15.セントラルランドからの招待(2)
今回も奏人の運転する車で向かうのかと思いきや、庭で優里を待っていたのは別のものだった。
「これは……えっと、航空機ですよね」
サウスポートで、舞紗達が乗っているのを見た。
白い翼が二本、機体の横に伸びていて、後ろに空気を噴出する穴がある。
これが飛ぶ仕組みについてはよく分かっていないが、車よりも速く空を飛んでいく姿を見送った。
イーストプレインにはそれが一台しかないと聞いていた上、この一か月全く姿を見たことはなかったが……そう思って近づくと、中に人が乗っていたことに気が付いた。
中は前方に二人、後方に二人座れる四人掛けで、後部座席の背後に荷物を置く場所がある。
運転席にいた人物は優里たちに気が付いて外へ出ると、優里に向かって頭を下げた。
「お久しぶりです、優里お嬢様」
目じりに皴があるが爽やかで引き締まった体型の中年男性。どこかで見た顔つきなのは間違いない。
以前の優里は五歳より前の記憶がなかったが、青龍の力で多少は思い出すことができた。当時の奏人の顔、当時の詩織の顔、両親のこと……それが自分の記憶なのだとはっきり理解することができるようになった。そしてこの男性は。
「お久しぶりです、響・サンチェスさん」
彼は昔から自分の父に仕えている執事で、屋敷に奏人や詩織を連れて来ていた彼らの父でもあった。
「……覚えていてくれたのかい?」
「先日、五歳以前の記憶が戻りました。詩織さんや奏人さんと過ごす私のことを気にかけてくださっていたのを覚えています」
優里の隣で奏人が小さく「俺は覚えられていなかったのに……」と呟くが、その時はまだドラゴンテイルのせいで記憶がなかったのだから仕方がない。
響きは少し屈んで優里と目を合わせると、
「大きくなったね」
と、微笑んだ。
「セントラルランドは乗り物を停められる場所も限られていてね、行きも帰りもこの航空機一台で二往復する予定だ」
「なるほど……」
だからわざわざセントラルランドにいた響が航空機を運転して三人の元へ来たのだろう。航空機を運転できる人間など限られているだろうから。
「ありがとう、父さん。あとは俺が」
奏人が父から鍵を受け取ろうと手を伸ばすが、響きは渡すのを拒んで鍵を自分のポケットの中に突っ込んだ。
「奏人、優里お嬢様の執事は誰だ?」
「……俺です」
「なら、容易に離れようとするんじゃない」
響は優里に向けていた表情を一変させ、険しい顔で奏人を見つめる。
「はい……」
そういえば昔から響は奏人の教育に関してひどく熱心だった気がする……と、優里は過去の思い出を手繰った。親子で同じ職場というのもなかなか大変そうである。
結局運転席は響、助手席には愛子が乗って、奏人と優里が後ろに乗るというよくある組み合わせになる。
航空機は車と違って乗る位置が高いのでやや苦労したが、奏人に引っ張られてなんとか乗り込むことができた。
「優里お嬢様は宙に浮くことは怖くありませんか?」
これからこの航空機はエンジンを使って空を飛ぶのだろう。空を飛んだ経験はないから怖いかどうかというのは想像できないが。
尋ねてくる奏人と、それから運転席にいる響を交互に見た。
「えっと……響さんが運転してくださっているなら安全かなと思います」
「お、お嬢様……?」
響は運転席で変な咳ばらいをする。
「すみません……何か気に障るようなことを……」
間違えてしまったかと思い尋ねれば、
「父さん、優里お嬢様はこういう方ですから」
と、奏人に謎のフォローを入れられた。
「まあ……流石あの人の娘というべきか……では、飛びますよ」
機体が庭を駆けだしたかと思えば身体を浮遊感が包んで、地面が少しずつ離れていく。急に足元が消えたような感覚になり奏人の服を掴んでしまったが、窓の外を見た途端恐怖もなくなった。
空はどこを見ても真っ青で、清々しい景色が広がっている。下を覗けば屋敷がどんどん小さくなって、住宅地や商店街のカラフルな屋根も遠ざかっていくのが分かった。
「イーストプレインって……綺麗なところですね」
嬉しくなって呟けば、
「ええ、そうですよ。素敵なところです」
と、奏人が返した。
「俺の大切な人が守る大切な土地です」
どこまでも草原が広がる平地にのどかな空気が流れている。それはきっと他の地域にない、イーストプレインだけの魅力だった。
セントラルランドは、今まで見てきた街とは一切毛色が違う、優里にとっては不思議な街だった。
まず、建物の大きさがおかしい。優里が知っている建物はせいぜい三階建て程度だが、見た感じ二十階以上の建物もありそうな雰囲気だ。そもそも自分が立っている場所も地面との距離がありすぎて目眩がしそうだった。
草木はあるものの、どうも街が出来た後から植えたようで、道に規則正しく並べられている。
高いビルの壁には巨大なテレビの画面のようなものがつけられており、眩しい映像が流れていた。
道路はどうも人が歩く道と車が通る道が分かれているようで、道が交差する部分には一定置きに色が変わる不思議なライトが立っていた。
航空機は高い建物の屋上に着陸したので、優里はそこから暫く街の様子を眺めていたが、動き続ける街の風景に圧倒される。
テイル王国は土地ごとに文化が違うというが、ノースキャニオンと比べると最早別世界だ。
「この建物が今回私たちが泊まるホテルです。優里お嬢様のご両親もここにいますよ」
「お父様と……お母様が」
テレビ電話をした時はまだ記憶がなかったため、両親に会ったという気持ちにはなっていなかった。
ようやく二人と再会できると思うと僅かに胸が高鳴る。
「手続きは愛子と私でする。奏人、二人で顔を出してきなさい」
「はい」
響きは屋上の扉の前で待ち構えていたホテルマンからカードを受け取ると、愛子と共に足早に階段を下りていく。
「あの、ホテルというのはどういった施設なのでしょうか」
「宿泊施設……寝泊まりをするための場所です。ベッドやトイレ、風呂、洗面台などの設備が部屋ごとに設けられていて一時的に滞在することができます。御主人様……優里お嬢様のご両親はその中でも特別大きな部屋にいるそうですね」
優里も、カードを受け取った奏人と共に階段を下りていく。
赤い絨毯に、左右に並んだ扉。心が落ち着くようないい香りがし、微かに優雅な音楽のようなものも聞こえてきた。
屋敷と比べると廊下の幅は狭いが、広さでいえばワンフロアだけで考えてもこのホテルの方が広いかもしれない。
「3010号室……こっちか」
壁にかけられた案内標識を見ながら進む奏人についていけば、「3010」というプレートがついた他の部屋よりも一回り大きな扉が現れた。
「ここが……」
この部屋に、両親がいるのか。優里ははやる気持ちを押さえて部屋の隣に備え付けられたインターフォンを鳴らす。
すると三十秒ほどしてガチャリと扉が開いた。
そこにいたのは、優しい顔をした男性で。
「優里!」
「お父様……お久しぶりです」
優里は頭を下げ、思わず父の胸へと飛び込んだ。
「お母様も」
「もしかして……記憶が戻ったの?」
「はい」
奥の椅子に座っていた優里の母も席を立って優里の前に屈んだ。
自分を抱きしめる父と母の匂い。それはずっと昔に包まれたことのある匂いだ。
人に対してとことん甘い父と、そんな父を支えようとする母。母の表情は硬いが、それはきちんとした夫人であろうと気を張っているからだと知っている。一緒におやつを食べている時にはとても幸せそうな顔をしていたから。
「全部ではありませんが、ドラゴンテイルに隠されていた記憶をこの青龍の鱗が取り戻してくれました。あとはこの痣だけ、です」
そう言って、青龍の鱗が付いたネックレスを撫でる。
赤龍に襲われた時も守ってくれたネックレスは、この先何があっても外してはならないだろう。
中に招かれ見渡してみれば、優里の部屋と同じくらいの広さの部屋が広がっていた。
左側の壁に置かれた二人用の巨大なベッド。鏡のついた立派な机にテレビもある。大きなテーブルの周りには椅子が四つあり、優作は二人を奥の椅子に座らせた。奏人の手伝いを拒んで、自分でケトルでお湯を沸かして紅茶を淹れる辺りの妙な頑固さは優里と似ている。
ティーカップを受け取った優里に灯里は、
「本当に、素敵な女の子になったわね」
と、無表情ながらも感極まったように告げた。
「いえ……全部、詩織さんのお陰です。集落で灰被りと呼ばれていたボロボロの私をここまで綺麗に磨いてくれて、姿勢やマナーについても一から教わりました。奏人さんにもたくさんの勉強を教わったので読み書きもスムーズに行えるようになりましたし、知識も増えました。本当に……人に恵まれたからこそ今の私がいます」
もし彼らがいなかったら……というのが考えられないほどに、充実した日々を送ってきた。勿論苦しいこともあったが、それでも今こうして両親の前に出ることができた。
「それはよかった……それで、一体どんな生活を送ってきたんだい?」
父に尋ねられ、優里は屋敷へ戻ってきたことを思い返す。最初は自分の置かれた状況が信じられなかった。
普通の人間以下のような扱いを受けてきた自分が、手取り足取りなんでもしてもらうようなお嬢様になったことが信じられず、悪夢もたくさん見た。
しかしみんなで夕食を食べたり、ノースキャニオンまで足を運んだり、奏人と街へ出たり、ウェストデザートの輝夜たちと交流したり、サウスポートの二人とぶつかりながらも打ち解けたり。そういったことがあって、自分が「優里・イーストプレイン」だという自覚を持つことができた。
今まで支えてくれた人に恥じぬよう、立派なお嬢様になりたいと思った。
その中でも印象に残ったものをかいつまんで話していく。
「あとは……シルル市の商店街に出た時には新しく目にするものばかりでドキドキしました。人が多くて不安だったので奏人さんには手を繋いでもらって」
「へえ……手、ねえ?」
灯里夫人が奏人をじっと見つめると、奏人は
「優里お嬢様、あまりその話は……」
と止めようとするが、優里は何がいけないのか分からなかった。もしかして、使用人と手を繋いではいけなかったのだろうか。
「それで、その時にクレープ屋さんを見つけて、クレープを食べたんです。イチゴと生クリームのクレープがとても美味しくて……後日千尋さんと二人で作ってみました」
「はは、優里は小さい頃からイチゴが好きだったよねえ」
「そうだったんですか……?」
それは、記憶になかった。五歳の頃のことだ。全てが思い出せるわけではない。
「なんなら今から食べに行こうか? イチゴの美味しいパフェがあるカフェがあってね」
「カフェ……?」
また、優里の知らない単語が出てきた。
「御主人様、いくらパーティーが明日とはいえ、不用意に街に出られるのは……」
「奏人は心配性だねえ。大丈夫、そのカフェには仕掛けもあるし、ちょっとした気分転換だ」
優作の言葉に奏人は心配そうに優里を見る。やはり将斗との一件があってから不安が抜けないのだろう。
優里はなるべく奏人を安心させようと微笑み、カフェという見知らぬ単語に心を躍らせた。
(登場人物)
イーストプレイン
■優里・イーストプレイン(15歳)……元灰被り。庶民に育てられたお嬢様。
■奏人・サンチェス(22歳)……優里に仕える執事。過保護気味。
■詩織・サンチェス(25歳)……メイド長。優里を妹のように大切にしている。
■絢音(15歳)……敬語が苦手な新米メイド。今では優里の友人に。
■千尋・シュナイダー(12歳)……何でも要領よくこなす新米使用人。
■愛子・レイクサイド(17歳)……用心棒。無口な性格だったが変わりつつある。
■優作・イーストプレイン……イーストプレイン家の現伯爵。少々親バカなところがある。
■灯里・イーストプレイン……伯爵夫人。表情は分かりにくいが家族を大事にしている。
ノースキャニオン
■舞紗・ノースキャニオン(12歳)……北の赤頭巾。赤い頭巾を被ったお嬢様。
■虎徹……元猟師の舞紗の付き人。
■玲生・ノースキャニオン……ノースキャニオン家の現伯爵。優しい性格故に苦労が絶えない。
ウェストデザート
■輝夜・ウェストデザート(21歳)……西の眠り姫。ウェストデザートのお嬢様にして医者。
■月彦・エノモト(20歳)……輝夜の執事で輝夜と付き合っている。能力はポンコツ。
サウスポート
■将斗・サウスポート……横暴で常に人を見下すサウスポート家の跡継ぎ。
■七海・サウスポート(17歳)……南の人魚姫。ドラゴンテイルに声を奪わていた。