月に嘆いて 幕間
あの日から、あまりにも色んなことがあって俺は大事なことを見落としていた。
『死神』の襲撃。それは俺たち晴天傭兵団に大きな傷跡を残していった。団長ルースの死。副団長ロイの死。他にも何人も仲間が殺された。殺された中には団長の娘ルリもいる。
半壊した晴天傭兵団を立て直すために、動揺する傭兵たちをなだめ、俺は新しい団長になった。晴天傭兵団の鉄の掟は『楽しいことがあったらとにかく笑え!』。だから俺は傭兵団の運営をするかたわら、トオラと協力して楽しいこと、笑えることを増やそうとした。そのかいあってか晴天傭兵団は団長たちの死からも立ち直り、今まで通りといかないまでもそこそこ元気にやれるようになった。一人を除いて
そう、一人を除いてだ。カーム。あいつだけはあの日の傷から立ち直ることができなかった。あの日、俺たちはいつものように3人で戦場に行き、偶然敵軍の奥深くまで深入りしすぎた。自軍の異変に気づいた時にはすでに周囲を敵兵に囲まれており、カーム一人を先に帰還させてしまった。
俺たちが軍の駐屯地に戻った時に目にしたのは滅茶苦茶に破壊され、食い荒らされたテントや死体。そしてルリの亡骸を抱きかかえて声のない絶叫を上げるカームだった。
誰もが傷ついていて、誰もが自分のことだけで手一杯。だけど俺はあいつの師匠として、もっとあいつのことに気を配ってやる必要があったんだ。しかし俺はあいつを放置した。団長になってから初めて分かった。晴天傭兵団が仕事をえり好みできるくらいの地位にあったのは、団長が『無双の傭兵王』だったからだ。かつて最強と言われた傭兵が率いる傭兵団だったからこそ、俺たちは気づかないところで楽できていた。
このままでは晴天傭兵団は晴天傭兵団でなくなってしまう。愉快で楽しい、全てを笑い飛ばせる傭兵団ではなく、陰鬱で欲にまみれた団長の理想からかけ離れた傭兵団になってしまうと思った。だから俺は。
たばこの煙と騒ぐ野郎たちの喧騒に満ちた薄暗い酒場のカウンター席で酒を飲む。場末の傭兵が頼むような安酒じゃない、店に少数置いてある上等で美味い酒だ。
あの日から3年。俺たち晴天傭兵団はかつて以上の名声と悪名を轟かせていた。仕事は引く手数多で団長の俺は忙しい日々を過ごしている。その合間に飲む酒は美味い。
いや、これは欺瞞だ。俺はあいつから目を逸らしたくて酒に逃げている。俺はズルをした。こんなにいい酒を飲めるのもズルをした結果。苦い思いから逃げるために苦い酒を呷る。
「ここにいたのか。⋯⋯飲み過ぎじゃないか?」
「トオラか。酒場に来るなんて珍しいな」
俺の隣にトオラが座り込んだ。その顔は険しく、機嫌が悪いことがよくわかる。
「アウィスは俺たちから逃げてるからな。好き嫌い言ってると捕まえられない」
「逃げてるんじゃないくて、忙しいんだよ。今や晴天傭兵団は⋯⋯」
「100人以上の傭兵を抱える最大規模の傭兵団です。だからその団長であるアウィス様は忙しくて、忙しくてしょうがないんですってか?」
トオラはギロリと俺をにらみつける。
「はん。随分と口が悪いじゃないか」
「誤魔化すなよ」
トオラが俺の胸倉を掴みあげた。そして殺意の込めた視線を俺に送る。21歳になったトオラはますますその美貌に磨きがかかり、男女問わず周囲の視線を釘づけにする。そんな男がいきり立っているものだから酒場の喧騒は止み、俺とトオラの二人に視線が集まる。
「お前は傭兵団を立て直すためにカームを利用した。違うか」
「⋯⋯」
「答えろ。アウィス」
俺はそっと目を逸らした。それが答えだ。風を切る音とともにトオラが俺を殴りつけようとする。それを俺は手の平で受け止めて、逆に捻りあげる。トオラの顔が苦痛にゆがむが、敵意は消えない。
「お前に罵倒されるのはいいが、殴られていいまでとは思えねぇな。カームのことに関しちゃトオラ、お前も同罪だ。違うか?」
「違う!」
「違わねぇだろ!」
トオラに頭突きをするとトオラの、俺の胸倉をつかむ腕が離れた。俺は捻り上げた腕を起点にトオラを投げ飛ばす。トオラは酒場の机に強くたたきつけられた。団長になって戦場に行くことはめっきり減ったが、訓練は欠かしていない。いくら強くなったとはいえ、トオラに負けるとは思わない。
「ぐ⋯⋯」
「なら逆に聞くがな。ズタボロだった傭兵団を立て直すために、他にどんな手段があったって言うんだよ。ルース団長が欠けちまえば天傭兵団はもうどこにでもある傭兵団と変わらねぇ。笑って生きるために!団長の想いを守るために!他にどんな手段があったって言うんだよ!」
「全員の笑顔のためならカームを犠牲にして言いって言ってんのかテメエは!」
「ならお前がどうにかすりゃよかっただろうが!カームの一番近くにいたお前が!」
「それは!」
言葉を続けようとして言い淀む。トオラだって分かっているはずだ。どうしようもなかったということを。トオラだって自分のことで一杯一杯でカームの問題から目を逸らして、団を明るくするという「楽な方」に逃げた。
「俺もお前も同罪だ。俺たちがカームをどうにかしてやんなきゃいけなかったのに、それどころか俺たちはカームを利用した。そうだろ」
トオラの目に涙が浮かぶ。悔恨の涙。俺もトオラも最初から全てを理解している。カームがいるから今も晴天傭兵団は晴天傭兵団でいられて。でもカームだけは晴天傭兵団ではない。俺もトオラもカームを「使って」、晴天傭兵団を立て直したのだ。
『幽鬼』。それがカームについた二つ名だ。戦場に亡霊の如く現れて、鬼のように命を刈り取る。もとから才能はあったカームだが、今ではその才能が完璧に開花し、傭兵全体でも最強の一角に名を上げられるほどになった。
しかし内情はそんな誇らしいものではない。『死神』に色んなものを奪われて、一番ダメージが大きかったのがカームだった。相思相愛だったルリを失い、しばらく彼は水も飲まず、自ら動こうともしない廃人のような状態になった。数日が経ち、死なないためにか水を飲むにはなったが、それでも虚ろな表情を浮かべたままだった。
カームが自らの意志で動きだしたのはあの日から一月も経った後のことだった。そしてその日からカームは人が違ったようになってしまった。
ろくに食事もとらなかったせいで眼窩は落ち込み、フラフラとした足取りでしか歩けない。根元が白くなった髪を乱雑に伸ばして顔を隠し、存在感も希薄だから「まるで亡霊だな」とまで揶揄する傭兵もいた。
この状態のカームを戦場に出してもすぐに殺されるだけではないか。そうは思ったが、そんなカームの唯一の意思表示が戦場に行くことだった。だから俺は観念してカームを戦場に送りだした。ピンチになれば俺が助けよう、そう思って。だがそんな心配は杞憂だった。
戦争が始まった直後、カームの姿が消えた。そして次の瞬間には敵軍の中央でカームは敵兵の首を切り落としていた。カームは敵兵のど真ん中で戦い続けた。カームは死ななかった。胸を深い傷が刻まれても、首が半ば斬りおとされても、次の瞬間には幻だったかのように傷がなくなっている。カームが負傷したことを示すのは破損した革鎧と首に残った傷跡だけ。
その日、カームは誰よりも敵を殺し、そして誰よりも傷を負って帰還した。
聡明で達観したところもあったが、それでもやっぱり年相応だと思わせてくれるようなカームはあの日死んだ。今いるカームは意味の分からない異能を持った、カームの残りかすか、それこそ亡霊のようにしか見えなかった。
カームは笑わない。カームは誰ともしゃべらない。酒も飲まなければ女を抱くこともない。人としての欲求を限界までそぎ落とし、人間らしさを全て切り捨てて。カームは戦場にいる時以外はずっと剣を振っている。食事は最低限。睡眠も最低限。何かに取り憑かれたかのようにただひたすらに強さを求め続けた。
そんなカームを周囲の奴らが切り捨ててしまうのも時間の問題だった。生き残った傭兵たちはそんなカームを励まそうとしたが、カームは目を向けることも、耳を傾けることもない。彼のことをそのうち傭兵団の持つ殺戮兵器のように扱うようになった。それに気づいているのか、いないのか。カームは気にする様子もなく自分を痛め続けている。
そんな古参の傭兵の態度に感化されて、新しく入ってきた傭兵たちもカームのことを同じように扱うのも当然だった。カームの上げた功績で晴天傭兵団は膨れ上がり、『楽しいことがあったらとにかく笑え!』の掟の元明るく楽しい傭兵団は変わることはなかった。だがその中にカームはいない。カームは『幽鬼』という殺戮兵器。道具だ。俺たちは光の中にいて、カームだけが冷たい闇の中にいる。もはやカームの名前を呼ぶものは俺とトオラだけになってしまった。傭兵たちはカームのことを『幽鬼』としか呼ばないから。
「おっと。ここにいたか団長⋯⋯ってお前ら何やってんだ?」
黙って唇をかみしめる俺とトオラに声をかけてきたのは、傭兵団の連絡係だ。最近俺がこの酒場に入り浸っていることを知っていて、ここに来たのだろう。
「⋯⋯なんだよ」
「ああ、入団希望の奴が来たんだが⋯⋯」
どうしてだか連絡係の鼻は伸びていた。俺もトオラも眉を顰める。
「何か変なことでもあったか?」
「いえ、それがえらい別嬪さんでな。凛々しいっていうか、かっこいいっていうか」
酒を飲んでいるわけでもないのに連絡係の頬が赤らむ。赤面する野郎なんて気持ちが悪いだけだ。
「分かったすぐ行く。⋯⋯マスター。迷惑かけたな。詫びに受け取ってくれ」
俺は腰の袋から金貨を適当に取りだして酒場を出る。「こんなにもらえない」というマスターの声が後ろから聞こえてきた。
「相変わらず羽振りが良いな」
トオラが後ろから付いてきて、力なく悪態をつく。陽気なトオラしか知らない連絡係が驚いた顔をするが、それも無視した。
「うわっ。『幽鬼』の奴まだやってやがる。⋯⋯気持ちわりぃな。そうは思いません?団長」
俺たち晴天傭兵団は今、とある小国の王都にある大きな宿屋に陣取っている。そこから少し離れたところにある広場で月に照らされたカームは一人剣を振っていた。
夜空のようだと言われた髪は真っ白に色が抜け落ち、服はスラム街の人間が着るような安価で薄汚れたものだ。無表情な顔だが灰色に濁った瞳だけは狂気に満ちた昏い輝きを放っている。しかし振っている剣は一流の鍛冶師が鍛え、魔法が刻まれた特級の武器だ。切れ味鋭く、いくら斬っても鈍らない。恐ろしく軽く、しかし頑丈だ。
だがその剣は俺たちの目には見えない。カームの剣を振る速度は常軌を逸している。俺には剣の残像しか見えない。もはや俺やトオラの二人がかりでもカーム相手では数秒ともたないだろう。それだけの業をカームは手にしていた。
かつてのカームを知らない新参者の連絡係の頭を俺は強く殴りつける。
「二度と、あいつをそんな風に言うな」
連絡係は文句を言いたげな顔をしたが、俺の顔を見ると青ざめて頭を何度も深々と下げた。それを見ながら内心自嘲する。
(俺が言えることではないはずなのにな)
カームにかける言葉はないし、かけられる言葉もない。黙々と剣を振るカームを見ないようにして通り過ぎ、俺は宿屋に入った。
貸しきっている宿屋の一階入り口は広々としていて、普段は傭兵たちが各々団欒している場所だ。だが今日は様子が違った。
「なんだこりゃ?」
思わず間の抜けた声を上げる。死屍類推。ロビーの様子はそんな言葉がよく似合うありさまだった。傭兵たちは皆意識を刈り取られていて、床に乱雑に寝転がされている。その中央には椅子に座った一人の女の姿があった。
「あら。あんたがこの傭兵団の団長?」
立ち上がったその女の肌は健康的な赤を差した純白色で、黒檀色の艶のある髪を短く伸ばしている。睫毛が長く、瞳は光輝くようない緋色。なるほど確かに連絡係の言っていた通りこの女は凛々しい。腰に差した二本の刀がその印象を強めている。だがそれ以上に王道を進まんとする覇気を感じることができた。
「晴天傭兵団は数ある傭兵団の中でも実力のあるところだと聞いていたんだけど、拍子抜けね。弱過ぎ。あんたら二人は少しくらい骨がありそうだけど」
「お前さんが入団希望の?」
「ええ。こいつらみたいなへなちょこばっかりだったらこっちから願い下げだったけど、あんたらみたいなのがいるならいいわ」
やたら自信ありげな女だ。しかし女にはそれが許されてしまうほどの何かがあった。
「名前は?」
「ソウラよ。よろしくね。団長さん」
太陽の如く輝く少女ソウラ。ソウラとカームの出会いが何をもたらすのか、俺はまだ知らない。
次は〈月に嘆いて〉の3年後です。良かったら次も見てね。