空を仰いで(2/2)
戦場は何度も続いた戦いのせいで緑あふれる周囲の山々と違い、草一つ生えない砂地になっている。広さは2キロメートル四方位。兵士の数は両軍ともに200人くらいと僕ら傭兵がそれぞれ20くらい。
僕らは戦場を駆けながら組みしやすそうな相手を探す。こういう時は傭兵同士で戦わないのが基本だ。傭兵は兵士より悪知恵の働く者が多くて手強い。それはお互い分かっているし、仕事によっては一緒に戦うこともあるからよほどのことがない限りは避ける。狙い目は昨日今日戦場に来たばかりの若い兵士。それも調子に乗っていそうな相手がいい。
「おお!お前らぁ!戦場に子どもがいるぜ!」
「⋯⋯アウィス」
「ああ。“狙い目”だな」
運のいいことに僕らが探す前に先にそんな“狙い目”の相手が出て来てくれた。真新しい金属鎧に身を纏った若い4人の兵士。どれもこれも血気盛んに剣を振り回している。
2年も傭兵をやっていると、何となくどんな相手が倒しやすくて、逆にどんな相手とは戦っていけないかが分かるようになってくる。一番の狙い目は目の前にいるような徴兵されてきて間もない兵士。こういう兵士は大体戦場の空気に当てられて冷静さを失っているか、無理に武功を立てようといきがっている。次に武器の手入れを怠っている兵士だろう。
狙っていけないのは使いこまれた装備を持った身のこなしに隙が無い兵士。戦士として脂ののった危険な相手だ。次に得体の知れない奴。
そしておそらく僕も狙ってはいけない相手だろう。僕は12歳でつまり少年兵だ。幼い子どもが戦場にいる理由として考えられるものは大きく二つ。使い捨ての人間爆弾か大人に混じって戦えるだけの実力があるかだ。どちらにしても近づかない方がいい。僕ならまず近づかない。
相手との距離はすでに10メートルほど。この距離なら、届く。
「先に行くね」
「行ってこい」
すでに抜いていた剣をダラリと下げ、腰をスゥッと落とす。そして直進。
「あ?」
大地を蹴って10メートルの距離を一気に詰める。目の前には呆けた顔の兵士が一人。彼の鎧の隙間を縫うように剣を振るう。僕の剣は兵士の腹の辺りを深く切り裂いた。
「あひゃぁ!いっ、いだい!いだぁぁぁぁぁ!」
周りの兵士たちの負傷した彼を助けるでもなく呆然として見ているばかり。隙だらけだ。そんな隙だらけの兵士の首に空いた片手で抜いたナイフを、手を一杯に伸ばして突き立てる。そうするとギュルン白目をむいて口から血の泡をふいた兵士は騒ぐのを止め、空を仰ぐように倒れ込んだ。
「オ、オードリー!!」
そこでようやく兵士の一人が動きだした。叫びながら僕に技術も何もない剣を振り抜こうとする。でもその剣も僕には届かない。
「ぼごぉ⋯⋯」
兵士の体が急に発火した。上半身が燃え、悶絶している。火を消したいのか手を振り回すが、その手も宙を切るばかり。やがて彼も力を失って地面に倒れ込んだ。火は燃えたままだ。
「ありがとうトオラ」
「ふっ!何のまだ二人残っているぞ!」
敵兵に火をつけたのは自信ありげに鼻を鳴らすトオラだ。彼は発火の異能者だ。戦場そのものを火の海にするような真似はできないけれど、人一人くらいなら簡単に燃やしてしまえる。
「うん。でももう、ね」
「あー」
僕らが話しているうちに残る二人の敵兵はアウィスがさっさと倒してしまった。
「戦場でおしゃべりたぁのんきなもんだな」
それこそ、ここが戦場でなかったら拳骨が落ちていたことだろう。素早く敵兵を倒したという証明になる死体の耳を切り取って、僕らは次の獲物を探しに行った。
「しまった!体を焼いてしまうと耳が取れない!」
トオラは火をつけることはできるけど、消すことはできない。トオラの悲痛な叫びに僕はそっと目をそらした。
今日は一番に狙い目の新兵を見つけることができたけど、普段はそうはいかない。狙い目なんてそうそういないのだ。敵兵と戦って勝てればそれでよし。負けそうなら隙を見て逃げるし、それは相手も同じこと。敵を一人も倒せない日も少なくない。トオラの発火の異能も発動前に熱が集まる予兆があるから、上手く体を燃やせることは少ない。僕の距離を一気に詰めての不意打ちも受けられることの方が多い。アウィスは少なくとも一日に一人は敵を倒すけれど。
「⋯⋯なぁアウィス。変じゃないか?」
「変?」
太陽が昇った頃に戦いが始まって、太陽が朝に昇って長く、そろそろ夕暮れに変わる時間帯だ。直に日は月と入れ替わるだろう。今日の戦争もそろそろ終わり。僕らはあの後何度か敵兵と戦ったけれど、妙に引け腰で倒すことはできなかった。途中休憩をはさみながら戦場を回っていると、トオラが真剣な面持ちで話しだした。
「変だ。ほら」
トオラは戦場のある部分を指さす。そこには最初に敵軍が放ったものと同じ火の矢が刺さっていた。矢は途絶えることなく燃え続けている。
「あれ?」
そこで僕も疑問を抱く。魔法でできた火の矢は火であって火じゃない。あくまで魔法で作られた偽物の火だ。精神力を火に変えてそれを撃ち出すのが火の矢という魔法。時間が経てば魔法は解けて火の矢は消える。火をつける瞬間だけ異能が発現して、後は自分でも制御できないトオラの異能とはそこが違う。
目の前にある火の矢はしばらく見ていても消える気配がない。嫌な予感がして背中に冷や汗が流れる。
「そういえば、今日の敵兵はやけに慎重だったな⋯⋯」
ポツリとアウィスがつぶやいた。初めの4人組を除けば僕らの戦果はゼロ。そう、あれ以降アウィスすらも敵を倒していない。相手が必要以上に守りを固めている証拠だ。
「なぜ慎重になる?死にたくないからか?いやそれは戦場に行くなら当然のことだ。なら理由は無理に攻める必要がないからか?命をかけて戦う理由がない。だとすれば⋯⋯!」
ハッとした様子でアウィスが顔を上げる。正解だと言わんばかりに、戦場の空気がグニャリとゆがんだ。大きな力が戦場を埋め尽くす。そして地面に突き刺さった火の矢が激しく燃え上がる。
「まずっ⋯⋯〈風はふいても火は燃えない。吹き消せ。吹き消せ。お前は蝋燭〉全員下がれ!」
地面に魔法陣を書いた紙を叩きつけてアウィスは火の矢から距離を取る。僕らも急いでその後に続いた。
戦場を炎が埋め尽くした。
「うぅ⋯⋯」
「カーム無事か!?」
どうやら少しの間意識が飛んでいたらしい。トオラの呼びかけで僕は目を覚ました。そして周囲の光景を見て絶句する。
「何⋯⋯これ」
「⋯⋯敵の魔法だよ。やられた」
空は茜色に染まっている。そして大地も赤色に染まっていた。黒く焦げ付いた大地にメラメラとあちこちに火が走っている。その火にやられて味方の兵士が何人も火傷に苦しんでいる。極め付けは僕らが来た駐屯地の方向。そこへ帰ることを遮るようにそそり立つ炎の壁が立ち上がっていた。
「けほっ!けほっ!」
炎に焼かれたからか、空気は乾燥していて熱い。肺に熱された空気が入ってむせかえる。
「おう⋯⋯。カームも無事だったかぁ。良かった。良かった」
「アウィス!?」
力のない声。アウィスは心底疲れ切った様子で地面に横たわっていた。外傷は見当たらないからおそらく魔法の使い過ぎ。僕たちを炎から守るためにありったけの精神力を使ったのだろう。
駆け寄る僕にアウィスは続ける。
「いいかぁ、よく聞け。俺はしばらく動けそうにない。俺を置いて逃げろ」
「何を!」
トオラが激したように怒鳴る。
「そんなに怒んなよ。素が出てんぞ」
アウィスはおどけた調子でしゃべるが、トオラは剣呑な表情のままだ。
「そんなことはどうでもいい!あんたは俺の師匠だ!恩人を置いて逃げられるか!そもそもどこに逃げる!」
トオラはピッと炎の壁に遮られた自軍の駐屯地の方を指さす。
「逃げる場所なんてない。だったらあんたのいるここで踏ん張って奇跡を待つしかない」
「そうかよ⋯⋯。くそ。トオラの言うことにも一理ある、か」
見たところ僕らのように炎から逃れることができたのは自軍の兵士の半分ほど。傭兵団の皆は分からない。逆に敵軍の兵士は鎧を焦がしてはいるものの、火傷に苦しんでいる人間はごく少数だ。
「火除けの魔法を刻んだものでも持っていたのかね」
戦いの終盤、兵士たちが最も疲れている時間帯でのこの魔法。発動までに時間がかかる魔法なのか、それとも火を戦場にばらまくのに手間がかかったのか、どちらにせよ狡猾な悪意を感じる攻撃だ。どことなく手口が傭兵くさい。
「カーム。考え事は後だ」
地面に転がったままアウィスは警戒を促す声を上げる。向けた視線の先には戦場に似つかわしくない老婆が一人。アウィスは歯噛みする。
「くそっ!よりにもよって『紅蓮の魔女』かよ!」
「イッヒッヒ。おやまあ可愛い傭兵さんたちだこと。食べてしまいたいわぁ」
杖をつきながらゆったりとした歩幅で歩いてきたのは黒いフード付きのマントを被った小柄な老婆。フードの隙間から見える顔はしわくちゃで見るもおぞましい。やせ切った手に黒ずんだ杖を持ち、気味の悪い笑い声を上げている。
「『紅蓮の魔女』⋯⋯!」
二つ名持ちの傭兵だ。名前だけは僕も知っていた。高い魔法の才があるにもかかわらず傭兵を続ける変わり者。炎を操る魔法を極めた魔法使い。そして炎に魅せられて狂った魔女。傭兵の中でも際立って質の悪い怪物。
「初めまして。坊ちゃんがた。あたしはフラン。『紅蓮の魔女』なんて呼ばれているしがない老いぼれの魔法使いだよぉ」
乾いているのにその声はねっとりと耳に絡みついて離れない。嫌悪感で思わず一歩フランから距離を取る。剣を持つ手が震えた。
「これをやったのはお前か?」
いつもの陽気さをひそめたトオラが鋭い声で問いかける。だがその鋭い言葉の刃をものともせず、フランはカラカラと笑う。
「もちろんさぁ。戦場を炎で満たす!こんなことができるのは、あたしはあたし以外知らないねぇ!」
「そうか。じゃあ死ね」
トオラの言葉と同時にフランの体が火に包まれた。トオラの起こした炎は小柄なフランの全身を包み込む。
「ああああぁぁぁ!」
フランは炎の中悲鳴を上げ、そしてニタリと嗤った。
「あああ、あはっ。あっははははははははははは!!」
フランを包む炎が収束する。炎はうねり、曲がり、蠢き、やがてフランの杖の上に炎の玉の形に収まった。フランには焼け跡一つついていない。
「駄目か⋯⋯」
「当然さぁ。あたしは炎を極めた魔女。この程度、詠唱やら触媒やらがなくとも朝飯前よぉ」
魔法には詠唱破棄、という技術があるらしい。魔法を自分の中だけで構築して操る。才能ある魔法使いが全てを費やして初めてたどり着ける境地。この老婆も当然のようにその領域に足を踏み入れている。
「お返しさぁ」
カツンとフランが杖で地面を叩く。すると杖の上に留まっていた炎が一直線にトオラに飛んでくる。
「トオラ!」
僕はトオラをかばうように火球の前に飛び出した。剣で斬り裂く、その思いで剣を振りかぶる。
「甘いねぇ。砂糖菓子みたいだ」
だけど火球は僕が剣で切り裂くとその形を変えた。二つに分かれた火球は6本の鞭になって僕の背後に向かう。
「な⋯⋯」
「土台、剣で炎を斬れるわけないじゃないか」
「がああぁぁ!」
「トオラァ!」
振り返るとトオラは炎の鞭で全身を打たれていた。炎症と打撲。起き上がれないアウィスが絶叫し、トオラの顔が苦痛でゆがむ。
「この!」
炎の鞭はトオラの鎧を抜いて衝撃を体に伝えた。トオラの鎧は壊れ、炭化しているところもある。重症だ。早くしないと手遅れになってしまう。早くするにはどうすればいい?そんなこと決まっている。
地を這うようにしてフランの懐に入り込む。斬り上げた剣はフランの杖に防がれる。
「おやまぁ。お転婆だねぇ」
間近で見るフランの顔は愉悦がにじんでいて醜悪の一言。鳥肌が収まってくれない。詠唱するわけでもなく、触媒を取り出すわけでもなく、フランは僕を舐めるように見つめている。なめられている。
「うぐ」
「可愛いねぇ。お持ち帰りしようかなぁ。いいかなぁ。いいよねぇ!」
「黙れ!」
這い上がってくる恐怖を振り払うように何度も剣を振る。その全てをフランは杖で受け止め、いなす。横薙ぎの一閃。右斜めからの回転切り。目線で誘導しての下段切り。優れた魔法使いは魔法を使うための時間を稼ぐために体術や剣術を習うと聞いたことがあるけれど、フランの杖術はそれだけで戦えそうなほどに熟練している。
「拙いねぇ。幼いねぇ。しかしそんなに小さくてかわいいのにそれだけ剣が使えるのかぁ。くふふ。たっぷり遊んで贄にするのは惜しいなぁ」
ゾッとした。こいつは今何と言った?
「贄、だと」
「そうとも。戦場を覆う位の炎の魔法。いくら火種があったからと言っても簡単にできるわけがないじゃないか。あれはねぇ」
フランはしわくちゃの顔をグチャリとゆがめて嗤った。
「人間が燃やされて苦しむ様を触媒にしているのさぁ。燃えて苦しみ精神すら尽き果てる。それこそが贄であり、最高の触媒よぉ」
「狂ってる!」
思わず口から言葉がついて出た。人を殺すための魔法を使うために人を殺す。そんなこと認められるはずがない。
「狂っている。いいじゃないか。魔法を極めようっていうんだ。狂わないでできるものか」
そろそろ仕舞いにしようか。フランが言う。そして彼女の周りに火の玉が5つ浮いて出た。
「まだ、殺しはしない。ただちぃとばっかし気を失っておくれ」
わずかな時間差を置いて火の玉が飛んできた。
「なめるな!」
一つ目。正面に飛んできたそれを横に飛んでかわす。二つ目横から迫るそれを後ろに下がってかわす。三つ目と四つ目。上下から来た火の玉を今度は前に進んで凌ぐ。火の玉同士がぶつかり消える。そして五つ目。上空から来た火の玉を⋯⋯。
「後ろだカーム!」
「あぁ!」
アウィスの叫び声。背後から衝撃。熱された石をぶつけられたような痛みが走る。そして理解する。かわしたはずの一つ目。あれはかわしただけで消えてもいない。トオラに撃った火球をあれだけ自由に操れるのだ。フランに気圧されて頭が回っていなかった。魔女なんだ。火の玉の進む方向を変えること位わけないだろう。
とっさの判断で剣を上に掲げる。それで五つ目を相殺する。そして横から衝撃。一つ目が操作できるのだ。当然かわしただけの二つ目も操れる。
「ふぐっ⋯⋯!」
それだけでは終わらなかった。僕の前に躍り出たフランが杖を鎧越しに鳩尾へ突き立てる。内臓がひっくり返るような痛みが走る。視界が眩み、意識が遠のく。剣が僕の手からこぼれ落ちる。
「イッヒッヒ。これで⋯⋯」
「ま⋯⋯だだ!」
火の玉は全て消えた。フランは今手の届く位置にいる。手の震えを押さえこみ、腰に差したナイフを抜く。
「むぅ!?」
それを見たフランは身をよじってナイフを避けようとする。でもこの距離でかわすのは無理だ。
「つぅ⋯⋯!やってくれるじゃないか坊や!」
首を狙い繰り出したナイフはフランの右肩に当たった。マントを突き抜け、赤黒い血がにじむ。
(駄目か⋯⋯)
二つ名持ちの傭兵は伊達じゃない。フランは老婆とは思えない身のこなしで急所を避けた。助からない。僕はここで死ぬ。かつて面倒を見ていた少年の姿が頭に浮かんだ。あの子のことを背負って生きると決めたのに⋯⋯。
万事休す。限界に来ていた意識が遠のき始めた時。
「頑張ったな」
そんな頼もしい声が聞こえた。太い腕が僕を包み込む。目の前に見えるフランが歯の抜けた口で歯ぎしりする。
「団長!」
後ろからアウィスの声が聞こえた。僕はぎこちない動きで顔を上に向ける。そこには晴天傭兵団団長ルースの姿があった。
「『無双の傭兵王』ルースだと!」
フランの絶叫。ルースはそんなフランに構わず背を向け、トオラとアウィスの隣に僕を寝かせた。
「ルース⋯⋯」
「少し待ってろ。すぐ終わる」
ルースは僕の頭を優しく撫でた後、フランの方に向き直る。その隙にフランは詠唱を始めていた。
〈青い大地を赤に染めろ。栄える緑を黒で塗れ。枯れろ。朽ちろ。燃え尽きろ。それをなすのは我が焔。赤くて黒い我が眷属。勇猛たるたる我が主。世界に満ちて尽き果て滅べ〉
フランを中心に渦巻くような炎が生まれる。僕と戦っている時はまるで本気ではなかった。それがひしひしと実感できる魔法だ。
「滅べ!傭兵王!」
「滅ぶものか!」
渦巻く炎がルースを飲みこもうとする。対するルースの武器は太い大剣が一振りのみ。ルースは魔法も異能も使えない。僕と同じただの人だ。でも。
「むぅん!!」
津波のようにせり上がった炎にルースは大剣で薙いだ。暴風が吹き荒れ、炎が千々に散って消える。これにはフランも唖然としている。
揺るがぬ安心感が僕を満たした。この戦場には一騎当千の勇者はいないけど、名のある戦士はいる。それも格別な人が。晴天傭兵団団長ルース。二つ名は『無双の傭兵王』。魔法が使えず、異能も持たない彼はしかしどんな傭兵よりも強く、大剣一本であらゆる敵をなぎ倒してきた本物の強者。齢を取り、かつてほどの実力はないと言っていたけれど、僕が一番頼りにしている人だ。
「おのれぇ」
フランは憎悪をにじませる視線をルースに向ける。ルースはフランに大剣の切っ先を向けた。
「次はお前だ。『紅蓮の魔女』」
「はっ!あんたみたいな化け物と戦って勝てる気がしないねぇ。逃げさせてもらうよ」
「逃がすとでも?」
ルースが轟音とともに大剣を振る。しかしその大剣がフランを切り裂くことはなかった。大剣がフランを切り裂く直前、彼女の姿が掻き消える。大剣は空を切った。
「転移の⋯⋯いや身代わりか入れ変わりの魔法か」
口惜しそうにルースがつぶやいた。フランがいたはずの場所には赤黒く染められたわら人形が置いてあった。その人形もボゥと音を立てて燃え尽きる。その燃えカスをルースは踏みにじり、限界に来ていた僕の意識は途切れた。
「カーム!カーム!」
僕を呼ぶ声がする。目を開けると目の前には安心した様子のルリが見えた。起き上がろうとすると、体に痛みが走って力が抜ける。体中に包帯が巻かれている。
「駄目だよ。カーム怪我してるんだから」
「怪我?」
何があったんだっけ。そう思って気を失う直前に何があったかを思い出した。
「そうだ!トオラは!?アウィスも!」
「二人とも無事だよ。トオラも私が治癒したから元気」
「おぉ!起きたかカーム!」
僕のいるテントに元気一杯のトオラとよろよろと歩くアウィスが入ってきた。
「二人とも⋯⋯無事でよかった」
「それはこっちの台詞だ!カームおお我が弟よ!無事で何よりだ!カームが星になってしまわなくて良かった!」
「大げさだよ。トオラ」
「すまんカーム。俺がふがいないばっかりに」
「アウィスがいなければフランの炎でみんなやられちゃったんだから。いいよ。頭を上げて」
喜びを全身で表現するトオラと悔しさをにじませるアウィス。ひとしきり感情を爆発させた二人は僕が気を失った後のことを話してくれた。
まずルースは駐屯地で待機していたところに火の壁がせり出してきたのを見て、急いで戦場に飛び出していったらしい。そう火の壁を突き抜けて。壁は一メートルくらいの厚さがあったようだけど⋯⋯ルースは頑丈だから大丈夫だったんだろう。うん。ちょっと人間離れしすぎな気もする。
そして目についた敵を片っ端から薙ぎ払っていると、フランにやられそうな僕を見つけて助けてくれたらしい。炎の壁はフランが魔法で消えるのと同時になくなったらしい。その日の戦争はそのまま終わって、ルースが僕ら三人を抱きかかえて駐屯地に帰ってきたということのようだ。
フランの魔法によって多くの兵士が殺され、傭兵団の仲間も六人戻ってくることができなかった。僕はトオラにお願いしてテントの外に出してもらう。
僕が気絶している間に夜になっていたらしい。もう夜になっていた。夜空の中央には優しく大地を照らす月があり、その周りを無数の星が彩っている。昼の空は生者の世界、夜の空は死者の世界だ。昼を照らす太陽は生者の神様だ。生きて頑張っている人たちを応援してくれる。
そして夜の月は頑張って命を散らした人を優しく抱きかかえてくれる神様。そんな月に導かれた死者は星になって、夜になると僕らを見守ってくれているのだとか。僕らはいつも誰かに見守られている。今日帰ってくることができなかった仲間たちも星になって今生きている僕らを見守ってくれている。
ふと、いつかこの話を誰かにしていたような気がした。僕よりもずっと小さい子どもに、未だに知らない誰かと寄り添って。
「カーム?」
トオラに背負われている僕の横にルリが添って立つ。柔らかな笑顔。戦う人の後ろから傷ついた人を癒す彼女はきっと僕ら以上に死の世界と近いのだと思う。ただ殺すだけの僕らと違って、生と死の間で引っ張り合いをしているのだから。
「ほら、ルリ。僕はルリの治癒を受けなかったよ」
僕の言葉にルリは目をぱちくりさせた後、温もりを感じさせる優しい笑顔を僕に向けた。目がくらむほどの光はない、だけど心がほっとするような、寄り添ってくれるようなそんな笑顔。
「うん。お帰りなさいカーム」
「ただいまルリ」
月明かりのような笑顔だ。僕はルリを見てそう思った。
後日談。フランが現れた日をもって戦争は終結した。翌日、傷ついた兵士たちが戦場に行っても敵兵が一人も出てこなかったのだ。不審に思った兵士が敵軍の駐屯地まで進軍すると、なんとそこは炎で焼き尽くされた後だったらしい。おそらくフランの仕業だろうと、アウィスは言っていた。フランのような名のある傭兵を雇うにはたくさんのお金が必要になる。大金を積んだにもかかわらず敵を全滅できなかった敵国がフランともめて、その結果がこれではないかという話になった。
これで戦争は終わり、後は小国の兵士だけで敵国を侵略するということで、晴れて僕ら晴天傭兵団はお役御免となった。でもこの大陸は戦争があふれている。次の雇い主もすぐに見つかることだろう。
「そういえば、カームの髪の色ってすごくきれいだよね」
「そうかな」
戦争と戦争の合間。つかの間の安息を味わっていた僕にルリが声をかけてきた。
「うん。黒いんだけど、少しだけ青が入ってる。まるで夜空みたい」
「そっか」
夜空は黒に澄んだ青を一滴落としたような色をしていて、僕の髪の色と似ている。夜空に広がるのは無限に広がる星たちと包み込むような月灯り。
(僕もいつかルリと一緒に)
戦争は終わらない。だから傭兵としての仕事は続く。人を殺して生きる仕事だ。いつか僕自身殺される日がくるのかもしれない。だけどその日まで必死になって生きていこう。小さな手を伸ばして、短い足を必死に動かして、無力な僕たちは生きていこう。
いつか終わりを迎えるその日まで
空を仰いで 終わり
次はカームの前日譚です。
よかったら次も見てね。