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1.灰被りと呼ばれた少女(2)

 それから少女はなんとか家事をこなし、義姉たちも自分の部屋に戻ったところで、台所口に洗濯物を干していく。部屋の梁に木の棒を乗せて洗濯物をかけていくのは至難の技だ。

 特に、先ほどからまた何度か床がミシミシと揺れるのでバランスを取るのが難しい。

 靴下を落としてしまい、慌てて拾うと、外から耳をつんざくような大きな音が響いた。

 最初は、雷かと思った。木々を切り裂くような恐ろしい音が似ていると思ったからだ。しかし……どうも雷とも違う。

 音は聞こえても激しく点滅するようなあの光は現れない。

 もっと獣のようなものが叫ぶような……悲鳴のような声だと思った。

 外は未だ激しい雨が降り続けているにも関わらず、少女は思わず裸足のまま外に出てしまった。悲鳴のようなその声に、何故か呼ばれているような気がして。

 目を凝らせば、土砂降りの雲の切れ間に、何か黒くて大きなものが見える。

 魚のような鱗があり、蛇のように身体をくねらせる。そしてまた大きな咆哮が聞こえる。

「龍……?」

 全く目にした覚えのないものだが、ふとそんな単語が頭に浮かんだ。

 あれは龍で、そして何かに苦しみ……その苦しみが今この自然災害として襲いかかっている……そんな考えが駆け巡り……自分の妄想なのかそれともどこかで聞いた話なのか分からず混乱する。

 今はもう記憶もない幼い頃に、そのような話を聞いたことがあるのだろうか。

 ただ一つ確かであるのは、あの生き物のようなものが苦しんでいるということ。


「何をしている?」

 声をかけられた気がして振り返ると、肢の長い立派な傘をさした老人が立っていた。

 髪は真っ白になり腰も曲がっているが、眼光が鋭く威厳の残るこの老人は、長年この集落の代表を務める長老だ。

 彼の家にはこの集落で唯一テレビがあり、定期的に近隣の集落や町の長と集まって会合を開いている。

 集落の中で誰よりも知見があり皆を束ねられるのはいつだってこの長老だった。

「龍が、見えたので」

 少女はもう一度空を仰ぐ。雲でよく見えないが、間違いなく龍はそこにいると思った。

「龍が何かに苦しんでいるように見えて……多分あの龍が苦しみに囚われて暴れているから……この異常気象が起きているんじゃないか……何故かそんな気がしたんです」

 なんという妄想をしているんだこの娘は、と怒られるような気がして少女は長老の方を見ることができない。

 変なことを言っている自覚はあった。一切見聞きしていなかったことが何故こうも口にできるのか。

「ほう……灰被り、お前はどこで龍の話を聞いた?」

 重く、険しい声が聞こえて少女は一瞬目を瞑る。どこで? それを覚えていたら苦労しない。

「ずっと昔……聞いたことがある気がして……記憶はないのですが」

 出どころ不在の記憶に頭を押さえたくもなる。十年前……くらいだろうか。この集落にたどり着いた前の記憶にどうもモヤがかかっている。

 この龍に惹かれているのに何もできないのがもどかしい。


「……ワシは今から近隣集落との会合に向かう予定だ」

 長老は重々しい口調のままそう告げる。

「この異常気象の対策のためですか?」

 こんな雨の中で出かけるならそれしかない。

「ああ……正確には荒ぶる龍を鎮めるための人柱を決める話し合いをする予定じゃった」

 人柱……つまり、神に捧げる生贄のようなものだろうか。さらりと口に出された情報に、少女は一歩後ずさった。

 龍を鎮めるために犠牲を生み出す……それは、何かが違う気がした。記憶の中の誰かが、それは違うと訴えている。

「待ってください、でもこの龍は多分苦しんでいるだけで……被害を出さずとも方法は」

「もう遅い。このノースキャニオンを統治する伯爵家が我ら民を見捨てた以上、民衆でどうにかするしかない」

 ノースキャニオン……それはこの集落がある土地全体の名前だっただろうか。少女には長老の話が全て理解できるわけではない。ただ、彼が何か恐ろしいことをしようと思っていることだけは分かった。

「でも、誰を……」

 それをこの周辺の集落や町の人間から選ぶのだろうか。そのための会合を開くのだろうか。知ってしまったら恐ろしくてたまらない。

「灰被り」

 長老は少女の名前を呼んだ。呼び慣れてしまった、ここでの少女の名前を。

「お前は適任かもしれないな。いや、灰を被った化け物……と言われるお前なら」

「え……」

 灰を被った化け物……それもまた、少女につけられた名前だった。

 少女は自分の黒く汚れた両手をじっと見つめる。それから長老が去っていく町の方を眺めた。

 何故適任と言われたかは分からない。ただ……あの記憶が、そしてこの力が龍を沈めるなら……流れに身を任せてしまった方がいいかもしれない……そんな気持ちも生まれていた。

 どうせ彼女の前には継母に使役される道しか残っていないのだ。だとすれば最後くらい人の役に立てればそれも本望……そんな風にも思った。

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