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半吸血人間  作者: 華穂
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はじまり


 その日は、なんでもない日だった。

 休日でも祝日でもなく、誰かの誕生日というわけでもない。ただのありふれた、平日の夕方。


「トオルー。また明日!」

「おー。また明日なー」


 授業を終えた少年。遠藤トオルは、部活動などに精を出すスポーツ少年でも文学少年でもない。特別頭が良くもなければ勉強が好きというわけでもない。

 特筆するところのない、凡庸なただの高校二年生の男子生徒だ。

 そのため、放課後にわざわざ校内に残る理由など特に無く。トオルはいつも通り部活へ向かう友人に挨拶をして学校を出る。


 だらだらと歩きながら、トオルは自身の家への帰り道を辿っていた。

 学校から家までは、片道約三十分といったところである。バスも通っているが、朝の寝坊してしまった日以外、ゆっくりと歩くこの時間がトオルは好きだった。

 今は丁度、家と学校の真ん中辺りにあるY字路。

 トオルの家に帰るなら、ここで左斜め前の道に向かわなくてはならない。

 トオルはいつも通り、左斜め前の道に足を向ける。人通りが無いのを良いことに、耳に突っ込んだイヤホンから流れる音楽に合わせて小さく鼻歌を歌った。


「ふーん、ふん、ふん。……ん?」


 まず違和感を覚えたのは、臭いだった。

 鼻を突く鈍い鉄の臭い。意識しなくては分からない、けど意識したらわかるほどの、錆びた鉄の臭い。血の、臭い?

 後から思えば、この時点で既に普通じゃない。通常じゃない。確実に、異変だった。異常だった。けれどそれは後から思えばで、今のトオルはそこまで考え付けなかった。

 耳からイヤホンを外して耳を澄ませるも、争う物音や救急車のサイレン、野次馬の騒めきなどは聞こえない。

 数秒、迷った。迷って、仕方ないとトオルは臭いの元である右斜め前の道へ歩を進める。


「……動物とか、もう搬送されたあとならまだ良いんだけど」


 もしくは血の臭いというのが間違いで、ただの廃材の臭いか。

 それなら自分の妄想から外れてくれる。誰だって、面倒事には関わりたくないだろう。

 それでも好奇心からか不安からか、早まる鼓動と速度に溜息を吐いて臭いの元である分かれ道からすぐの公園に着いた。

 辿り着いて、しまった。


「ーっ!」


 咄嗟に口元を手の平で覆い、漏れそうになる悲鳴と吐き気を耐える。

 視界が一ヶ所に限定され、それ以外が見えない。見たくない。トオルはその全神経でもって、〝それ〟を凝視した。

 そこに居たのは、二人の男女だった。なかなかの長身である茶髪で襟足の長い男と、黒いワンピースに身を包む化粧気は濃いが美人な女。

 それだけならまだ良い。いや、良いどころかどうでもいい。わざわざ特筆すべきことではない。

 問題は、別にあった。


「ん……っは。んくっ……」


 男は女の体を掻き抱き、その細い首筋に自身の顔を埋めていた。耳に届く何かを嚥下する音と、その合間に漏れる荒い呼吸音。それが、トオルの立っている場所にまで聞こえてくる。

 トオルに背を向けて立っているため、男が何をしているのかはわからない。後ろ姿からわかるのは男が女の背に手を回していることと、女の首に顔を埋めていることだけ。

 それだけであるなら、まだ良かったのだ。恋人同士の熱い抱擁。愛撫。こんな所でとも思うが、そういう風に、見えなくもなかったのに。

 トオルに背を向けている男の表情は、当然わからない。だが男が背を向けているということは女がこちらを向いているということで。

 その異様な表情が、トオルの目に飛び込んで来た。


「あ、ぅ……ぐぅっ」


 女はトオルのいる方に顔を向けている。しかし女の瞳は、トオルを映していなかった。

 男の腕に抱かれ、両腕を投げ出した女の目は虚ろで、何も見ていない。

 口の端からだらだらと唾液を垂れ流し、力の入ってない四肢。顔色は青を通り越して真っ白だ。

 すでに意識の無い。いや、もしかしたらもう亡くなっているのかもしれない。光の灯らない、深い闇の底のような瞳が酷く恐ろしかった。

 トオルはその明らかに異様な光景に、殺しきれない悲鳴を手の中に隠しながら無意識に後退る。

 その時、恐怖から足が竦んでいたのだろうか。足が縺れてしまったトオルは、派手に尻餅を着いてしまった。


「……んん?」


 ぴたりと、それまで響いていた喉の音と男の動きが止まった。

 しん。と、耳が痛いほどの沈黙が落ちる。

 静かすぎるこの公園では、ほんの少しの身じろぎですら響きそうでトオルは動けなかった。

 しかし今動かなくとも、もう遅い。掻き抱いた女の体を無造作に足元へ落とし、ゆっくりと、男が振り返る。


 その日はなんでもない日だった。

 休日でも祝日でもなく、誰かの誕生日というわけでもない。ただのありふれた、平日の夕方。

 そのはずだった。それだけの、はずだった。


「あーあ。見られちゃった」


 まず目についたのは、動物のように鋭い八重歯。そこから滴る、どろりと粘り気のある赤い液体。

 そして、ぎらりと光る黄金色の瞳だった。





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