太陽と笑って(4/5)
戦場の一角に広がる乳白色の地獄があった。その真ん中に立つのはカームと骸骨男。息の継ぎ目も見せないカームに対して、骸骨男は肩で息をしている。だが乳白色の地獄の存在が、一概にカームが優勢ではないことを示している。
「ヒ、ヒヒ⋯⋯。どうやら『赤銅の獣』さんは死んじまったみたいだぁ。これでいよいよあたしが生き残る目がなくなってきちまった。くそっ。ヒヒ、だがまだ勝負は終わっちゃいねぇよなぁ『幽鬼』さんよお!!」
「⋯⋯」
乳白色の地獄。大地から生えた数多の骨がカームに迫る。上から落ちてくる巨大な手の平をかわし、横から払い飛ばそうとする足を切り倒し、地面から生えて足を掴もうとする手を踏み潰す。
雪崩のように迫ってくる骨の嵐をカームは的確に対処していく。
「ヒヒ⋯⋯」
その隙間を縫うような骸骨男の短刀による突き。背後はあばら骨で作られた壁が高くそそり立ち、両脇からは合掌するように亡者が手を伸ばしている。前方の骸骨男もしゃれこうべに守られて迫る。
「死ね!『幽鬼』!」
四方囲まれたカーム。後ろか前かそれとも左右か。カームはどこに血路を見出す?
「⋯⋯」
カームが選んだのは前だった。しゃれこうべの歯がカームに食らいつく。あっという間にカームはいくつものしゃれこうべに飲みこまれてしまった。その中で骸骨男の短刀が迫る。
だけどあたしに不安はなかった。あのカームがそう簡単に死ぬはずがないという確信があった。
そしてそれは正しかった。
「バ⋯⋯カなぁ?」
ガラガラとしゃれこうべが崩れ落ち、その中から剣で心臓を貫かれた骸骨男が現れた。目が極限まで開かれ、口をわなわなと震わせている様子は生者を恨む亡者のそれ。でも骸骨男の気持ちも分かる。
カームは全身をあのしゃれこうべに噛まれたはずだ。しかもカームはボロ布を身につけているだけで鎧の類は一切つけていない。ロングコートだけで鎧の類をほとんど身につけていないのはあたしも同じだけれど。
しかしカームの体には傷一つついていなかった。しゃれこうべに噛まれた部分の服は喰いちぎられて全裸に近い状態なのに、血の一滴すら流れていない。いや、彼の足元には血の跡があった。血は流れて、だけど傷が全て塞がっている。
カームは心臓に突き刺さった剣を抜いた。骸骨男が前のめりに倒れる。彼を中心に血の海が広がる。
「でた、ら⋯⋯めだ」
痙攣しながら言ったその言葉を最期に骸骨男はこと切れた。
「服着なよ」
あたしは結局素っ裸になったカームに着ていた上着を渡す。山で男の裸なんて見慣れているし、鍛え抜かれた筋肉を余すところなく見られるのは眼福ものだとしか言いようはないが、戦場で股にあるものをプラプラさせながら闊歩するのはまずいだろう。
カームはあたしの差し出した服を受け取るかどうか迷った後、結局受け取った。
「⋯⋯ありがとう」
「貸し一ね」
本当は見事な肉体美を見せてくれたお礼ということにしても良かったけれど、やりたいことができた。そのために貸しにしておこう。
「貸し、か」
「何?嫌なの?」
わずかに見せる困り顔。革製の厚手のロングコートなら前を止めれば、小柄なカームの膝までは隠せるはず。全裸にロングコートだと別の意味でやばい気もするけれど、きっと気のせいだ。
「そういうわけじゃ」
何かを諦めた顔でカームは上着を羽織った。
「あぁ⋯⋯」
「何?」
鍛え抜かれた筋肉がロングコートに隠されてしまう。もったいない。言いようのない無常観があたしを襲う。空を仰ぐと太陽が煌々と輝いていた。太陽が月に変わるまでまだ時間がありそうだ。
「いえ、何も」
「そう」
プイと目を逸らし、カームの姿が消える。
「可愛い⋯⋯」
剣を持たせれば誰よりも強く、かっこよく、それでいて子どもっぽいところもある。アンバランスでそこが魅力だ。だからこそ。
「あの傷の数⋯⋯」
カームの全身にはあまりに多くの古傷があった。それが何を指し示しているのか、あたしにも分かる。
「知りたいな」
あたしはカームの全てを知りたい。だけどまずはこの戦場で敵を倒す方が先だろう。遠くに見える敵兵にあたしは襲い掛かっていった。
「は?これで終わり?」
夕暮れになるまで目についた敵兵を殺し続けた。「戦い続けた」ではなく「殺し続けた」だ。逃げまどう敵を一方的に斬って回る行為を戦いとは呼ばない。だがどうやらあたしはやりすぎたようだ。
「ああ。お前とカームが敵の二つ名持ちの主要な傭兵を倒して、そのまま戦場で好き勝手やってくれたからな。向こうは早々に白旗を上げたよ。それに相手はこれ以上戦争を維持するだけの戦力を有していない」
「そ。つまんないの」
移動に五日かけて戦争が一日だけとは。不完全燃焼だ。
「そう言うなよ。後今日この後は祝勝会だ。『赤銅の獣』を倒したソウラは今日の最優秀賞だ。必ず来い」
「カームは?」
「⋯⋯呼んでも来ない」
「だから呼ばないんだ」
「何がいいたい」
「何も」
にらみつけるトオラの視線を無視して、あたしはトオラの真横を通り過ぎた。
今は夜だが、月がいつもよりも明るい。大地を照らす星々もいつも以上に輝いている。戦争で多くの死者が出たからだろうか。それに駐屯地のところどころに篝火が焚かれていて、かなり明るい。
「いたいた」
遠くから祝勝会で騒ぐ声が聞こえる。だけどもちろんあたしは祝勝会なんて行くつもりはなかった。探しているのはただ一人。
「カーム」
カームは篝火や月の光から逃げるように暗い場所に一人いた。あたしに気づくと目線だけを向けてきた。服はちゃんと着ている。いつものようなぼろ服ではなく、安物ではあるけれど真新しいものだ。
(そりゃそうか。わざわざぼろ服を買う必要もないものね)
カームの雰囲気とあのぼろ服が妙に似合っていたから勘違いしていた。カームは立ち上がり、ひざ掛けに使っていたあたしの上着を差し出した。
「これを」
「ありがと」
差し出された上着を受け取って羽織る。匂いを嗅ぐと何となくカームの匂いがした。うん。悪くない。
「ねぇ、カーム。あたしはあの時貸し一だって言ったよね」
「それが?」
「今返してもらおうかな」
カームが眉を顰める。ニコニコ笑いのあたしがどんな欲求をしてくるのか、不安なのだろう。あたしは両腰にある『風斬り丸』と『水斬り丸』を抜いた。
「あたしと本気で勝負して」
「⋯⋯なぜ」
カームからさらに困惑が伝わってくる。でもその手にはしっかりと剣が握られているし、目はあたしの動きを少しも見逃すまいとしている。
「あなたと戦ってみたいから。あなたはあたしが今まで見た中で誰よりも強い。それが理由よ」
「僕より強い奴はいくらでもいるよ。少なくとも僕は一人知ってる」
「『死神』っていう人?」
一瞬カームから負の情念が噴き出した。たらりと、額に冷や汗が流れる。
「⋯⋯そうだよ」
「でもあたしは『死神』なんて知らない。あたしが知っているのは誰よりも美しい剣の使い手で、意外と可愛いところもある『幽鬼』カームだけよ」
「でもそれは君が知らないだけだ」
「そうね。⋯⋯後もう一つお願いがあるんだけど」
トオラは言っていた。カームに恋心云々の話はするなと。だからこのお願いを言えば後戻りはできなくなる。下手すれば死ぬかもしれない。
上等だ。戦って死ぬかもしれないのはいつものこと。そしてこれはただの戦いじゃない。
「勝負であたしが勝ったら、あたしをカームの恋人にして」
そして周囲一帯を塗りつぶすほどの殺気がカームから発せられた。
「なぜ」
同じ問いかけ。だけど言葉の重みがまるで違う。怒り、憎悪、殺意。あらゆる負の情念がカームから溢れて出ている。けれどこの想いはきっと世界に向けた敵意なんかじゃない。
「あなたが好きだから」
空気がゆがむ。静寂に落ちた世界であたしの声はちゃんと彼に届いたはずだ。カームはうつむいていて、その表情を伺うことはできない。
「その言葉は」
カームの声は冷え切っていた。全ての感情を殺し、自らも殺した、まるで自動人形のような声。
「僕が一番聞きたくない言葉だ!」
そして感情が爆発した。渦巻く瞳があたしを捉える。カームの剣があたしを狙う。
「くぅ!」
鞘から剣を抜いて振りかぶるまでが一切分からなかった。カームの剣をかろうじて後ろに下がることでかわす。続けて二撃目。下からの切り上げを二本の刀で受け流す。
(重い!)
カームの剣は速く、鋭く、そして重い。一振りで全て持っていかれそうなほどに。
(守りに転じるな。攻めろ!)
純粋な剣の技術において、あたしとカームの間には天と地ほどの差がある。だけどそれを埋めることのできる要素が一つ。それはあたしが二刀であること。未熟な二刀使いは二つの刀を扱いきれずに、一刀の時よりも劣ってしまう。だけど熟練した二刀使いなら!
「シッ!」
切り上げを受け流して、強引に攻めに転じる。踊るように、舞うように。『風斬り丸』と『水斬り丸』は夜闇を切り裂く。
「⋯⋯」
熟練した二刀使いは両の刀を全く別の動きで扱うことができる。それはつまり二人の実力の同じ剣士が力を合わせることと同義。それでいて刀を手繰るのは一人だから息が乱れることもない。
縦横無尽に駆け巡る剣閃をカームは一振りの剣で凌ぐ。払い、いなし、真っ向から斬り結ぶ。ものすごい速さであたしの全てが読み取られていく。徐々にカームの剣に余裕ができてくる。反撃の余地が生まれる。
あたしは双刀で踊り続ける。けれどダンスの相手は無粋にもその流れを振り切って剣をあたしに繰り出す。瞬きの間に剣を二振り。刀を左右に斬り払う。あたしの体は開いていて、突き出された剣を防ぐことはできない。ギリギリ間に合わない。このままでは殺される。だけど。
「まだ!」
意志の力で限界を超える。『風斬り丸』が限界を超えて動き、カームの剣の軌道を逸らした。あたしのわき腹が浅く斬られる。
「それは⋯⋯」
「まだまだこれからよ!」
防がれたことに驚いたのか、わずかにカームの剣に乱れが生じる。そこに入り込んで攻めを押し込む。守りに入るな。攻めろ。攻めろ。
双剣のダンスは止まらない。ますます速く。もっと速く。限界を超えて速く!
ギリと歯を噛みしめて、だけど体に余計な力は入れない。少しの乱れが危機を招く。繊細に、針に糸を通すように。あたしの全てを込めて舞え。
「その動きはもう⋯⋯」
「知ってる!」
14年かけたあたしの剣技はもうカームに見切られた。だからこれからはそれを超えていく。それにあたしの手札は剣技だけじゃない!
〈剣舞を御見せ 奉る〉
刀に風が乗った。五感が拡張される。見える。聞こえる。感じる。カームの剣技の隙間を抜けて、加速したあたしの刀がカームを斬る!
「はぁっ!」
首を刈る一撃に合わせて流れるように動き、カームの腹に刀を刺し込む。プツリと、刀が人の肉に入り込む感覚。刀は皮膚を突き抜け、肉をかき分け、骨を断ち切って、また外界へと出て行く。刀についた赤い液体。あたしカームに一太刀入れることに成功した。
剣舞。それがあたしの使える魔法だ。双剣術そのものを媒介として神に願いを聞いてもらう道場に伝わる秘術だ。舞うように、踊るように刀を巡らせる。剣に培った技術全てを捧げることで初めて形をなす魔法。そしてあたしの剣舞で得られるのは世界に広がる感覚とあたしを後押ししてくれる風。それでもってさらに速く、美しく舞い、その舞いを剣舞として捧げる。それでもっと加速する。
刀についた血を払う。そして小さく舌打ち。
「傷ないし」
カームにつけた傷はすでにどこにもなくなっている。服がバッサリと切れているだけだ。カームが短く息を吐く。そしてその姿も消える。
「⋯⋯っ!」
背後に迫る殺気。円を描くように刀を廻す。カームの剣とあたしの双刀がぶつかり合う。瞬間、また姿が消える。3歩左に。突き出された剣を払い飛ばす。姿が消える。あたしの真後ろ。カームのひじ打ちがあたしの腹をえぐる。
「ぐほっ⋯⋯!」
吐いた息と一緒に血がこぼれた。内臓をやられた。剣術だけじゃなくて体術にも精通しているのか。立ったままの体勢で飛ばされて、隙だらけのあたしを見逃してくれるほどカームは甘くない。
「まだぁ!」
あたしの心は折れていない。体のひねりを加えてカームの追撃を凌ぐ。口の中に血の味が広がって、引き裂くような痛みが襲う。こんなものに構ってられるか。
「まだまだぁ!」
踊れ!体を宙に浮かせたまま、体幹の力動だけで剣戟。一太刀、二太刀、三太刀。両の手で三撃。計六撃の斬撃。対するは銀の閃き。あたしの刀はカームにかすりもしない。だけど。
〈剣舞を御見せ 奉る〉
潜れ。潜れ。剣の深奥に潜り、砂の一粒ほどに小さな隙を見出せ。無限に広がるあたしの感覚を狭く、カームにだけ全霊を向ける。筋肉の脈動一つ、血の流れ一つ、呼吸の動き一つ見逃すな。カームの全てを見て、カームを超えろ。
地に足をつけて蹴り進む。斬りかかるとカームが消える。分かってる。独楽のように体を回転されて斬りつける。カームの剣とぶつかり合う。カームの驚愕の顔。驚愕、つまり剣は乱れる。
「あぁ!」
一回転して今度は逆回転。力強い動きで刀は動く。狙いはその首。カームが身を反らす。刀はギリギリ届かない。ならば。
「届け!」
あたしの意志の力が現実を書き換える。『風斬り丸』の切っ先から伸びる透明の刃。それがカームの喉元を浅く切り裂いた。
「こひゅっ⋯⋯」
パタパタとカームの温かい血が顔につく。だけどその傷はカームが姿を消してしまうのと同じように、まるで煙のように消えてしまう。カームの目は油断なくあたしを捉えている。けれど傷を癒す時に寸の間動きが乱れた。ここだ。
両足を地面につけてしゃがみ込み、飛び掛かる。溜め込んだ力を爆発させてその力を刀に乗せて、風に乗って最速の一閃を。
カームは守衛に回る。後ろに飛びのきながら剣を守りに使う。また届かない。今のあたしの腕ではカームには一歩分届かない。だからこそ。
「⋯⋯!!」
体の力、剣舞で加速した力。それでも足りない一歩。一歩なら届く。あたしはその力がある。
カームの剣をすり抜けあたしの刀はカームの体を斬り裂いた。
次で〈太陽と笑って〉は終了です。




