口が一瞬トオルの視界に映る。
しかし次の瞬間には溢れ出した血液がその傷口を覆い隠してしまい、だらりと粘性のある液体が徐々に指先を伝っていく。
つやつやとした艶やかな赤色。それが、トオルの目に飛び込む。蛍光灯の安っぽい光を反射して、てらりと輪郭を光らせた。
「いってぇ!」
「何やってんだそこ! 刃物持ってふざけるなと注意しただろう! 小学生か!」
「やっべ。すんません!」
呆然と立ち尽くすトオルの前で、教師の一人がトオルたちの班に来て事態を収拾する。怪我をした生徒の手から素早く包丁を没収し、傷口を軽く洗い流していた。
それらを眺めているしか出来ないトオルの目の前で、事態は速やかに解決していく。
ただ立ち尽くすトオルを見咎める人はいない。少しの騒ぎは、すぐに収束して元の喧騒に戻って行った。
トオルの目の前には、もう何もない。シンクは元通りの鈍色を保っていて、先程流した赤色はもう排水溝の底に消えていた。
それなのに、トオルの目にはしっかりとその赤色が映っていた。
あの甘い匂いが、鼻に残っていた。
クラクラとする。視界がチラつく。周囲の喧騒が、どこか遠くに聞こえた。
「トール? どうした?」
ぽん。と、肩に手が触れる。
瞬間、トオルは全身の血液がぐるりと回る感覚に体が震え、そして……。
「え? ちょっ、トール!?」
ふっと、意識を飛ばした。抗いようも無く。……ではない。意識的にだ。
危ないと感じた。
なにが?
――分からない。
けれど確かにトオルはその時、確信的な危機感を感じていた。
自分の身がどうこうではなく、目の前の友人が、周囲のクラスメイトが、どうにかなってしまいそうな。トオル自身が、どうにかしてしまいそうな危機感。
それが本能的なものなのか、それとも勘違いによるものなのかは分からない。自身が人を襲ってしまうかも、という恐怖による妄想だったのかもしれない。
「ちょっと、誰か! トオルが、遠藤が倒れた!」
薄くなる意識の間際、聞こえたのは友人の焦ったような大声だった。
「……ここ、は」
トオルはゆっくりと目を覚ます。
そこは、黒くて狭い場所だった。前後左右上下、どこもかしこも黒くて暗い。
なのにそこがとても狭い空間だと、なぜか把握している。
手を伸ばしても歩いてみても壁には行きつかないのに、なんとも不可思議な場所だった。
「っいた」
ずきりと、当てもなく歩いていたトオルの足の裏が痛む。
反射的に足元を見てみると、そこには暗闇に浮かぶ、真ん中で綺麗に割れてしまったゴブレットが落ちていた。どうやらその破片を踏んでしまったらしい。
じわりと、足の裏が湿る感覚。黒い空間に、足元から赤が混じり始めていた。
そして……。
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