4:僕の弟
僕は右腕の痛みに耐えていた。ただの注射なのだがこの痛みは嫌いだ。朝食時に他のクローン達と話していた際は検査が何てこと無い様に振舞っていたが、僕も注射は嫌いだ。
「はい、ここをしばらく押さえててね」
採血をしていたMーβ0005がそう言った。彼は手際よく後片付けをしてる。
「今日はこの採血で検査は終了よ。この後は何するの?」
「沢山走って疲れたから、部屋に戻ってのんびりしようかな」
声をかけてきたカナにそう返事をするとカナは嬉しそうな顔をした。
「私も暇になったの。よかったら一緒に散歩しない?」
今日は朝から暇だったくせにと苦笑いをしながら一緒に過ごすことを承諾した。
汗をかいていたのでシャワーを浴びて着替える。月に1回ほどカナさんは僕を散歩に誘う。特別な事をするわけではないが一緒に過ごしている。カナさんは冗談交じりにデートだねなんて言っているが他のクローン達とは一緒に過ごしたりしていない様子なのでなぜなのだろう。シュンさんに何故か聞いたところカナさんが初めて1人で培養したのが僕なのではないかと言われた。真相はわからないが親心で接しているのかもしれないと思うとなんだか不思議な気持ちだ。
僕達は先ず食堂で昼食にすることにした。ちょっと時間が遅くなってしまったので食堂は空いている。
「本当は昨日休みの日だったんだけど、雨が降ってたから町に出るのめんどくさくなっちゃったんだ。だから研究室で今日の分の仕事終わらせちゃったの」
「どおりで朝から暇そうにしてるわけだ。それなら昨日行けなかった町に今日行けば良かったんじゃないの?」
先ほどよりも砕けた口調でカナさんに話しかける。カナさんはいつも砕けた口調で良いと言ってくれるが、他の人間たちが不快にならない様に就業時間中はそれなりの礼儀を持って接している。僕達クローンに対等な砕けた接し方を求めてくるのはシュンさんとカナさんぐらいだ。普通の人達はクローンと人間に上下関係を築いて接している者の方が多い。理由はもちろん自分たち人間が圧倒的に上の立場を築きたいのだ。僕にとっては2人の対応に好意しか抱かないが、自分たちが作り出した存在を対等な扱いをするなんて2人とも変わっている。
のんびりとした昼食が終わった後僕たちは廊下を歩いていた。
「ちょっとだけ培養ポットの様子見てもいいかな?」
培養ポット施設のある部屋へ近づくとカナさんがそう言ったので僕は頷いた。僕達クローンは培養ポットで産まれてしばらく育った後にポッドから出て学校で教育を受ける。その後それぞれの仕事の基礎教育を受け、実際に人間たちのサポートをしつつ生活していくのが通常の人生である。なので培養ポットを見に行くと言う事は僕にとっては弟に会いに行くと言う事だ。ちょっとだけ楽しみだ。
培養ポットの中を眺める。僕と少しだけ似ている面影のある幼い顔が見える。よかったちゃんとあると無意識に足に目が行く。今まで生まれたクローンの中で僕だけが欠損してる足だけど、この先産まれる子が絶対に欠損していないとは言いきれない。初めて会うクローンを見かけるとつい足に目が行く。羨ましい気持ちと惨めな気持ちを抱えながら……
「よし!私の用事は終わったよ。もうちょっと見ていく?」
問いかけるカナさんに僕は横に首を振って答えた。
「お疲れ様です。Mーα10000もまた遊びに来てくださいね」
手を振りながら部屋を出ていこうとする僕達に声をかけてきたので2人で手を振り返した。彼は何番だったんだろうな。培養ポッドの管理当番だった彼の番号を見ていなかったので、首元か名札を確認すべきだったなと考えていた。
そしてふと気付いた僕は名札を付けていなかったのだ。
「カナさん、僕名札を忘れてしまったみたいです」
「あら、ほんとね。検査中は付けてたと思うから着替えたときに忘れてきたのね」
「取りに戻った方がいいですよね?」
「他のクローンと区別はつくから大丈夫でしょう。私も一緒に居るし。部屋に帰る前に更衣室にとりに行けば良いわ」
人間職員たちは名札にチップが入っているので入出時に必要になるが、僕達クローンは左手の甲にチップが埋まっているので必要ない。あくまで人間たちが番号を目視し易いようにしている飾りだ。僕の場合は足が目印なので問題ないだろう。
研究施設をでて庭園を歩いた。綺麗に整備された花や木があり休憩用の椅子では休憩している人がいる。庭園を抜けると教育施設があるが、子供達の楽しそうな声が聞こえてくるので今は休み時間なんだろう。建物の入り口で守衛に声をかけているとチャイムが鳴った。僕達は階段を上り静かな廊下を歩く。教室内では子供達が授業を受けているが、僕は学校での記憶がないので懐かしいという気持ちは全くなかった。
通常クローンは培養ポッドから出た時点からの記憶を持っている。でも僕は半年ほど前からしか記憶がないのだ。聞いた話によると僕は生活サポートの仕事で清掃作業をしている時に誤って感電したらしい。感電して気を失い、起きたときには記憶が欠落して居たんだと後から説明を受けた。記憶を失う前は足が無くてもできるサポート仕事をしていた様だがその頃の記憶も全くないし、記憶が戻る気配も今のところない。
人間たちはクローンの中の1人と認識するし、クローン達も自分たちの中の1人という認識なので記憶が無くなったことによる人間関係の不都合はなかった。職を失ったと言う事は不都合ではあるが仕方のないことだ。
幼い年齢の教室を廊下から覗いていると廊下に面している窓の近くに座る男の子がこちらに気付いた。満面の笑みで手を振っているので手を振り返した。男の子の体がビクッとなりどうやら先生に謝っているようだ。それはそうだろう授業中なのだから。
「彼には悪いことをしたわね」
とクスクス笑いながら言うカナさんに同意しながら僕も笑ってしまった。