交際
彼女からの追撃は無かった。おそるおそる目を開けた僕の傍に、一舎が屈んで微笑んでいた。
その左腕に、千切れそうな程深い血の赤を纏って。
陰に潜んでいた役者が登場した。そんな気分だった。
それがどういう理屈で起きた現象なのかはわからない。
心中で彼女が手首を切って死んだということなのか、
鳴瀬が相手より自分の死を選んだように彼女もそうしたのか、
宿主である一舎が、彼女を処分してしまったのか、
わからない。
すっかり日は暮れて、僕らは救急車を呼び、一舎だけがそこに乗り込んで夜の街に連れられて行った。
だから、その理由を聞いたのは進級後、学校で会った時だった。
2年生の春。自販機を前にしてココアを二つ購入し、一舎と二人で中庭に移動した。
「怪我、どのくらい深かったんだ」
「んー? 結構縫ったけど、ちゃんと治ったよ!」
「そうでなきゃ困る」
腕をまくって見せてもらうと、縫合した痕が残っていた。
片方のカンを開けて一舎に渡す。
ありがと、と右手で受け取り笑顔を向けられ、よかった、と思う。
あの一件は近隣住民が騒音を聞いているので、完全にもみ消すことはできなかった。手に余る事態になってしまうところだったが、「家に拳銃が置いてあって、びっくりして、とにかく使えないようにしなきゃと思って全部撃ちました」という一舎の証言がそのまま採用され、一舎は怪我もしていたため一ヶ月ほど医療機関でお世話になったのちカウンセリングを受けただけで釈放された。僕は知らぬ存ぜぬで通したし、鳴瀬の証言とも矛盾しなかったことが信憑性を大きくしてくれたようだ。
親の死後謎の武器が出てくるってのは、この街じゃよくあることだ。たぶん疑惑を抱く人間は居ないだろう。「彼女」のことを除いて、一件落着となった。
そして一舎の中にいたその子については……今日、どんな話を聞いたとしても、僕は受け止めるつもりでいる。
「今朝、りょーちゃんとひめちゃんに会ったの」
きらきらした黄金色の目で僕を見る一舎。
ああ、もうその切り出し方で結果がわかる。
「私、普通だったよ。私のままでいられた」
「そうか」
「それで、朝……りょーちゃんと話して。りょーちゃんは、誰も殺さなくて済んだのはバフィくんのおかげだからお礼言っといてっていってた」
「今更何言ってんだあいつ」
「それでね、バフィくんと誤解してたこととか、多分ほとんど全部教えてもらったんだけど……その」
「ん?」
「わ、わた、わたしが」
「?」
真っ直ぐ目を見て話していた一舎の目がうろうろと逸れ、唐突に言いよどんだ。話し始めて間もないのに……
しかもその様子は照れてるようにしか見えなかった。
何だ? 照れるようなことあったか?むしろ血の気が引く思いを沢山したと思うんだが。
「どうしたんだよ?」
「あ、いやあの。私がね、私がバフィくんのこと好きってこと夏目さんに聞いたんだよなーって思って……」
おぅ……
撤回。
曲げていた膝に額を打ち付ける。
僕の方にも一気に火照りが感染した。
「そ、な、あの、聞いたけど」
「そうだよね、聞いたんだよね、はは……」
「あはは……」
何笑ってんだ。
テンパったせいで一舎の右腕を掴む。
ココアがちょっと零れて一舎は固まった。
「や、えと、何で今それを言った?」
いや曖昧にしてほしいわけじゃ無いぞ全然。でももう少し楽しい学校生活に戻ってからでも良かったはずだ。「彼女」の話はどうした。
さーて
……もう落ち着こうと思うあまり真顔になってしまうな。
僕の心頭滅却した無表情に一舎の方も熱が引いたのか、笑って誤摩化すのをやめて静かに言う。
「だって……私が彼女を手放せたのは、バフィくんを好きだったおかげだからね」
「……え」
理解するのに、ちょっと間が空く。
それは
……さすがに、予想外。
「りょーちゃんがフリをしてたのは、紅一さん……もう一人の私が、好きだった人なの。彼に言われて、私は自殺しそうになった、身体が死ぬために動いたのがわかった……その時私は、私が好きなのは紅一さんじゃない、バフィくんだって思ったんだ。主導権がうつったんだねきっと。死んでたまるか、バフィくんと生きたいって思ったよ。あの子と一緒に死にたくなかった。私はもう一人の手を離した」
「……」
顔があっつい。
「……それで、好きだ何だって話に、なったんですか……」
「なったんですよ……そもそも好きだ何だのせいでご迷惑おかけしたんですよ今回は……私の別人が……申し訳ない……」
「まぁ……いいですけども……」
「それで」
「私と、付き合ってくれるんですか、幌くん」
今度こそ殺されるかと思った。
どうして君はそんなに可愛いのか。何もかも君に言わせてる僕のカッコ悪さときたら。
けど、今度こそ照れより嬉しさが勝った。
だから、自然と笑みが溢れた。
「付き合ってほしいのは僕のほうですよ一舎さん」
そう言って隣を確認すると、一舎も嬉しそうに頬を掻いて笑っていた。綺麗な容貌に似合ういつもの笑顔だ。
ずっと、この笑顔を見ていたい。
僕が父母の下位互換から脱して
堂々と地に足をつけて
君を好きだって言えるようになったら。
真っ白な状態で
もう一度言おうと思う。
「僕と付き合ってください」
一つの愛が死んで、新しい恋が始まった。




