水中にて
SIDE:鳴瀬姫歌
床に倒れたからだは、熱い。赤く、傷つき、腫れている。
刺すような冷たさと相反する痛み。熱は引くことがなかった。
がたがたと震え丸まった手足を掴んで無理矢理身体を暴かれ、引き攣った声が漏れる。
痛み。愛撫も何も知らない、喘ぎは悲鳴と同じだ。きっとそのうち覆い隠された両の目が圧迫されて酷い頭痛を引き起こす。痛くない箇所が無い。苦しくない瞬間が無い。
私はそれをよく知っていた。
それでもこうしている間 その熱は確かなものとして信じられる。
暴力的に満たされる感覚。
癒えるのはいつだって自分自身の力で、他者から与えられるものじゃ無い。与えられたものは傷になって、痕になって残る。次々と。消えぬ間に。
それが人魚にとって唯一の 境界を感覚するためのしるべなら、私は……
「酷く扱って」「痛くして」
言えば、その通りにしてくれる。それが好きってことなんだよ、と教え込む。意味づける、結び縛る、 私を大切にしたい彼の、安らぎしか求めない欠陥した情緒を、少しずつ 少しずつ壊してく。
彼の優しさは何よりも確かで。信じられない程信じられた。自死を望むことさえできない曖昧な認知を、私だけが共有する、ねえ。それは君を愛しているからだ。
君にも 私が わかる?
「もう、これ以上は」
「大丈夫だよ」
微笑んでみせると、絶望したような表情で目を見開く彼がうつった。愕然と。
心配してくれてるの?
嬉しいな。
でもだめだよ 優しく触れているのは力が無いからだなんてそんな言い訳は、嘘は……私はそんなものを求めていない。暴力に強さなど不要なことは解っているはず。
私の情動は彼を傷つけていた。私を大切にしたい彼、彼の想い、それを踏みにじることを、彼自身に受け入れさせる。私が彼を愛している証を。
命の味は甘い。癖になる。
安らぎに甘んじていたら知ることのできない苦痛なほどの甘い味。生命を知ってようやく死を感じることができるんだよ。モノと人を区別できるようになりなさい。情に手を伸ばして、ちゃんと欲しがれるように
愛してる。愛してる。愛してるの。
アタシがモノではないという証でしょう?
飲み込め、この毒を。あなたを浸す薬を打ち消す猛毒を
そろそろ酷い発作になってきて、荒かった息が聞こえない程詰まって、横たわった私の場所まで、響いてくる
ぐったり脱力しかけていた手足も痙攣する。かと思えば彼は突然腕を振りかぶって外されていたはずの肩を相手に打つけた。無事な方の指を男の眼球にねじ込み爪で抉る。その男からライターをかすめ取って枕に火を着け、それを隣の人間に押し当てた。絶叫が迸る。恐慌が私の足元にまで届いて波打つ。
一切の躊躇も無く
喰われる側だったはずの者がその牙を剥く。
相手のことを「同じ人間」だと思うヒトに、そういう行動は取れないだろう。彼は……ヒトじゃない。彼等と同じモノじゃ無い。私のことも、自分とも、誰とも、同じにしない。
溶け合って、混じり合う
異なるものとして。
人が動かなくなるのを待って、待って、誰一人動くものが無くなってからもしばらくそのまま眺めた後、私はそっと傍らに寄り、彼がいつでもそうしてくれる、同じように額を撫ぜた。
「大丈夫?」
「……大丈夫だよ」
微笑みかけられる。「大丈夫」……
欲しかった言葉。肯定されることの、至福を覚えた。わかるの、私も同じだったから、そう言うと思っていたよ。
「ありがとう」
私が言うと彼は頷き、そのまま顔を上げなかった。
その記憶は忘れられること無く彼の身体に刻まれて、愛する彼は愛するだけの存在では無くなった。
傷ついて、癒やして、それを続けていく。溶け合うことしか知らなかった彼は、輪郭線のある感覚で、上手く人に触れることができない。もし触れるなら相手を傷つけずにいられない。侵入してしまう、溶けようとしてしまう そうすることで自分も傷つく。
やっと傷付けるようになってえらいね。それでいいの。自分が望むばかりではだめなの。拒絶されることを覚えなさい。
一方的に愛していたい? そんなことは、許さない。
安らかな死より、苦しみの生を。
誰かに腕を取られて悲鳴を上げる、愛しい声を思い返す。優しく触れたいと望む彼の心が、引き裂かれる、音だ。
大丈夫だよ。
私は全部、受け止めてあげる。貴方がどんなに苦しんでも、痛みに狂っても、堕落しても、破壊されてぼろぼろになって跡形もないほど醜悪になっても、愛している。
私にあなたを、愛させて。
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