人魚の秘薬 4
高揚からか不安からか、昨夜寝付きの悪かった僕はインターホンの音で起きられずに窓を連打されるただならぬ騒音で飛び起きた。
「成田くーん起きてください!」
「っ!?!? 一舎さん!? ここ二階なんだけど!?」
「パルクールの要領で上りました」
「えっすご……」
心臓に悪い。
窓を開けて入ってもらう。まだ朝日が顔を出していない早朝、凍り付きそうな冷気が一舎さんと一緒に外から流れ込んでくる。
「学校の始業時刻までに済ませましょう。日中に調査といっても私たちには朝と夕方しかありませんからね」
おお、ま、真面目だ。鳴瀬だったらサボってるだろうな。僕も一応は優等生で通ってる真面目生徒なので、学校休んで犯人探しと言われたら説得しようと思ってたけど、夕方じゃなく早朝から向かう気で来るとは予想外だった。
「具体的に何をするかとか、僕何も思いつかなかったよ? 一舎さんには考えがあるの」
「重要な情報を足使って探すんですよ。いざ、死の国人魚の城、水槽へ」
「な……っ」
何……え!?
水槽に、え、行く? 都市伝説になった人魚達の……
「そ、そんなとこ行けるの? もう跡形も無く崩壊したって」
「場所がなくなったわけじゃありません。中枢だった神塔家と寂士院家、その周辺は行政管理が行き届かずゴーストタウン化しているはずです。廃墟ですよ。行きましょう」
「ちょっ、まっ待って」
大急ぎで着替えながら朝食を摂る。一舎さんの後について家を出て、道を歩くときも半歩下がってついて行く形になった。
歩きながら考える。
場所がなくなったわけじゃない。その通りだ。崩壊って言葉から、まるで都市伝説の別世界がまるごと跡形も無く消えてしまったみたいな印象を持っていたけど、現実的には土地も人間も綺麗に消えたりしない。
僕は多分末端のお店くらいにしか出入りしていなくて、そういったお店は表の法に切り替わった後もどうにか移行して運営続行していて、同じ場所が夜から昼へ全て塗り変わったような錯覚をしていた。だけどそうじゃないところもあっただろう。表向き存在しなかった夜の街と共に、透明化してしまった場所がある。
暗い水は黒いけど光を当てたら透明だ。そこにあるのに、多分水はそのままじゃ見えない。
「私は服用者に流布している薬からではなく原泉から……逆に犯人を辿ろうと思っています」
一舎さんが話し出す。僕が黙っているから、気を遣ってくれてるのかもしれない。協力関係、というのは建前じゃないのかな。
「なので水槽で管理されていた住人や薬品の情報を入手したいと思いまして」
「それは……夏目さんとかに調べてもらうことはできないの」
「できません。知るためには内部に入り込む必要があります」
風景はどんどん、緑が多くなっていく。駅の終着を通り過ぎて、高架下に抜けると一気に道が狭くなった。舗装された道路を外れ、大きな木が鳥居のように枝を組んで立ち並ぶ通路を、ずっと潜っていく。
「裏社会は監視社会でもありました。神塔、寂士院両家の徹底した統治、だからこそ個々にまで対応できたのですが……子供が見捨てられないよう、独り者が狙われないよう、集団が巨悪となり犯罪を計画しないよう、住人の個人情報は全て掌握されていたと言えます」
「まさに支配者って感じだね」
「はい。両家によって住人は完全に認知されていた、だから水中で悪事を働こうとするならば両家の人間は最も有利な立場にありました」
信用によってどうにか成り立っていたんです、独裁的なあの統治は。
一舎さんの声に実感がこもっていて、少し鳥肌が立つ。
「確かにそんな、個々人の事情まで掌握されてる状態で支配する側がそれを悪用したら……なんて、疑い始めたら怖くてとても住んでられないな」
ディストピアそのものだ。だけど水中はひとつの社会として、表とは違う裏の様相で機能していた。
それほどまでに、信じられていた。
信用……信仰、されていたんだ、水中の支配者達は。
信用社会は水中に限ったことではないけど、度合いってものがある。少なくとも僕が普段の生活の中で、命まで握られてるような恐怖を政治に対して抱くことは無い。
一切疑惑を持たずに正しい政治だと信じているわけでもない。
「そうですね。けれど実際問題、有利な立場だからこそ、必ず裏切り者は現れました。裏切り者がいることを前提に……身内を疑って 過ごすのは、両家の人間にとっては、当たり前のことでした。権力者は権力者同士で、監視し合い、その事実を住民に対しては隠蔽していたんです」
……まぁ、裏切り者による崩壊を防ぎきれませんでしたけれどね。
一舎さんの声が急に頭上へ抜けた。はっと見回すと開けた空間、目前には湖が広がっている。すごく澄んだ水だ、ここからじゃ生き物の姿は全く感じられない。
歩きっぱなしで、少し息が上がる。
「もう少しですよ」
「一舎さん、疲れてないの」
「毎日演劇部で動いてますから」
僕は陸上部なんだけど……。
鳴瀬もバフィくんも、僕よりは体力ない方だし、案外僕が手伝うことになってよかったのかな。どこまでこの人達に仕組まれてるのかわからなくていっそ楽しくなってきた。
湖の畔からしばらく坂を上がったところに、その廃墟はあった。
一目見て感嘆する程の立派な日本家屋。
「これは確かに……電気が通ってるかも怪しいな……」
デジタルの記録媒体なんて、時空の彼方に消えそうだ。タイムスリップしたみたい。
「水中の情報を、個人情報を独占管理するならば、管理しきれる範囲に留めておく必要がありました。漏洩しないよう、外部から知ることのできないよう」
本人と両家のみが確認できるように。
「この場所以外のどこにも、水中の支配者が握っていた情報は存在しません」
それでわざわざ赴いたってことか。
「水槽の崩壊で秩序を失った人々が慌ただしく表の法に順応して、機能しなくなったこの街から姿を消して、怒濤の数年間でした。持ち出す者も居なかったはずです。持ち出してもアナログすぎて、外部ではどうしようもない仕組みですから。ただ……どこにどのように保管されていたのか、私も正確には知らないので……その」
「この広いお屋敷の土地を片っ端から探すってことね」
「そういうことになります」
すみません、と謝られた。
お茶目な感じに。
いやこれほんとに体力勝負じゃん。自分で言うのもなんだけど、僕が来て正解だったと思う。
ほんとに。
来て良かったと思う。
「一舎さん」
「はい?」
「巻き込んでくれてありがとね」
いつも事情もわからず置き去りにされる僕を。
知らないことで逃げ道を残して、守られてる僕を。
人魚の住処に足を踏み入れて墓荒らしみたいな真似をして、暗がりに在ったモノを白昼の下暴き立てて……これでやっと無関係じゃいられなくなる。
何日掛かるかわからないけど、見つかるまでしらみつぶしに探してやる。