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インサニティ  作者: 鳴海 慶
さいかい
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そこで一緒にいる


 きっかけは兄の素行不良だった……僕が夜の街に出るようになったのは、深夜徘徊する兄を探しに行けと親に言われて外に出たのが初めだった。そして最初のその夜にはもう、……仲介者たちに声を掛けられた。家に帰りたくなかった僕は、言われるがまま紹介された相手とセックスし、小遣いを貰い、連絡先を交換。その後何度も水中の街で、何人もの相手に自分を売った。

 それからというもの、兄を探しに一家総出の夜は毎回、外泊を繰り返した。

 僕の非行が両親に知られたのは兄が人を殺して帰ってきたのと同じ夜だった。「あれはヒトじゃないっつってんだろ」とわけのわからないことを言いながら逆ギレしていた兄は、夜の街で僕を見かけた時のことまで父母に暴露してくれた。父は急激に血圧が上がって失神し、母は刃物を手に「殺してやる!」と兄や僕に向かってきた。

「殺してやる、人を殺したあんたは死ななきゃならない、私には親として責任がある、子供の命に責任がある、私があんたを殺してやる!」

 ……結果的に無理心中は失敗に終わった。僕が鳴瀬の家にしばらく居候してから家に帰った時には、兄の姿はどこにもなくて、父と母は落ち着いていた。

 僕は どうにか歪にでも訪れた平穏を、そのまま積み重ねようとした

 家では波風立たないように注意を払って

 たまに彼女やセフレの家に泊まってやり過ごした

 特定の友人は居なくて、誰とでも挨拶くらいはする仲で

 何かの拍子に家の中は荒れて

 一度帰らなければ帰り辛くなって

 家族って言ったって心はとっくに離れていたのかも

 宿借りのためだけにセックスする相手にだって 情なんか無いし

 ソツなくやってるはずの学校は、だからこそ自分を取り繕うのに必死だった

 何しても気持ちが伴わない、毎日が無味乾燥として

 それでも壊れるよりはマシで

 水底では生きていけないから、乾きをずっと耐えていた。

 気の休まる時が、無かった。

 …………そしたら。

 あの日僕を置いて水中へ還ったはずのお前が 突然また姿を現して、

 かと思ったら踏み込んでくる。

 僕を覚えていてくれた。

 僕から僕を庇ってくれた。

 なあ 

 助けに来てくれたんだって思っていいのか

 僕がそっちにいけなかったから、

 お前の方から来てくれたんだ、って

 そう思っていいのか

 信じても いいのか?


 お前が僕の居場所になってくれたら。






「成田? 起きてるの?」

「…… 」

 声を掛けられて、目が覚めた。外の光に、白い天井が見える。

 右手から粒子のような熱が霧散して、それは僕の前髪を分けた。

 そっと頭を撫でられる。

「鳴瀬……」

 病室に移動されたらしい僕の横になっているベッド、その周りを囲うカーテンは一部開けっ放しになっていて、左隣の空のベッドと同じ空間に切り取られ

 そのベッドとの間に置かれたパイプ椅子に鳴瀬が座っていた。

「同じ病室にしてもらったんだ」

 にこにこしながら隣のベッドに上着を投げ捨てる鳴瀬。どうやら空いているベッドの患者は彼らしい。

 鳴瀬の左腕にはギプス、なぜか首筋にもガーゼ。綺麗に手当されている、あれから何時間経ったのだろう。

 僕が、その怪我をさせてから、何時間……

「……ごめん……なさい」

「何が」

「怪我……」

「ああいいよ。間に合ったし。自分を刺すとは思わなかったけど。相手を刺すように思ってたから初動が遅れちゃった」

 さらりと笑いかけてくる鳴瀬の赤い双眸を直視できない。目線を逸らして時計を探す。あれからおおよそ十五時間が経過していた。

 やっと謝れた、と自分がほっとしてしまって、罪悪感が募る。

 謝って済むようなことじゃ無い

 怪我をさせて、巻込んで……

「……あのさ」

「ん?」

「なんか、驚いてなかったけど、僕の家の事情……知らなかったはずじゃ」

「んー。まぁ、知らないな」

「じゃあなんで僕が父さん刺すとか思ったの」

「だって、おとうさん、だから?」

「……え?」

「成田が暴力受けてることはわかってた」

「え、……なん」

「三年前のあの日から、わかってた」

「三年前……あ」

「身体を見た時、明らかに他者からつけられた傷だって思った。初めてセックスした時、暗いとこじゃわからないくらい綺麗に治ってたから、原因になる相手とはしばらく会っていないんだなってわかった。お前の手は綺麗だったから、喧嘩じゃなく一方的にやられたんだと思った」

「……」

「ウチに来て、掃除手伝ってくれる時に腕まくりしただろ。……酷くなってたから、原因はあの時より今の方が近い存在、……家にあるのかな、って考えた」

 相変わらず……会話が難しい奴だけど、あの時来てくれたのが偶然じゃないらしいことはよくわかった。傷のこと気付いてて、家のこと察してて

 それもう僕の事情知ってたようなもんじゃん。

「今まで誰にも気付かれなかったのになあー」

 溜息とともにそう吐き出して、苦笑してみせる。

 いや、それは多分正確じゃ無いんだけど。僕はさすがにそこまで隠し通せる程器用じゃ無い。なんとなく気付かれたことだってあっただろう。でも

 気付いた上で、踏み込んできた人が、居なかった、だけだ。

 それを僕自身、認めたくなかっただけだ。

 誰からも好かれてなくて

 居場所なんかなくて

 どんなに傷ついても、助けてなんてもらえない。自分で受け止めるしか、

 ……ダメだ、案外まだ僕は冷静じゃないらしい。本来迎えることなんて無かったはずの今、こうして生きてることに自嘲の笑みが止まらない。昨日の断片的な意識では助けてくれた鳴瀬にまで憤りに似た感情を持っていた気がする。最低だなとまた何度も自己嫌悪の渦に嵌る。そして、不意に呟かれた鳴瀬の一言に、

 呼吸が止まった。

「もう、本当に嫌だよ」

「え……」

 ――——— も、う 嫌?

「本当に嫌だ

どんなにぼくが好きでいても、お前が全部否定するのが

本当に、嫌だ」

 え、

 す、好き?

「鳴瀬、……それは」

 思考がリフレインして頭の中を掻き回す。 僕は好かれるような奴じゃ無い、どこにも居られない、誰からも必要とされてない。

 はっとした。

 どんなに鳴瀬が好きと言っても……

 僕が、自分で 否定、する?

「なんで自傷行為なんかするの」

「なんでって……」

「なんで? そのうえ死にたくもないのに自殺しようとするのはなんで?」

 死にたくも……ない……?

「そ……な……」

「お前にとって死は希望じゃなくて絶望みたいにみえる」

「……」

 助けを求められなくて

 家でも

 学校でも

 誰に対しても全部、自分を使い分けた

 自分と、自分を支えようとする自分が、バラバラになってしまいそうだった

 受け止めきれない傷を全部、もう片方の自分に放り投げてしまいそうで

 傷を付けて、それがこの身体にあることで、ようやく同一性を確認してきて

 それは必要な行為だったんだ。

 心の傷を、はっきり見える状態にして

 身体に繋ぎ止めること

 ……どの僕も自分だ、って 認めること。

「っ……! いやだ、考えたくないっ……」

 目から涙が溢れ出ていた。

 ベッドの上で膝を抱えて、掛け布団に顔を押し付ける。泣いてばかりいる、昨日から。


 ……ひとりは、嫌だ。


 そんなことは認めたく無かった、あえて考えないまま、それでも僕は僕として生きようとしていて、だけど僕はこんな僕が嫌で嫌でたまらないんだ。自己矛盾でぐちゃぐちゃになりそう

 無呼吸で声も出さずに泣く僕の、狭い殻の外側から

「ぼくが居るのに」

 と、鳴瀬が言った。

「ぼくが居るよ」

 背中を撫でる大きな手。添えられただけの重みは、そこから殻が溶け出すような熱を伝える。

 ゆっくりと、上へ、下へ、肩を抱かれた。抱きしめられる。力をこめるでも無い、細い指はまるで僕の一部になったみたいに身体を支えた。

 膝を抱えていた腕が、シーツの上に落ちる。呼吸が落ち着いて、涙が引いていく。

「なにそれ……お前だっていなくなったくせに……」

「自分で死のうとされるくらいならぼくと居て。成田は一人じゃ無いよ。一緒にいよう」

「……一緒にって」

「逃げてきていいんだよ。……その場所を、ぼくが作るから」

「なん、」

「明日からウチで暮らすの」

「……え?」

 酸欠で頭がくらくらする。これはそのせいでボンヤリした聴覚の乱れなのかどうか。

 明日から……え?

 何?

「それって同居ってこと……? あの、鳴瀬ん家で?」

「そうだよ」

 思わずがばりと顔を上げて鳴瀬の顔と直撃する。唇と唇が触れ合ったけど、そんなことよりもその奥にある歯がぶつかった衝撃で口の中に傷みが走った。

 おお……夢じゃないな……

「痛ぇ……」

「成田のお父さんにはもう話した。お前あの家に居る限り自傷やめれないだろ。間借り代はいりませんって言ったけど生活費はお前の分負担してくれるって」

「マジか……行動早い……」

「うれしいから?成田は?」

「……うれしいよ」

 安心したように笑う鳴瀬。そんな、こんな風に誰かが僕の為にしてくれることで、嬉しそうに笑うのが、

 知らない感覚を生み出して、

 それが僕の中で暴れていて 

 大きく畝って、渦巻いていたドロドロの濁りを追い出してしまう。 

 身体が 震え出しそうだった。

 僕のことを、……想ってくれていた。


 どんな顔したらいいのかわからずにいたけれど「お前もそういう顔できるんだ」なんて言われ、自分が微笑んでしまってるのを自覚する羽目になった。あんまりにも恥ずかしかったから、

「それはこっちのセリフだ」なんて言い返して鳴瀬と二人して笑った。



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