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3.優里と屋敷の日常(2)

 珍しいことに、書庫には先客がいた。優里たちの足音を聞いてひょっこり小さな頭を出したのは千尋だ。

 といっても彼は本を探しにきたわけではなく、掃除をしにきているようだが。

「あ、優里お嬢様、こんにちは。すみませんこんな格好で」

 彼はスーツの上から可愛らしいチェック柄のエプロンを着ていた。一般男性が着るには向いていないが、彼の幼い容姿ならば不思議と似合ってしまう。

 脚立に乗ってハタキで棚を叩いているが、壁に沿って置かれた10個もある棚全てを掃除し終えるのは骨が折れることだろう。

 手伝います……と優里は言おうとし、奏人の言葉を思い出した。

 詩織が選んでくれた若草色のワンピースや白い薄手のカーディガン、ピカピカに磨かれた靴もまた汚してはいけないものだろう。

 しかし、掃除をする千尋をよそに本を漁るというのは気が引ける。

「奏人さん、お願いがあるのですが」

「はい、なんなりと」

 優里は先ほどの経験を元によく考えた上で、一つのお願いをすることにした。


「いやあ、優里お嬢様が手伝ってくださると本当に掃除が進みますね」

「力になれているようでよかったです」

 黒いワンピースに白いエプロン。優里は絢香や詩織と同じ格好に着替えてハタキを持っていた。

 服を汚してはいけないのなら、彼女たちと同じメイド服を着てしまえばいい……その結論に行き着いたのだ。

 千尋は最初は戸惑っていたものの優里が楽しそうなのを見て、それでよしと思ったらしい。彼女と並んで同じように作業を続けた。

「メイド服まで似合ってしまう優里お嬢様はやはり素晴らしい……けどそういう問題では……」

 予備のメイド服を持ち出した奏人だが、目の前の現場には目をしかめざるをえない。もしこれが姉の目に止まれば……怒られるのはこの服を着せた自分だろう。

 そんな執事の心配をよそにお嬢様は楽しげだった。

「千尋さんはどうしてこの仕事を?」

 優里は絢音にしたような質問を千尋にも投げかける。十二歳で働きだすというのは、何か事情がありそうでもある。

「父の紹介です。僕、昔から学校で浮いていて集団生活とか合わなくて……小学校卒業して進路に迷っていたとき、父が古い付き合いがある家が使用人を募集しているって教えてくれたんです。あ、だから絢音さんみたいにお金に困って……とかでは全然ないんですよ。行き場を失ってたまたま、みたいな」

 千尋は夕食の席でもたまに自分から絢音の名前を出す。それは彼が同期に近い絢香に親近感を持っていたからだと優里は思っていたが、どうも違うらしい。

 彼は何かにつけて絢音と自分を比べているのかもしれない。なんとなくだが、そう思った。

「でも千尋さんってとても要領よく仕事をこなされていますよね。料理もお上手ですし。どこかで勉強されたんですか?」

 絢音のぎこちない手つきと千尋の手際の良さは段違いだ。長い廊下の窓を拭く時、絢音が半分まで拭いた時には既に千尋は全てを拭き終えているだろう。

 料理の腕も千尋の方が上のようで、特に彼が作るシチューやスープは野菜がとろとろに溶けてとても美味しい。身のこなしも奏人ほどではないが様になっていて夕食の席での話も面白い。

 齢十二歳とは思えない程、彼はとても要領がいい。

「いえ……なんていうか、僕結構やればなんでもできちゃうタイプなんです。掃除だって料理だって一回教わればできてしまう。だから周囲から浮いてて……」

「それなら……千尋さんにできないことが見つかるといいですね」

「え?」

 千尋の手が止まり、優里は何か間違えたことを言ってしまったかと焦る。つい口から出てしまった言葉に優里自身も戸惑っていた。

「いえ……私は十年間ずっと同じ家事の繰り返しで……それが世界なんだって思ってました。でもここへきて、世界はもっと広いことを知った。そして、勉強や貴族としての規則などいろんな壁にぶつかっています。その壁をひとつづつ解いていくのって楽しいんです。だから、千尋さんにもぶつかって、乗り越える価値がある壁に出会えるといいななんて……」

 そう言いながら千尋の顔を覗けば、彼は二度瞬きをして、

「優里お嬢様って変わってますよね」

 と、言った。

「変わって……ますか?」

「普通の人は『なんでもできてすごいね』とか『それ自慢?』とかそういうことばっかりで……僕自身できるってことに執着していました。でも……できないことを探す、それって面白そうかもしれません」

 千尋の顔が、屈託のない年相応の笑みに変わる。

 優里の言葉は、どうやらちゃんと届いたらしい。

「あなたから見て僕ってどんな人間ですか?」

「え……千尋さんはまだ幼いのにテキパキ仕事をこなす尊敬できる方です。いつか奏人さんみたいに他のお嬢様に仕えるお仕事もできるかもしれないと思います」

 十年後の千尋はきっと奏人のようになるだろう。優里はそんな想像をしながら告げてみる。すると千尋は固まって、

「僕、新しい目標ができました」

 と、呟いた。

「奏人さんみたいになることですか?」

「まあ、そんなところです。

 そんな話をしていると、掃除は三十分ほどで終了し、千尋は夕食の準備があるからと書庫を後にした。

 書庫を出る前千尋は改めて優里の手を力強く握ってお礼を言ってきたが、その手にやけに力が入っていた意味は優里には分からない。


「優里お嬢様、本は決められましたか?」

 二人のやりとりをじっと見つめた後、本来の目的を思い出した奏人が尋ねると、優里は迷わず一冊の本を抜き出した。

「掃除中に気になっていたんです。今日はこれにします」

 一際分厚い歴史物の本だったが優里が読みたいのであれば反対する理由はない。奏人は珍しく軽い足取りで書庫を後にする優里の後に続いた。

 が、ここで今すぐ彼女のメイド服を着替えさせなかったことを後悔することになる。

「優里ちゃん?」

 と、階段の向こうから紛れもない自分の姉の声が聞こえたのだ。そもそも、優里のことを「優里ちゃん」と呼ぶのはこの屋敷では一人だけ。

「……どういうことかしら、奏人」

 口元は笑っていても厳しい目線を持って奏人を見る詩織の表情は恐ろしい。弁解の言葉を考えていると、

「あの、私が奏人さんにお願いしたんです」

 と、本を両手で強く抱えた優里が自白する。

 そうして、今までの経緯を全て説明することになった。



「優里ちゃんは優しいのね。でも、今はもうイーストプレイン家のお嬢様であるということも忘れないで欲しいわ」

 詩織は優里の衣服を整えながらそっと頭に触れた。その途端、奏人に触れられた時とはまた違うむず痒さのようなものが優里の身体に流れる。

 奏人を追い出し詩織と部屋で二人きり。夕日も沈みかけて、オレンジ色に包まれた穏やかな時間が流れる。

「すみません……」

 詩織は優里のワンピースにある背中のリボンを結び、着替えで乱れた髪を梳かしてゆく。彼女の手つきはいつも手際が良く、そして優しかった。

「奏人も、優里ちゃんに甘すぎるところがあるから注意しないと」

「あの……奏人さんって昔からああなのですか?」

「ああっていうのは?」

「えっと……私に対してやけに献身的……というか……」

 それは詩織にも言えることだが、奏人は素の性格と自分への態度に露骨な違いがあるように見える。

 しかもちょっとしたことですぐに「流石優里お嬢様です」「優里お嬢様は素晴らしいです」と、褒めてくる。

 つい絆されてしまっているが、普通に考えるとおかしな話だ。

「あの愚弟はね……昔、使用人なんてやりたくないって駄々をこねていたの」

「え?」

 そんな素振りは一切見られない。

「まあ、十年前の話だけれど。偉い人の世話係なんて嫌だってあんまりいもダダをこねるものだから、お父さんが修行と称して私たちをこの屋敷に連れてきた。その時に幼い頃のあなたにあったの」

「私に……ですか」

「その時優里ちゃんの優しさに触れてね、この子を守りたいと強く思ったらしいの。でもそんな最中に優里ちゃんは連れ去られ……大きなショックを受けた。誰もが諦める中、実は奏人だけは優里ちゃんのことを生きていると信じ続けていたのよ。そして次にあなたに会うことを待ち望んで、必死に執事としての知識や技術を学んだ。ずっと待ち望んできた主人が戻ってきたからこそ……奏人は完璧な従者であろうとしているのかもね、なんて」

 気づけば詩織は優里の髪を編み込んで花の髪飾りまでつけていた。寝る前には風呂に入るのだから外さなければならないのに……彼女は既に優里の髪で遊び始めているのかもしれない。

「私は、何をしたんですか? 奏人さんの気持ちを変えるようなことを……五歳の私にできるのですか?」

「それは……私は詳しく聞いてないの。本人から聞き出してみて?」

 鏡に映った詩織がウインクをする。奏人に対しての謎は深まるばかりだ。


「詩織さん……あの、すみませんでした」

「え?」

「お嬢様としての決まりを守れなくて……」

 立ち上がって全身を確認してみる。もうすっかり綺麗に磨かれた令嬢の姿になっていた。

「ただ、私はいつも皆さんに助けられているので……みなさんが少しでも困っていたらお手伝いをしたくて。もしかしたらまた、同じことをしてしまうかもしれません」

 おそるおそる自分を見つめる優里に対し、詩織は暫く目を丸くし、それから笑みを浮かべた。

「なるほどね、優里ちゃんらしいわ。優里ちゃんがお手伝いをしてくれることは嬉しい。だから、それを咎めたりしないの。ただ……お嬢様としての自覚は持って欲しい、それだけなのだから」

 この家の人間は、誰一人として優里を責めない。間違ったことをしても叩いてはこない。それがなんだかむず痒い。

「私も……詩織さんの妹になりたかったです」

「え?」

「い、いえ……詩織さんがお姉さんだったらもっと毎日が楽しかっただろうな、と思っただけです。その、今までいた家の姉は意地悪なことしかしていなくて……だからこうしてお話できる年上の女の人って憧れで」

 優里が慌てて説明すると、詩織は何故か頬を赤らめた。

「いいわよ、私はあなたの従者でありお姉さんにもなる。だからお嬢様として困ったことだけじゃなくて個人的な悩みでもなんでも私に言って頂戴」

「あ、ありがとうございます」

 ぽんぽんと頭を撫でられ嬉しくなる。

 お嬢様としての生活は慣れないけれど詩織がこうして素のままで自分に接してくれることは嬉しかった。 

「いいえ、こちらこそ。みんなを助けてくれてありがとう」

 お礼を言い合う頃には、もうすっかり日が落ちていた。今からまたみんなで夕食を食べられるのが楽しみだ。


登場人物

■優里・イーストプレイン(15歳)……灰被りと呼ばれ庶民に育てられた元お嬢様

■奏人・サンチェス(22歳)……優里に仕える執事。過保護気味。

■詩織・サンチェス(25歳)……優里に仕えるメイド(メイド長)

■絢音(15歳)……新米メイド。要領が悪く敬語が苦手。

■千尋・シュナイダー(12歳)……新米使用人。何でも効率よくこなせる少年。

■愛子・レイクサイド(17歳)……無口なイーストプレイン家の用心棒

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