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空を仰いで 幕間

 俺が初めてカームに出会ったのは2年前、とある小国のゴミ溜めでのことだ。一つの戦争が終わり、晴天傭兵団の新たな雇い先を探して、小国の王都(というほどご立派な所ではなかったが)に来ていた俺は道に迷い、誤ってスラム街のようなところに来ていた。

 数か月前、その小国の近くの国が滅びたこともあってか、スラムにはみずぼらしい恰好の人間であふれていた。

「どいつもこいつも目が死んでやがる」

 住んでいた国が滅ぼされ、身一つで隣国に転がり込んできたのだからそれも致し方あるまい。敵国の兵士に捕まり、奴隷のように酷使されるくらいなら隣国の隅で朽ち果てることを望んだのだろう。だがどうしても気に入らない。

 とはいえ目の死んだ者の多いスラム街といっても、活気のいい奴はいる。教会の炊き出しやゴミ漁りではなく、スリや強盗をして金を稼ぐような連中だ。そう言う奴は大抵しばらくすると国に蔓延るごろつきに目をつけられ、上納金を収めるか、下っ端にさせてもらうかしてスラム街から抜け出せる。最も俺にスリや強盗を働く人間はほとんどいない。

 当然だろう。丸太のような腕に大木のごとき足。その上で背中に重厚な大剣を背負っているのだから、よほどの大馬鹿出ない限りは見て見ぬふりをする。実際スラム街を歩いている連中は俺の姿を見ると、慌てて目を逸らす。からまれたくないのだろう。

「ふん!」

 道に迷った時は現地の人間に聞くのが一番だ。稀に味方のアジトに誘い込まれて脅されることもないではないが、その時は敵を拳で薙ぎ払えばいい。

 排泄物やら腐った野菜のカスやらが隅で悪臭を放つ道を歩いていると、フラフラと前から小さな少年が歩いてきた。齢は5つほど。顔はやせ細り、目は当然の様に死んでいる。少年は俺の体にドンとぶつかった。その瞬間手は鋭く動き、俺の懐にあるはずの財布を探る。その手を俺は掴み取った。

「あぅ⋯⋯」

「いい度胸をしている」

 腕ごとよほどの大馬鹿者である少年を持ちあげると、彼は虚ろな目を俺に向けてきた。そしてその目が俺の背後を捉える。俺は振り向くこともないまま、後ろ足を蹴り上げた。

「くっ⋯⋯」

「ほう」

 だが俺の足は空を蹴った。振り返ると、8歳くらいの少年が俺の蹴りを避けたのか、地面に這うようにして俺のことをにらみつけていた。その手にはナイフ。虹色に輝く水晶製のナイフを持っていた。

「アガラを離せ!」

 今俺が吊り上げているアガラと呼ばれた少年とは違い、ナイフを持った少年の目は死んでいなかった。黒い髪も肌を汚れ、着ている服はつぎはぎすらない穴の開いたもの。しかしその目はどこまでも透き通っていて、生きようとする執念にあふれていた。

 少年は気弱なものなら殺せてしまいそうな視線を向けつつ、俺の隙を探している。気まぐれに俺は少年に向けて軽く殺気を放ってみた。

「う⋯⋯」

 少年は冷や汗をかき、一歩後ずさったが逃げることはなかった。その顔にますます剣呑なものを映す。その時だ。ガクンとアガラが力を失った。殺気の余波を浴びて、気を失ったらしい。

「アガラ!」

 それが少年にも分かったのだろう。吊り上げられたアガラと俺を交互に見る。少年の目には心配の文字が浮かんでいて、どうにもおさまりが悪くなった。

「すまなかったな」

 俺はアガラをゆっくりと下ろして少年の前に寝かしつける。少年は俺の急な変化に戸惑っている様子だ。

「悪気はなかったんだ。だがせっかくだ。スラムの出口を教えてくれ」

 少年はあっけにとられた様子で俺のことを見ていたが、やがてゆっくりとした動作でうなずいた。


 出口に向かいながらアガラを背負った少年と話をする。少年はカームと名乗った。道すがら俺はカームと色んな話をした。スラムにはいつからいるのか、アガラとはどういう関係か。どんな生活を普段送っているのか。

 どうやらアガラは幼いカームをスラム街で守ってくれた人の弟らしい。だがその人間は数年前に病気で死んでしまった。それからカームは一人で幼いアガラを守っているのだそうだ。

 話しているとカームは聡明であり、また年齢以上に達観したところがあることが分かった。その上本気ではないにしろ、俺の蹴りをよけるほど身のこなしには長けている。俺がナイフのことを聞いた時もカームは警戒した顔をした。だが俺がナイフを奪うつもりがないことが分かると安心したように話しだした。

「親からもらった、んだと思う。親の顔は覚えていないけど」

「そうなのか」

「うん。何となく顔とか、抱きしめられたことは覚えている気はするんだけど、あいまいだ。物心ついた時にはここにいたしね」

「そのナイフ、盗まれたりはしなかったのか?」

「そりゃ何度もあるよ。昔はね。だけど取られてもしばらくすると僕のところに帰ってくるんだ。多分これは珍しいもの。スラムの連中もそれを知っているからナイフを盗もうとはしない。そもそも一対一で僕に勝てる人はいないよ」

「だろうな」

 カームの身のこなしは天性のものだ。それでもまだ原石。磨けばきっとものになる。

「ここだよ」

 気づけば俺はスラム街と平民街の境目に立っていた。平民街は明るく清潔で、スラム街は暗く汚れている。カームは外見こそ汚れているが、その目からは強い光が感じられる。カームはここで埋もれていい人間ではない。

「なぁカーム。俺のところに来ないか?」

 それを思えば俺はカームを傭兵の道に誘っていた。カームは驚いた表情をして迷いを浮かべた後、背中で眠っているアガラに目を向けて首を振った。

「そうか」

「アガラを捨ててはいけないよ。貴方が連れていきたいのは僕だけなんでしょう?」

「そう、だな」

 無駄飯食らいを身内に入れる余裕はない。特に先の戦争では雇った軍が負けたため、報酬は少なかった。俺が欲しいのはカームだけ。そのことがカームにも分かっているからこその拒絶。自分がいなければ弟分のアガラは生きてはいけないとカームは分かっている。自分のことよりもカームはアガラの命を思ったのだ。

 それがカームの強さであり、弱さでもあるのだろう。過酷な環境でも仲間のことを優先できる。優先出来てしまう。道案内の礼として銀貨を渡そうと思い、それを止めて銀貨一枚分の銅貨を渡した。

「こんなにもらえないよ」

「もらってくれ。おかしなことを言った詫びだ」

 そう言うとカームはしぶしぶ銅貨をズボンの中にしまい込んだ。

「さよなら」

「ああ、またな」

 そうして俺は平民街へ、カームはスラム街へ向かって行った。


 これが俺とカームの初めての出会い。その後俺はその小国で仕事をもらい、戦場へ向かった。それからいくつか戦場を巡って、カームのいたスラム街にまた来たのが2年後のことだ。2年前俺が仕事を受けた小国は滅んでいて、国の名前は変わっていた。

 国の名前の変わったその国に仕事をもらいに行く時ふと、俺はカームのことを思い出した。あの澄んだ瞳をした少年はまだ生きているのだろうか。そう思ってスラム街へ足を向ける。

 スラム街は相変わらず死んだ目をした人間であふれていた。ただでさえ薄暗いスラム街の上空には雲が重なっていて、いつ雨が降ってもおかしくはない。しばらくスラム街をうろついていると、見覚えのある少年の姿を見つけた。俺は声をかけようとして、息を止めた。

 カームはガラクタやゴミが積み上げられてできた山の上で曇天の空をただ見上げていた。悲しみと絶望がカームの胸の内に満ちて、それが周囲にまであふれているようだった。虚ろな瞳は厚くかかった雲を見ているようで、その実何も映していない。ダラリと落ちた手には虹色に輝くナイフが握られている。

「カーム」

 意を決して呼びかけると、カームは力ない様子で俺の方を見た。

「ああ。いつかの傭兵さん。こんにちは」

 虚ろな声に亡霊のような姿。瞬きをすれば消えてしまいそうなほどに彼から生気というものが失われていた。ただその虚ろな瞳は相変わらず澄んでいて、それがどこか痛々しい。

「何があった」

「アガラが、死んじゃった。僕がちょっと目を離した隙に、質の悪いごろつきに絡まれて。僕がもう少し早く戻っていれば、アガラは死ななかった」

「どうするつもりだ」

「仇討ちに」

 カームの顔がゆがむ。それは怒りをこらえるようで、また涙をこらえるようでもあった。

「勝てる見込みはあるのか」

「ないよ。そんなもの。相手は大人で数も多い。魔法を使える奴だっている。そんな連中相手に僕一人挑んで勝てるはずがないじゃないか」

「ならどうして挑む」

「アガラのために」

「それは違う」

「どういうこと?」

 力ないままカームは俺のことをにらみつける。

「死者は何も思わない。ただ星となり、夜空で生者を見守るだけだ。アガラは何も思わない。カーム、お前のことをただ見守るだけだ。お前が勝ち目のない戦いに挑んだところでアガラは何も⋯⋯」

「だったら!」

 ポツリと、雲から雨粒がこぼれだした。

「だったら!僕はどうすればいい!この気持ちを!この悔しさを!この辛さを!僕は!アガラにどう詫びればいい!兄さんに!なんて言えばいい!僕のせいだ!誓ったのに!約束したのに!アガラのことを守るって言ったのに!」

 悲痛な叫びがゴミ溜めに響く。それに呼応するかのように空に溜まった雨が決壊した。本の数滴降るばかりだった雨はあっという間に土砂降りへと変わる。カームは俺のことをにらみつける。力を失った様子はもうどこにもない。怒り、悲しみ、憎悪、そして何より自分自身を責める気持ちにあふれた、どこまでも澄んだ瞳が俺のことを貫く。

「ならば!」

 カームは今自分の思いの丈を叫んだ。だからこそ俺も俺の思うことを伝えたい。

「アガラの分までお前は生きろ!」

「生きる?」

 カームはわなわなと唇を震わせる。自分には生きる価値なんてないとでも言いたいのか。

「人間というのは常に何かを殺しながら生きる生き物だ。生きるということは命を喰うということだ。お前が日々口にいれているものも元をたどれば何かの生き物で、命を殺すことで、命を積み上げることでお前は生きている」

「僕は」

「だったら、お前はアガラのことを忘れずに、ずっと抱えて生きろ。アガラという大事な弟分がいたことを、アガラがいたからお前も今まで生きてこられたということを、その事実を抱えて生きていけ。人は死ねばそれまでだ。だがカームはまだ生きている。人は死ねば星になる。だがアガラをお前が忘れずにいればアガラはお前の心の中で生き続けることができる。だから」

「僕は」

 カームの声が震える。手に持ったナイフを胸に抱き寄せる。心の中にあるものがこぼれてしまわないように。

「僕は、生きていてもいいのかな」

「当然だろうが!」

 俺はゴミ山へ足を踏み出し、迷うことなくカームを抱きしめた。

「カームは生きろ。生きて、生きて、生き抜け。命の尽きるその瞬間まで無くした命を抱いて生きていけ」

 強張った体の力が抜けていく。カームの手がゆっくりと持ちあがっていき、俺の体を抱き寄せた。

「ぼ、僕、僕は⋯⋯!アガラ!」

 カームは大声で泣きだした。すがるように俺の体に抱き着いて、アガラの名前を呼びながら泣いた。カームとアガラの間にどんな絆があったのかは分からない。しかしカームは大粒の涙をこぼしながら、己の苦しみを吐き出すようにして泣き続けた。


カームは泣いて、泣いて、泣き疲れて眠ってしまった。ゴミ山の上に座り込み、カームの頭を膝の上に乗せ、ゆっくりとその顔を撫でる。眠るカームは年相応の子どものように見える。雨は止み、直太陽の光が射しこんでくるだろう。

そしてゴミ山を囲む数人の人影。柄の悪い連中が10人ほど。堅気には到底見えない彼らは俺と膝の上のカームを見てニヤニヤと笑っている。

「おいおっさん!そのガキをこっちに寄越せや」

 どうやら目の前の連中がアガラを殺したやつらで、しかも相手の実力を見極められないほどの愚か者であることを察することができた。

(こんな連中にカームとアガラは⋯⋯)

「聞いてんのかこのデカブツが!」

 俺は無言のままゴミ山を構成するゴミの中から、壊れて使い物にならなくなった椅子を掴みあげて放り投げた。

「は⋯⋯ぶっ!」

「ちっ。残念だ」

 椅子はチンピラの顔面に直撃したが、チンピラは後ろに飛んでいっただけで死ななかった。俺はどよめくチンピラたちをよそにカームが起きないようにゴミ山の上に寝かし、山を下りながら大剣を抜いた。

「や、やんのかコラァ!」

 チンピラの一人が粗末なナイフを抜くが、声が震えている。ようやく彼我の実力差に気づいたらしい。が、もう遅い。

「ああやってやるよ。お前らは皆殺しだ」

 俺はチンピラどもに大剣を振るう。


 それから俺はカームを晴天傭兵団に入れることに決めた。始めは暗かったカームも笑いの絶えない傭兵団の中にいるうちに、次第に明るくなっていった。聡明で、性根の優しいカームが傭兵団に馴染むのにもそう時間はかからなかった。

 今カームは12歳。『紅蓮の魔女』と戦った時はどうなるかと思ったが、無事でよかった。カームはどうやらルリのことが気になっているらしいが、どこぞの馬の骨ならともかくカームになら、まぁ考えてやらんこともない。

 俺はかつて『無双の傭兵王』という二つ名がつけられた傭兵で、今は晴天傭兵団の団長をしている。仲間を失うこともあるし、失えば辛い。だがカームやトオラのような未来のある子どもたちを見ると、そんな悲しみは吹き飛んでしまう。

 俺がするべきなのは失われた命を忘れることなく、明日を生きることだ。いつかカームに言ったように生きて、生きて、生き抜いてやるのだ。

次は<空を仰いで>の3年後になるお話です。

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