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インサニティ  作者: 鳴海 慶
さいかい
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水中にて

登場人物一覧(tamblr)→ https://night-class.tumblr.com/



その街に伝わる都市伝説

夕暮れを境に「水中」へ沈む

人魚達が泳ぎ、歌う

引きずり込まれてしまうから、夜に出歩いちゃいけないよ。


これは招和七十年、W暦1990年代頃の日本を舞台にした物語です。



.



 肩、太もも、首筋、背中

 痣と擦り傷と打撲傷。

 僕の親は僕を殴る。兄の名前を叫びながら。

 本当に傷ついているのは心なんだろう。その傷を身体に、目に見えるように刻んでるんだと思う。

 僕の身体に。

 だから止められない。

 母親は自殺しようとしたことさえあった。親が死んでしまったら、僕はどうやって生きていけばいい……彼等が自殺に向かうより、僕が殴られてた方がいい。

 いつものように僕を殴って罵倒し、帰ってきた父に縋り付いた母がか細く「ごめんね……」と呟いた。

 今までに無かったことで、少し驚く。

「うん……」と答えた自分のオトが、若干の震えを伴って聞こえた。

 傷を冷やそうと、浴室へ向かう。明かりのもとで鏡に映った自分を見る。

 左腕には手首からずらりと並ぶカッターの痕。

 右手で刻んだ自傷の痕。

 本当に傷ついているのは心なんだろう。その傷を身体に、目に見えるように刻んでるんだと思う。

 他にどうすればいいのか。

 自分しか、僕の傷を受け止める者は居なかった。



.



 大人しそうで真面目そうな、清楚な黒髪、服装

 十五才の華奢な身体付き

 外は銃声と薬品の匂いが所々から刺激する、夜の街。

 昼と夜で表情を変えるこの街は、夕暮れを境に「水中」へ沈む……なんて、そんな都市伝説がある。巷じゃ有名な噂話。小さい頃なんかは特に「人魚達に引きずり込まれるぞ」「暗くなると危ないから外をうろつくな」って、大人達から言い含められるものだ。

 けど、何のことない、成長するにつれ世間の在り様がぼんやり見えてくると、「水中」とは「水商売」の暗喩みたいなもので、夜の街を指すスラング。「人魚」はそういった界隈を牛耳る集団の俗称だろう、と見当が付く。神秘的な伝説の気配なんて欠片も無い、ただの生臭い現実。

 かくいう僕も、そんな現実の一部になりつつある。

 こんな風に。

「おにーさん、先にシャワー使う?」

「そのままでいいよ」

 ラブホテルの一室。寝床を確保するために毎晩相手を変えて、身体を売って、なんとか二週間しのいだ。今夜のお相手はくたびれたスーツのオッサン。正直うへぇって感じ。まぁいいか、この人上手い方だし……なんて、そんなことを考えて自分を誤魔化す。

 こんなのは自傷行為と変わらないのかもしれない。それでも家に居るよりはマシだと思った。殴られるよりはセックスの方が気持ちいいし、せめて身体だけでも差し出すものがあるんだと思うと安心する。ずるずると爛れた夜ばかりが、いくつも増えた。増えれば増えるほど、家に帰るタイミングを逃していった。

 もう、帰れないのかも。

 いき場が無いのかもしれない。

 もう、……水の中にしか。

 行き場

 生き場。

「ハルくんまだ学生でしょ? 今度制服着てきてよ」

 オッサンがにやにや笑いながら言う。今度も何も、明日学校行けるかさえわからないのに。

 一寸先さえ見通せない……視界の利かない、水の中。

「えー、だめだよぉ夜にセーフクなんか着てたら、ケーサツに連れてかれちゃう」

 軽口で答える。少し顔を背けわざと隙をつくって。

「持ってきて着替えればいいじゃん、ダメ?」

「だめですよぉ、汚したら次の日どーすんの」

「じゃあ土曜日にとか」

 しつこいな……ダメ? じゃねえよぶりっ子すんなオッサンが。先のことなんて考えたくない、はやくヤッちまって色々忘れさせてほしい。何も考えなくさせてくれ。

「だめったらダメ!」

「ふーんしょうがないな」

 やっと引いたか。

 と思ったら

「じゃあ今日は加減してやらない」

「え?」

 嫌な言い方だ。いやらしい、不穏な気配。

 肩を掴まれ押し倒される。そこまではよかったけど、のしかかった相手が背広の懐を漁り始めた辺りで、嫌な予感が確信に変わった。

「動くなよ」

 その手に握られていたのは 細い注射器。

「ちょ、ちょっとそれ何」

「イイ物だよ」

「だから、何それ」

「いいから」

「いやだって!」

 腕を取られないように抵抗してみたものの時間稼ぎにしかならないことは頭ではわかっていて、血の気が引いていく。

 今までにヤバイと思った相手が居ないわけじゃなかったけど、この人に関しては予想外だった。仲介屋さんに連絡しようにも、ケータイは脱がされた上着の中。助けは呼べない。でも後でチクってやる、なんて言ってられない、こんなの打たれてしまった後じゃ手遅れだ。

 何とかして腹筋と腕の力で上半身を引き抜きかけた途端、

「動くなっての!」

「痛っ」

 左手首を思い切り掴まれて一瞬動きを止めてしまう。

 針、

「やめ……っ」

 ぎゅっと目を瞑った、その時


「ダメだよ、そんなモノ使っちゃ」


 そんな声がした。

 腕を振り払った拍子に刺さった針先が皮膚を引き裂いて出て行く。

「……え?」

 個室のドアの内側に、人が入ってきていた。

 完全なる第三者の突然の介入。

 ――――え?

 呆然、そんな感じだった。鍵はどうしたとか、このオッサンの知り合いかとか、ひとまず考えられない。静止した意識だけが声のした方へ向かう。

 オッサンの方もそっちを凝視していて、どうやらこれは不測の事態、少なくとも「お仲間」では無い、らしい。目を見開きながら人影に話かけた。

「……なんで君がここに?」

 その口ぶりからすると、どうやら「室内に部外者が入ってきた」こと以上に……「その人物に会ったこと」に動揺している?

 そして、その動揺はすぐに他人事ではなくなった。

「あっ……!」

 ドアの暗がりから現れた細く長いシルエット。

 暗がりが人の形に切り取られた影のような黒づくめ、その服装のなかで浮き上がるように白い肌、長く長く伸びる膝につきそうな漆黒の髪、その髪が流れ落ちるフードの奥から覗く冷たい目

 赤い

 瞳。

「……!」

 脳裏に蘇るノイズ。

 雨の音

 優しい声

 温かい手


 彼は……


「あれ、成田くん?」

 ほんの少し目蓋を上げて首を傾げる、見目に不釣り合いな稚い仕草。間違いない、どれもこれも全部、まちがいなく彼は

 同じ学校の幻の生徒、鳴瀬翏一(なるせりょういち)だった。






.

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