家族
「あの子の家庭、大丈夫かな」
先輩保育士がいうのは今日も最後までお迎え待ちで残っている、エミコちゃんのお家のことだろう。
「毎日お迎え遅いですよね」
「それもそうなんだけど、こないだお父さんが見慣れない人連れてきたじゃない?」
見慣れない人。
「いうか……人間として見慣れないと言うか……ですね」
「それ。人間ぽくないよね。幽霊か無機物か。雰囲気がなんかなぁ」
エミコちゃんのお父さんはここ最近ちらほらとその人を連れてきていた。その人はお父さんと一緒には入って来ずに、いつも遠目に見える園の柵のところからこっちを覗いて会釈してくる。そこからではほっそりしたシルエットくらいしかわからない。けど、逆に言えば、そのほっそりしたシルエットだけでさえ「雰囲気がなぁ」と思ってしまうただならなさが、その人から醸し出されていた。
保育士の勘だ。
「異様に肌が白くて痩せてるような気がするんだよね。健康的な人だったらあのシルエットにはならないでしょうよ、それにほら、服装がいつも借り物っぽくない?エミコちゃんのお父さんが着てたことある服ばかり着てると思う」
私が保育士の勘とか適当な言葉でしか表せない違和感を、先輩は言語化していたようだった。さすがです。
あの人がエミコちゃんやお父さんとどういう関係なのかはわからない。一度柵の方を目くばませして、お父さんに「お待たせしているのは奥様ですか?」と聞いたら「そんなようなもんです」なんて曖昧な返事が来た。そんなようなもんてなんだ。
エミコちゃんのお父さんの服を着て、あのシルエットなら、身長はエミコちゃんのお父さんと同じかそれより高い。
奥さんであるはずがない、と思う。あの人が1人でエミコちゃんを迎えにきても、我々は怪しんでエミコちゃんを引き渡さなかっただろう。
はっきりとは言われていないけども、最近よく連れてきているのは今後はその人がエミコちゃんのお迎えに来られるように練習と、私たちへの顔見せを兼ねている気がする。
先輩が言うような見た目なら、普段から外を出歩いている人とは思えない。
「すぐには外に出さないからな」
僕が言うと鳴瀬はきょとんと目を丸くして首を傾げた。なんで?という顔である。
「ちょっとずつ出るってこと?」
「いや。まず部屋の中で半年くらいは過ごしてもらいたい」
「……青佑が一緒でもだめなの」
「お前、湖のほとりから出た時もしばらく<保護>されたろ。13歳の頃の話な。理由覚えてる?」
「心的外傷とか言われたかな……あとは、目立つから?」
「そっち」
今のまま外に出たら一目で<人魚>だとわかる。
「でもぼく 髪も黒いし……体つきも……骨太な方で 人魚らしくはない方なんだよね?」
「確かにお前はそうだけどな」
鳴瀬は直系血族の人魚たちのように頭髪まで真っ白なわけではない。骨から細く折れそうな体格でもない。全く知識のない者になら、見られても即人魚と断定されないかもしれない。
とはいえ。
「それでも蒼白すぎるんだよ。ずっと陽の光に当たってないから」
この数年室内の暗室で寝て過ごした鳴瀬の肌は真っ白で、痩せた体もより一層骨が目立つようになっている。然り、人魚の特徴が浮き彫りになっていた。
彼らの何よりの特徴は、不健康さゆえのものだったらしい。それは痛ましいことではあるが、納得のいく話でもあった。人魚の存在感とその体質とは切り離せない。
あとはまぁ、人魚バレ自体は、昔ほどまずいこともなくなってきた昨今ではあるといえ、こいつの場合は指名手配されているわけで。バレたら匿ってる僕もヤバい。ぱっと見で目立つというのは危険極まりなかった。
「だからまずは室内で日向ぼっこや家事をするとこからな」
「わかった」
素直に頷く鳴瀬。自然と頭に手が伸びて、撫でる。この数年で慣れてしまったスキンシップ。
病に狂う間にも、こいつは一度も僕や娘に当たらなかった。自傷や脱走はしたし、物はよく壊したし、弱々しく僕の首に手を掛けることくらいはあった、束の間の小康状態があれば近場の人気のない場所で歌い続けたりもしたけど。
そんなのは負担でも迷惑でもないだろう。
病の恐ろしさを彼は訴えない。死を恐れない人魚の心は 僕らの理解を求めなかった。そのことが彼を一人で苦しませ、どんなに側にいても分かち合おうとはしない。
苦しんでいる間には、ヒトとヒトよりも共存がやさしい。
……どんなふうにでもいい、彼が生きていてくれるなら。夜の中で守り続けても構わなかった。僕は鳴瀬が悶え苦しむ部屋の隣で、趣味のゲームや造詣に精を出すくらいの図太い神経ではあるし。
でも薬が完成して穏やかに過ごせる時間が増えてきた今、欲が出るのが人のサガだろう。少しでもよい方向へ、その「よい」方向は僕の尺度で決めるわけだが。
健康でいようと思うのは、そのための行動に舵をきるのは それこそが生きる方へ向かうってことでもあると思う。
そんなわけで何度でも、僕は夜の境界をぶち壊して彼を日の光へ引き摺り出す。
「あ、来たかな」
すっかり暗くなった園の庭の向こうから、見慣れたシルエットが近づいてきた。エミコちゃんのお父さんだ。
私はエミコちゃんにお父さんが来たのを伝えに行こうとして、けど、するりと目端に入り込んだ別の影に、もう一度視線を戻した。
そこで視線が固まってしまった。
亡霊?
そんな言葉が無意識に思い浮かんだ。
だって フードの影から覗くその人の顔は、人間にしては、蒼白すぎる……
ハッ、と息をのんで我に帰り、それが「あの人」だと気づいた。今日は庭まで、入ってきたんだ。
私が固まっている間にもその人はこっちへ近づいてくる。そして、
何も反応できずにいた私の傍から 小さな女の子が駆け出していった。
「あっ……エミコちゃん!」
咄嗟に手を伸ばしたその腕もすり抜けて、亡霊に走り寄ったエミコちゃんは勢いのまま抱きついた。
「ぱぱ」
……
あ。
「媛深湖 おかえり」
反動でフードが落ちて
優しく抱き留めたその人の表情が
ふわ、と ずっと逢えなかった愛しい人との再会を噛み締めるようにほころんだのが見えた。
「どうも、お世話様です」
と、エミコちゃんのお父さんが目の前まで来て会釈していく。二人に釘付けになっていた私の視界が遮られ、そのまま背を向けて抱き合う二人に歩み寄るお父さんを目で追った。
立ち上がってふらつく<あの人>を、エミコちゃんのお父さんが支える
しっかり腰を支えるような遠慮のない仕草
ふと<あの人>が振り返り、お父さんの肩越しに礼儀正しく会釈してくれて
エミコちゃんをお父さんが抱き上げて、もう片方の手で<あの人>の手を繋いで、三人は帰って行った。
……藍の黒髪に、赤いひとみ。
彼の相貌はエミコちゃんによく似ていた。ちょうどお父さんの青い瞳が、そこに収まっていたらまるっきり……
「……まさか本当に奥様、……いやまさかね」
あの人は男性だ、どっからどう見ても。
それでももしかしたら同性同士で子供を生み出す科学の子ではないかしらとうっかり妄想できるくらいに、
ちゃんと、あの三人は、家族だった。




