5:不安定な心
カナとの散歩を終えて食堂で食事をした。仕事から戻ってきていたクローン達と適当な話をしたが朝のような失態を侵さず過ごせたので少しほっとしていた。お腹も心も満たされた状態で部屋に戻ってきた。
「おかえり。良い1日を過ごせた?」
スピーカーから声が聞こえた。僕はカメラの方を向き答えた。
「特に何てこと無い1日だったよ」
「そうか、まあ後はのんびり寝てくれ」
会話が終わったと判断して僕はベッドで横になった。
僕の部屋には監視カメラが付いていて他のクローンが順番に監視役を勤めている。他のクローンの部屋も同様なので特に気にしてはいない。クローンによっては隙を見て話しかけてくるやつもいるが全く声をかけてこないやつもいる。まあ複数の部屋を監視しているのでタイミングよく喋りかけることができたらと言った感じなんだろう。僕は監視役の当番になったことが無いのでわからないが、監視中は暇なのだと以前教えてもらった。
僕は棚から服を取り出して着替えた。走り終わってから一度シャワーを浴びているし今日はシャワーをサボってもいいか。まだ早い時間だし気になったら遅い時間にでも浴びに行こう。そんな事を考えながらベッドで横になると流石に疲れていたせいか眠ってしまった。
監視カメラの映像を映す画面が並ぶ部屋ではMーα10000の映像が大きく映し出されていた。沢山の画面が並び他の画面にはそれぞれのクローン達の部屋が代わる代わる映し出されている。
「返答も特に問題なさそうですね」
先ほど監視カメラ越しに質問していたクローンがシュンにそう伝えた。彼に対して頷きシュンは振り返る。
「安定剤の効果もあるかもしれませんが問題なさそうですね。必要以上の監視はこれ以上必要ないでしょう。しばらくは私とカナで他のクローン達よりも気を付けて見ていきますよ」
シュンの後ろにいたスーツ姿の二人組はひそひそと話し合った後
「彼が他のクローン達と違う環境にある事は理解している。しかし、他のクローン達も同じ様に暴れられたら困るのだ。今となっては彼らは我々の生活に欠かせない。故に我々に害をなす存在にするわけにはいかない」
「彼らの研究の第一人者である君達二人が責任を持つ以上問題ないとは信じているが、問題が大きくなる前に処理してしまう方がよいのではないか?」
「彼は絶対に処理しません!」
順番に発言したスーツ姿の二人に対してシュンは声を荒げて答えた。その声にビックリしたように目を見開いた。扉が開きカナ部屋に入ってきたが声が聞こえていなかったのか、不思議そうな顔をしていた。
「ま、まあ彼の事はあなた方に任せます。問題があるようなら報告をしてください。必要があればこちらでも対応を検討しますので。では今日のところはこの辺で失礼します」
焦ったようにそう言うと二人は一礼して出ていった。
どうしたのか聞いているカナに対してシュンは答えなかった。同席していたクローンが悲しそうな顔をして簡単に説明した。カナはシュンの肩を叩きながら
「私達で守れば大丈夫よ」
と明るく言った。しかしその表情は今にも泣き出しそうだった。
シュンとカナは改めてMーα10000を見捨てるような事は絶対にしないと決意しながら頷き合った。
どうしてこんな事になったのか、理由は明白だった。数日前にMーα10000は部屋で暴れていた。クローン達の部屋は基本的に机や椅子、食器なのど日用品が完備されている。彼は室内のものを手当たり次第に壊したのだ。部屋の扉が凹んでいたり窓ガラスも割れていた。クローンがこの様な暴力的な行動をとった事は初めてだった。戦闘時に敵国の兵士を傷つけたり狩猟のために生き物を殺すことが無いわけではない。しかし彼は自分の鬱憤を晴らすために物を壊すという行動をとった。人間たちが恐れるのは当然だ。普段便利な物として接している人間たちとって、物である彼らが自分たちを傷つけるかもしれないと言う発想になるのだ。
本来クローン達は一種の催眠術によってこの国の人間たちを傷つける事はしない。戦闘時はほら貝による合図を使用して明らかに敵意を持ち攻撃してきた人間にのみ攻撃をするように施されている。狩猟時も仕事としてほら貝を合図に対象となる動物以外を傷つけることはしない。
今回のMーα10000の行動は誰かを傷つけたわけではないので研究者の中には問題ないとする意見も多いが、普段行う事のない不可解な行動をとった事で監視がついていた。結論としてはストレスによる行動だろうとされたのでしばらくは経過観察になった。一先ずは問題ないと判断されたが先ほどの二人組の様に不安材料は即座に消すべきだと考える人間も居る。シュンとカナが彼を守る為に監視役に立候補し、クローン研究の第一人者である二人に対して異論を唱える者はいなかった。それがここ数日起きている彼の周りの出来事である。
「そう言えば今朝、彼は足があればって言っていたな」
クローンの一人が言った声は誰にも聞こえていないようだった。彼は同じ部屋の中で先ほどの騒動の中、静かに他の部屋の監視映像を見ていた。しかしやり取りはしっかりと聞こえていたし彼を守る為に行動してくれているシュンとカナに好感を持っている。僕の足がもしなかったら?そんな事を考えてはみたものの、想像は全く広がらず彼の気持ちを理解することは全くできなかったのだ。