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グリーン・インパクト  作者: どんぐり男爵
第一章
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サザビーズ

「ちっ。森人連れだから何か貴重なものを持っているかと思えば、がらくたばかりか」


 町長は舌打ちして、町を訪れた二人組の荷物を漁っていた。それは町長の独断というわけではなく、周りに数人の男女も居る。彼らも同様にしていた。

 ここサザビーズは浴場を持つ町。それはハンターのみならず、行商人や森人たちも訪れる魅力的なものを管理しているという意味も持つ。


 人間が生活するには困難過ぎるこの世界において、助け合いというのは互いを頼るといった甘い考えではなく、絶対に必要な行為だ。そのため、誰もがサザビーズの入浴施設を借りようとする場合はなんらかの交換条件になる土産を持ってくる。水や薪などを大量に使用する浴場を維持することに人手や資金の大部分を使っているサザビーズは、その土産で保っているといっていい。


 しかし、それに頼って生活が十全に保てるわけもない。

 だからこうして、より積極的に土産を頂こうというわけだ。

 これだけの入浴施設をあの程度の土産で借りようなどと片腹痛い。そも、十分な土産を持参する者であれば、ここまでのことはしない。だからこれは彼女たちが悪いのだ。

 サザビーズの者たちは町長も含め、こうした考えの下旅人の荷物を漁り、めぼしいものがあれば奪う。出身や目的のわからない旅人相手なら命すら。


「駄目です町長。森人の方も貴重品なんて持ってませんよ」

「なんだと……。やけに若いとは思ってたが、一人だからと期待していたのに。まだ半人前なのかもしれん。くそ、せめて一人前の森人ならもうちょっと良いものも持ってるのに」


 町長は頭を抱えた。それと呼応するように、他の人々も視線を落とす。


「これじゃ、眠蜜草も無駄骨じゃないか。大損だ……」


 河岸に自生する水蜜草という植物がある。水分を蓄え、根から切り離されて三日は中の水に毒が混じり、五日経つと毒が消えて水筒代わりになり、一週間が経つと甘い蜜になる。

 その亜種である睡蜜草は根から切り離されて二週間を経過すると、中の水が強い睡眠効果を持つ。それを外部から蒸気として浴場に流し込むことで旅人たちを眠らせ、彼らはこうして荷物を奪っていた。

 さらに湯船には催眠効果のある蓮に似た花を散らしておく。食用にもなるためあまり知られていないが、この花は長時間水に浸すことで軽い催眠状態に陥らせる成分を水中に排出する。これを加えることで記憶の混乱を引き起こさせ、荷物がいつなくなったかを判断させないようにさせる。


 森人はおろか、樹海を旅するハンターにすらただの一般人は勝てない。

 だが、弱いということが強者を獲物にできないという理屈にはならない。

 それならば、人間は苔豚一匹を食うことができないではないか。

 綿密な計画を立てて罠を張り、餌を播いて獲物を引き寄せ、毒を持つ致死性の一撃で命を屠る――それが世界の弱者たる人間の武器、知恵だ。


「……こうなれば」


 町長は熟考の上で呟き、誰もがハッとした表情で彼を見返した。

 殺すしかあるまい。慣れてこそいないが、別にこれが初めてというわけでもないのだ。確かに森人に限っていえば初めてだが、半人前の森人ならなんとかなるだろう。

 森人の衣服はそれだけでかなりの金になる。サザビーズの規模なら五年は誰もが遊んでいられるくらいだ。ただし、森人の衣服はたいていが一点物であるため足が付きやすいという欠点を持つ。だがそれなら、遠くの者へ売ってしまえば良い。こういうときに備え、そういう連中との付き合いも欠かしてはいない。


「ころ――」

「それ以上は言わない方がいいかな」


 掛けられた声に、誰もが身体を震わせた。

 紛れもなく、自分たちが罠に仕掛けて眠らせた森人の声だ。

 だが、どういうことだろう。町長の家は玄関から二階のこの部屋まで何人もの見張りを置いて事に当たっている。彼らが一言も声をあげることなく倒されるようなことがあるのだろうか。


「あ、そっちじゃないよ、こっちこっち。壊したくないから、そっちから開けてくれない。ほら、危ないからさ」


 声は扉ではなく、窓から掛けられていた。


「な、ぁ、ぅ……」

「おーい? 開けてってば。いい加減にしないと壊すぞ」


 年端もいかない少女の声は剣呑な響きに変わっていく。

 いや、年端もいかないなど、考えてはいけないのだ。

 相手は森人。緑持ち。

 人間と同じ姿形をしていようと「人的排除可能な天災」であることに変わりはない。

 樹海を、世界を我が物顔で闊歩する連中と同じく、化物なのだ。


「ぁ、開けろ……」

「は、はいっ」


 町長が指示を出し、慌てた様子で近くに居た一人が鍵を開けようとする。しかし手が震えているせいか時間がかかった。いつ怒って窓を割られるかと室内にいる全員がひやひやするが、果たして森人の気は長かったようだ。無事、窓の鍵が開けられてからゆっくり入ってくる。


「やー。ありがとね。良いお湯でした」


 森人は自分と友人の身体をそれぞれ厚手の長タオルで包んでいた。だが、瞠目すべきはその腕力だろう。なにしろ自分の身の丈より大きな女性を片手で支え、もう片手で窓枠を掴んで体を支えていたのだから。そんなこと、この町にいる男はおろか、ハンターでも何人ができるというのだろう。

 町長はふと、森人の服を買い取ってくれるという遠くの商人の言葉を思い出した。


『森人に手を出すのは構わんが、おれたちには関係ないようにやってくれよ? こっちは、あんたらが「偶然」手に入れた服を買うだけなんだからな』


 なるほど、たしかに。

 こんな化物に狙われる恐怖を考えると、あの高額だって頷ける。

 もっとよく考えるべきだったのだ。

 森人は、自分たちと同じ緑持ちを倒し、その素材を用いた服を着ているのだ。それだけで、そういった緑持ちより強力なのだといっているようなものではないか。


「ど、どうしましたかな……?」


 吐き気を堪えながら町長は手を揉んで森人に話しかける。


「そういうこと言うか……まあいいけど。教えてあげるけど、あの程度の毒とかじゃ森人には効かないよ。こっちは自浄作用とかあるし、わざと毒のあるものを食べて抗体とか作ってるからさ」


 森人が歩くだけで人々は道を譲る。罠をすべて搔い潜った絶対的捕食者の歩みを止められる者など誰が居よう。そのままゆったりとした椅子に抱いていた少女を降ろし、森人は肩をぐるんと回す。その行為がさも

「さあひと暴れしますか」と言いたげで、誰もが肝を冷やす。中にはどすんと尻餅を着く者さえ現れた。いや、それは決して一人ではなかったし、町長もその内の一人だった。


「ひ、ひ……」

「怖いなら、やらなきゃいいのに。殺される覚悟がないと殺しちゃ駄目だし、盗まれる覚悟がないと盗んじゃ駄目だよ。常識じゃん」


 まさか非常識から常識を説かれるとは思っていなかったのだろう。一番若く、血の気の多い男が叫んで森人へ飛び掛かる。


「うるせえこの化物っ」


 その手には、森人が装備していた鉈。

 長さや形こそ鉈だが、その分厚さは斧と呼んでも差し支えないほどのもの。

 それが森人へ振るわれる。


「危ないって」

「いっ、ぎ、ぎぁああっ!」


 森人は事も無げにそれを防いでみせた。右腕を掲げ、それを盾にした一動作で。

 鉈はもとからヒビが入っていたこともあって、森人の右腕と刃が衝突した瞬間に澄んだ音を立てて折れた。


「エレメントも纏ってないし、それ、壊れかけの鉈だし。あーあー、その腕、折れてないけど、ヒビは入ってるんじゃない?」


 森人の方も無傷というわけではない。右腕はエレメントを纏っていたのか緑色の光帯が巻かれていたが、それでも一筋の切り傷ができていた。

 流れる血は鮮やかな緑。それは空気に触れてすぐに人間と同じ赤色に変わる。


「……このままじゃ吸血虫とか来ちゃうな」


 動物の血液を主食とする吸血虫。しかし、それがどうしたというのだろう。赤色吸血虫は血液を主食とするが、樹海の土壌を豊かにする糞を吐く益虫だ。

 町長の疑問に答えることもなく、森人は自身の傷口にエレメントを回す。傷口が緑色に輝き、すぐに痕を残すことなく治癒された。


「ひ、ひ……」


 森人に切り掛かった男が尻餅を着いた体勢のまま必死で後退ろうとするが、腕にヒビが入っているせいで思うようにはいかない。


「か、彼を許してくださらんかっ。すべては、私の命令なのです!」


 ようやく町長が起き上がって森人の前に立ち、すぐに土下座する。


「私一人の命で許してくだされ! どうかお願いにございます!」


 額をがんがんと床にぶつける老人の姿はどう控えめに見ても哀れだ。

 しかし、それが森人にどれだけの効果があるだろうか。

 彼女は人間ではない。

 なまじ人間と同じ姿形で同じ言葉を発するから間違える。

 彼女は、化物なのだ。

 しかし、森人の言葉は軽いものだった。


「いいよー。というか、別に誰も殺す気ないし。だからあのタイミングで声かけたんだし」


 あっけらかんと、まるで「お腹空いた」とでも言うような気軽さで森人は言った。


「…………はっ?」

「いや、だから、怒ってないって」


 森人は手と首の両方を横に振って言った。


「あ、でも交換条件は出そうかな。折角だし」

「な、あ、私にできることならっ」


 町長は額から血を流しつつ懇願する。

 森人はそのことを大して気に留めず、自分と友人の服を見回してから口を開いた。


「まず、服とかもろもろ返してね」

「と、当然です! おい、洗濯は終わっているかっ」

「え、あ、はいっ? あ、いいえっ」


 いきなり声を掛けられた女性が慌てる。森人が「どっち?」と訊ね、彼女は慌てながら洗濯できていないと告げる。


「何故しておらんのだっ」

「ちょ、町長が早くと急かすからですよ! まさか荷物だけじゃなくて服まで調べるとは思わないじゃないですか!」

「内ポケットがあるかもしれんだろうが!」

「それ、今言うことだろうか……」


 森人が突っ込み、町長がまた床に額を擦り付ける。今度は哀れに見えなかった。


「まあ、別に洗濯はいいよ。ちょっと肌寒くなってきたし。私はいいけど、ガクは風邪引いちゃうかもだしね」

「そそその心遣い、痛み入ります!」

「別に町長さんにってわけじゃないけど……まあいいや」


 森人は服や装備品を受け取りながら続ける。


「次に、鉈。この人が壊しちゃったから、代わりのやつが欲しいな。できれば新しいやつ」

「新品の在庫はあったかっ」

「あ、ありません!」

「何故ないのだっ」

「町長が次の獲物から金を奪ってからって言うからですよ!」

「今みたいに奪えないこともあるかもしれんだろうがっ」

「過去の自分に言ってください……!」

「ハッ! す、すべてはこの私がっ」

「もういいから」


 町長がまたも額を床で擦ろうとし、森人が止める。他の者たちはその一連の流れを冷めた目で見ていた。

 いつの間にか、町長の敵は森人だけでなくこの部屋にいる全員に変わっていた。


「これが最後の要求になるんだけど」


 森人は呆れ混じりの顔で言った。


「この友達――ガクの住んでる村と隣のウーリエって村があるんだ。ちょっと遠いけど、これからそこの人たちと交易してくれない? で、そのときにお風呂を貸してあげて欲しい。タダじゃなくていいよ。それを踏まえた上で交易の額とか決めてくれればいいし」

「は、え……そ、それは願ってもないことですが、いいので……?」


 町長だけでなく、他の者たちもぽかんとした顔になった。

 サザビーズが立ち行かなくなった理由のひとつに、近隣の村や町がないということがある。正確にはあったのだが、それらがすべてひとつに合併し、今のこのサザビーズという町ができたのだ。人手が集まったからと浴場などを作ってみたはいいものの、今度はそれのせいで町の財政が圧迫されるようになり、さらには食料などの備蓄も少なくなってきた。あと五年もすればサザビーズは滅びるというところにまで追い詰められていたのである。

 それらはすべて、ここら一帯を縄張りとしていた主が死したためだ。


 より強力な緑持ちは自身の縄張りを作る主となる。主はその縄張りから外には出なくなるものの、その範囲内に他の緑持ちは寄り付かなくなり、普通の生物においては安全地帯となる。もっとも、その主の気分次第で殺される可能性は十分にあるし、主にとって住み良い環境に縄張り内は作り替えられるため、中には主が現れてから住処を変えることを余儀なくされる生物もいる。


 けれども、このサザビーズのある土地を支配する主は温厚な生物だった。そんな主が死んでしまったため、辺りをうろつき回る緑持ちの数が増え、自然とサザビーズのような辺境の地へ危険を覚悟で来る好き者が減ってしまった。その結果交易が途絶え、サザビーズは自分たちで自給自足せねばならなくなったが、緑持ちや野生動物たちが凶暴化してしまったことによってそれも難しくなった。


「しかし、危険なのでは……」

「なんとかするよ。あ、それより、ガクたちとかウーリエの人たちに今回みたいなことしたら駄目だからね!」

「は、ははぁ!」

「よしっ。これで一件落着!」


 森人は腕を組んで踏ん反り返り、町長だけでなく室内の全員が森人へ向かって土下座する。


「……………………なにこれ?」


 やがて目を覚ました少女が半眼になって首を傾げた。

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