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太陽と笑って(1/5)

〈月を嘆いて〉から3年後、幕間からすぐの話です。

 最強の剣士になりたい。それが物心ついた時から変わらないあたしの願いだ。国や戦争とは何の関わり合いをもたない山奥で生まれたあたしは、その山奥で剣の道場を営む両親とその門下生に育てられた。

 自分で言うのもどうかと思うけど、あたしは天才だった。それは間違いない。両親の開く道場は戦争に飽いた人や剣の道を極めたいという世捨て人のような人が集まるところで、その中にあってあたしは誰よりも強かった。

 3歳から剣を取り、それからひたすらに稽古を積むこと5年。道場で一番弱かった男と真っ向から戦い、倒した。それからさらに8年かけて20人ほどいた門下生全員を破り、ついに道場で最強だった父を激戦の末破ることができた。あの時の喜びは今でも昨日のことのように思い出せる。

 でも父を倒してしまったことで大きな問題が発生してしまった。道場主は道場で一番強い人がならなくてはならない。その理屈だと次の道場主はあたしということになる。実の父親が道場主だったのだから、いささか齢が若すぎるとしても反対する者はいないだろう。いたとしても真っ向から切り倒してしまえばいいだけだ。真っ向から来なかったら切り捨ててしまえばいい。

 しかし、だ。あたしは最強の剣士になりたいのだ。確かにこの道場では最強になれた。だが道場の外にはまだまだ強い剣士がいるに違いない。だというのに道場でこのまま仮初の最強でいていいのだろうか。そう思ったらいてもたってもいられなくなった。道場主の証である『風斬り丸』と『水斬り丸』を手に、あたしは道場を飛び出した。山を一人で下りて、目指したのはかつて門下生の一人から聞いた『無双の傭兵王』の噂だ。曰く剣一本で並み居る傭兵を打ち倒し、ついに傭兵の中で最強になったという男。そんな男が在野に入る。それを思えば道場や両親を置いて行くことにためらいはなかった。

 ところで、山を下りてから初めて気づいたことだけれど、あたしの外見はどうも男の劣情を誘うらしい。艶のある黒檀色の髪、輝く緋色の瞳。たゆまぬ稽古で鍛え上げられた体はもはや肉体美という言葉を通りすぎて、神の領域に至っているとかいないとか(この表現は立ち寄った町にいた気障ったらしい吟遊詩人が言っていたことだ)。とにかく目を引く。引きたくないところでも引いてしまう。とは言えこの外見のおかげというべきなのか、あたしを襲おうとする輩は後を絶たなかった。そんな連中を片っ端から斬り倒して路銀を稼ぎ(奪ったともいえるが向こうが先に襲ってきたのだ。文句を言われる筋合いはない)、国を回ってで噂を集めること一年。あたしはようやく『無双の傭兵王』がいるという晴天傭兵団にたどりついたのだが。


「死んだ?『無双の傭兵王』が?」

「ああ。ルース前団長は3年前に死んだ。お前さんが聞いた情報は古いものだったんだろうな」

 なんていうことだ。確かにあたしがその話を聞いたのは道場に来て5年ほどの男だったが、下界では5年も経てばそれほど状況が変わるものなのか。

 アウィスと名乗った現晴天傭兵団団長だという男は、あたしのことを労わるでもなく慰めるということもなく、じっと観察するようにあたしのことを見ている。外見に惹かれているわけでもなさそうだ。それはさっきから彼の後ろでじろじろと顔やら胸やらを見ている男の方だ。不愉快。

 外見といえば、副団長だというトオラも整った外見をしている。が、こっちもあたしの外見に興味があるわけではなさそうだ。山を下りて以来、あたしの剣の腕ではなく、外面ばかりを見ていた男たちとは違うその態度「には」好感が持てる。

 何よりあたしほどではないにしてもそこそこ強い。

「ならこの傭兵団で一番強いのはあなた?」

 アウィスに向けて聞くと、なぜか彼は顔を曇らせた。トオラもそれは同じで、後ろの下世話な男だけが露骨に嫌そうな顔をしている。

「それも知らないのか。そうだな⋯⋯。俺が二番目でトオラが三番目ってところか?ああ、ちなみにお前さんが弱いと言った奴らは入って1、2年くらいの新入りばかりだ。3年以上いる傭兵はもっと腕が立つ」

「そうなの?あなたは一番強くないのに団の長をしているの?」

「⋯⋯団長には腕っぷし以外の才能も色々必要になるんだよ」

「はんっ!あいつに団長なんて務まるかよ!」

 男がそう言った途端、アウィスがいきなりキレた。椅子から勢いよく立ち上がり、男の首を絞め上げる。

「おい。あいつのことを馬鹿にするなと言ったばかりだったよな。もう忘れたのか?そんなに死にたいなら今ここで殺してやろうか?」

「あ⋯⋯ぐ」

 男は口から泡を吹き始めた。そろそろやめないと本気で死にそうだ。あたしは止めるつもりは全くなかったけど、トオラがアウィスの腕を押さえた。

「落ち着け。八つ当たりだってことは分かってるだろ」

「⋯⋯だがな」

「いいから」

 語気を強めるトオラにアウィスはしぶしぶ男から手を離す。トオラはげほげほとむせる男に冷たい視線を送った後、その男を力強く蹴り飛ばした。

「ごべぇ!」

 錐揉み状に男は飛んでいき、宿屋の壁にたたきつけられて沈黙する。

「ウチの者が世話をかけたな」

 トオラは不快感を隠さぬままそう言った。⋯⋯大丈夫か?この傭兵団。


 その後、アウィスが階上にいた傭兵を呼んで、あたしが峰打ちで倒した連中と、アウィスとトオラが気絶させた男を介抱させた。降りてきた傭兵たちもあたしの顔を見て驚きはしたが、特に下世話な視線を送るようなことはしなかった。アウィスの言う3年以上いるという傭兵は彼らのことだろう。身のこなしからして違う。あたしに絡んできたチンピラまがいとは違う、洗練された戦士のものだ。

 ふと思い出したことがあったので聞いてみた。

「そういえば、晴天傭兵団ってのは入団試験があるって聞いたんだけど、あたしにはしないの?」

「いつもなら変な奴や、戦う覚悟のない奴をはじくためにやるんだが⋯⋯お前さんには必要なさそうだ。お前さんがやりたいってんなら別だが」

 アウィスは運ばれていく傭兵たちを見ながら苦笑する。確かにこの人数の傭兵を一人で倒して見せたのだから、それが入団試験代わりということなのだろう。

「ならいいわ」

「そうかい。⋯⋯なら改めて聞くが入団するってことでいいんだな?」

「ええ。よろしく頼むわ」

 『無双の傭兵王』こそいなかったが、晴天傭兵団が名のある傭兵団であることに変わりはないようだし、ならば相手も相応の戦士が出てくるだろう。それによくよく考えて見れば何も味方に最強がいる必要はないのだ。強敵は味方であるよりも敵である方が好ましいのではないか。

「了解だ。これからよろしくな。ソウラ」

「こちらこそ団長」

 アウィスが手を差し出す。あたしはその手を握りしめた。うんやっぱり、手に肉刺のできた剣士の手だ。

「ところであたしの質問にまだ答えてもらっていないと思うのだけど」

「質問?」

「この傭兵団最強は誰なのかって質問」

「それは⋯⋯」

 アウィスは口ごもる。カランと入り口につけられたベルが鳴る。アウィスの視線があたしの背後に向いた。トオラも同様だ。あたしは今宿屋の入り口に背を向けて座っている。アウィスとトオラが何を見たのか。気になってあたしも振り返る。

 宿屋の扉を開けて入ってきたのは不思議な雰囲気の男だった。小汚く、小柄だが均整の取れた無駄のないしなやかな体。その一着だけで一生涯過ごしてきたと言われても疑問に思わないぼろ服を身につけ、しかしその手にある剣は息を飲むほどに美しい。老人のように色が全て抜け落ちた髪は乱雑に伸ばされ、その隙間から見える瞳は濁りきった灰色。だけどその濁りの奥にはまた別のものがある気がする。

 フラフラと歩いてはいるが、その足取りはしっかりとしている。存在感がひどく希薄なのになぜか目を離せなくなる引力がある。そして揺るぎない確信があたしを襲う。

 強い。この男はあたしが今まで戦ってきた戦士の中で誰よりも強い。あたしはこの男に勝てるだろうか。無理だ。いや、無理なものか。今は無理でもいつか勝てる。いや待て待て。なぜあたしは負けを前提にして考えている?まさか無意識のうちに敗北を認めているとでも言うのか?

「ああ、カーム。新入りだ。お前も挨拶しろ」

 ひどく緊張した様子でアウィスがそのカームと呼ばれた男に呼びかける。だがカームはアウィスに一瞥をくれ、あたしをチラリと見ただけでそのまま通り過ぎていった。圧倒的無視。だけどあたしの胸の鼓動はおかしいほどに高まっていた。

「⋯⋯すまないなソウラ。あいつはああいう奴で⋯⋯っておい?」

 心臓が壊れるくらいに音を鳴らしている。カームがあたしをほんの一瞬見た時、あたしの背骨から脳髄にかけて電流が走った。顔が熱い。頬が緩む。今あたしは満面の笑みを浮かべている。

「ソウラ?」

「見つけた」

 カーム。あの男の名前はカーム。覚えた。もう忘れない。この名前はあたしの胸と頭と心とか魂とか呼ばれる所に深く刻まれた。

 一目見ただけで勝てないと思った。一目見られただけで心が燃え上がった。この感情を表現するものは一つしかないだろう。

 これが恋だ。


 後から私はカームが『幽鬼』という二つ名を持った晴天傭兵団最強の傭兵であることを知った。そしてさらにその後。ずっと後になってあの時のソウラは怖かったとアウィスとトオラに言われた。愛する人を見つけたことによる満面の笑みというよりも、極上の獲物を見つけた猛獣のようだったと。


 アウィスは明後日からまた戦場に行くと言っていた。傭兵団を二つに分けて別々の戦場に向かうのだと。つまり傭兵団に入って早々明日は休みだ。今日は高鳴る胸の鼓動を押さえて眠りにつく。幸い寝つきはいい方で、すぐに眠りにつくことができた。そして翌日。あたしはカームを一日観察することにした。

 昨日の興奮がまだ残っていたのか、日の出より早く目が覚める。首をコキリと鳴らして、はめ殺しの窓から外を見るとカームが外に出ているのが見えた。

「早いな⋯⋯」

 手早く服を着替え、刀を持って部屋を飛び出す。宿屋の一階を抜けて外へ。肌寒い空気があたしを包む。カームはすぐに見つかった。宿屋近くの広場。そこでカームは剣を振っていた。

「すごい⋯⋯」

 あたしは近くのベンチに腰掛け、その動きの流麗さに目を奪われる。まだ暗い暁の時間。その闇を払うような銀の剣閃。ふみこんだ足の力が膝、腰、体幹、肩、肘、手首と無駄も澱みもなく流れ、それがカームの持った剣の刃へと伝わる。あまりに滑らかで、目を疑いそうになるほどに迅い。下段から腰を通り、肩へ斬り抜く一閃。続けざまに首を薙ぐ。小円を描いて刃は巡り、眼前にいたであろう存在しないの敵は縦に両断された。

 美しい、完成された剣技。だがカームはそれでも満足がいかないかのように何度も何度も同じ動きを繰り返している。

「あぁ」

 同じ動きを百度ほど繰り返した後だろうか。聞き逃してしまいそうなほど小さなつぶやき。存外幼さを感じさせるその声にあたしは震える。そして次の繰り返しであたしはさらに震えた。

 三振りだった剣戟が一振りに。左下から斜めの切り上げ。続けて真横に首を薙ぐ動き。さらに続けて刃筋を変えての上段切り。三連で完成されていた型がさらに昇華される。斜めに切り上げ、真横に薙ぎ、縦に切り落とす。その動きのわずかな途切れがなくなり、斜めに切り上げた時にはもう縦に切り落としていた。

 すでに極限まで高められた業をさらに高めることは数日でできるようなことではない。「分かる」ことと「できる」ことには大きな隔たりがある。まず己の業に瑕疵があることに気づくまでに数年。そこから瑕疵を癒す方法を探るのに数年。そして瑕疵のない剣技に至るまでに数十年。それをカームはたった数分でやってのけた。

 カームは昇華されたその絶技に小さくうなずき、同じ動きを何度も反復して体に刻みつける。一つの業を身につけて、カームはまた別の技を繰り返し始めた。

 気づけば月は眠りにつき、まぶしい太陽が空の真ん中で輝いていた。その下で見るカームは確かにみずぼらしいのかもしれないけれど、誰よりも輝いて見える。無心で剣と向き合う様はあたしの目には何よりも美しく見える。

 どれくらいカームのことを見ていただろうか。ふと視線を横に向ければ遠くであたしとカームの様子を伺うトオラの姿が見えた。トオラはあたしが見ていることに気づくとバツが悪そうに顔をそむけてどこかへ行ってしまった。その後に続くように数人の傭兵が通りを歩いていったが、カームの剣を振る姿を見ると不愉快そうな顔をしてその場を去った。

これだけの剣技を間近で見る機会などそうそうあるはずないのに、彼らは馬鹿なのだろうか。それともこの剣技の素晴らしさを理解していないのか。ずっと見ていると体がムズムズしてきた。立ち上がり、刀を抜く。

 カームが初めにやってみせていた斜めの切り上げから切り落としまでの動きをあたしなりに再現する。まずは左の『水斬り丸』は置いて、右の『風斬り丸』だけで。カームは両手で振っていたが、あたしは二刀使いだから片手で振る。

 ゆるく腰を落として右の刀を左腰下部へ。あえてゆったりとした速度で足を踏み出し、速度を上げて踏み込む。腰から肩を両断する一閃。息つく間もなく首をはねる横薙ぎ。そして手首を返して小円を描き、頭から股座まで流れるように切り裂く。絶望。

「無駄が多すぎる⋯⋯」

 今まであたしの動きからは無駄を限界までそぎ落とせていると思っていた。しかしカームの動きを見て気づいた。あたしの動きには澱みがあり、その澱みが無駄を生んでいる。ほんのわずかな動きの澱み。その「わずか」が戦いでは大きな差として現れる。

 焦りを消化するために大きく深呼吸。焦りはさらなる無駄を生む。そしてその無駄がまた焦りを生むのだ。悪循環を断ち切るためには己の瑕疵を理解し、その瑕疵を癒す事だけに全身全霊を注がないといけない。

 必要なのは反復と見直し。動作を繰り返し、無駄を見つけて直す。もちろん一筋縄ではいかないことだ。少しずつ、だけど確かに前進する。カームは何十年もかけて行うその進化をほんの数分でやってみせたけれど、あたしにも同じことができるくらいの技術はある。異能がある。ならば後はやるだけだ。

 一つ一つの動きを見直しながら何度も動きを繰り返す。そうしているうちに一つだと思っていた動きは実は二つだったり、あるいはそれ以上であることが分かる。道なき道を進むような行い。しかしあたしはこの動きの完成形を知っている。それをカームの絶技から教わった。修練を繰り返して、ようやく絶望しない程度に技を高めたところで日が暮れていることに気づいた。足元は流れた汗で水たまりができている。

 山を下りて以来の充実した一日だった。これほど集中できたのはいつぶりか。大きく息を吐いて顔を上げると、カームと目が合った。澱みに満ちた灰色の瞳。だけどその奥を覗けば、透き通った色があった。汚泥のさらにその下に清らかな水があるように、彼もまた荒みきった中に清らかで純粋なものを持っている。そのことが知れたことがどうしようもなく嬉しい。

 カームはあたしのことをじっと見つめて、それから何も言わずに踵を返して広場を後にした。その姿を唖然として見送った後、あたしも宿へ帰ることにした。


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