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グリーン・インパクト  作者: どんぐり男爵
第一章
6/85

お風呂

 ゆるゆるとした微風が流れ出す。

 真昼が過ぎた辺りから樹海は急速に暗くなり始める。それにともなって風も涼しくなり、まだ春である今は寒いくらいだ。柚希は代謝が良いためそれほど寒く感じないが、ガクは時折勢いを増して吹き付ける風にびくりと震えていた。


「この辺りはウインドグラスがよく生えてるからなぁ」


 別名風呑草とも呼ばれるウインドグラスは細い木と見間違えられるくらいに背の高い草だ。水源豊かな地によく見られ、群生する。それぞれが微風を吸収して互いに風を流し合い、風の逃げ道を封じるのだ。そうして一定の風量に達したタイミングで一斉に風を流し、同時に花粉も飛ばす。そのため樹海では時折よくわからないタイミングで突風が吹くのだ。また一斉に花粉が風に乗るためウインドグラスは群生するとも言われており、群生するからそういう習性を持っているのかそれとも逆なのかは不明とされいる。


「どうでもいいわよそんなの……。寒い……」

「あ、さっきの風に昨日の雨水も溜まってたのか」

「え? ぎゃあ! 濡れてる!」


 ガクだけでなく柚希も服の表面が濡れていた。細かな霧雨に打たれたかのような微妙な濡れ具合だった。


「最悪……。早くお風呂入りたい……」

「んん、待てよ? 今、ウインドグラスの風がこう吹いていったからあっちにもウインドグラスがあるかもしれないわけで、あっちは川下でもあるから……」

「なに? 何の話?」


 自分を抱きしめて震えるガクは無視し、柚希は突風の流れていった方向と川の流れる方向とを頭に入れて整理し直す。


「そうか! ガク、あっち行こう!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! コンパス出すから!」

「いらないでしょ。さすがに森人の方向感覚を疑われても困る」

「うっさい!」


 ガクは背負っていた小さなナップサックからコンパスを取り出して方向を確認する。


「やっぱり! あっちは南西じゃないの! あたしたちが向かうのは北西よ!」

「それはそうなんだけどさ、お風呂があるかもしれないから」

「行きましょうか」

「はっやい!」


 意見の翻しも早いが、身のこなしと気分の切り換えも早かった。いつの間にか先陣を切っており、スキップでもしそうなほど浮かれている。


「あ、でもさ。どうしてこの先にお風呂があると思ったの? 温泉でもあるの?」

「いや、さすがに温泉はないよ。普通のお風呂」


 あまり期待されても困るので、その点は断っておく。

 続けて柚希は自分がそう判断した理由について説明した。


「ウインドグラスの群生地が近くにいくつかある場所だと、それを利用した施設を持つ町とかがあるんだ」

「え、と……。さっぱりわかんないんだけど」

「まあ、ガクは見たことないもんね。風車って言うんだよ」

「ああ! 聞いたことある! シノだったかしら」


 その名前が出た瞬間に柚希は顔をしかめた。


「あのバカのことはどうでもいいよ……」

「あんたたち、本当に仲悪いわね。けど時々、一周回って仲良いんじゃないかと思うけど」

「それはない。紅族と金族くらいには仲悪いと思う。まああんなのの話はどうでもいいとして……風車がある場所だと、動力をそれに頼れるから他の町とかと比べると便利なんだ」

「ふんふん」


 ガクは目と眼鏡を輝かせて柚希の話に集中する。別に柚希が話し上手というわけではないだろうが、これだけ集中してくれればこちらも話し冥利に尽きるというものだ。柚希もにこにこと笑みを浮かべながら話を続けた。


「風車を利用して麦とか挽いたりできるし、食べ物もいろいろあると思う」

「ああ。だから柚希もよく覚えてたのね」

「失礼な!」


 頬を膨らせて柚希は怒るが、ガクはまるで気にしないで流す。


「で、さっきは川下とかなんとか言ってたけど」

「ウインドグラスがここらにあるってことは、川下でも結構きれいな水だと思うんだよね。で、南西の方だと山から下っていくことになるから貯水池もあるはずなんだ。だから魚とかもあると思うし」

「結局食い物か……」

「ば、馬鹿にすなよぅ……! もう焼いただけの肉は嫌なんです! ちょっとでも手の込んだものが食べたいんです!」

「料理覚えれば良いのに」

「樹海で料理する方法とかあんまりないもん。フライパンとか鍋とか荷物になるし」


 森人は鎧を装備しないことからもわかるが、とにかく軽装であることを良しとするきらいがある。これはちょっとした怪我くらいならすぐに治るということもあるが、それ以上に失って困るようなものをできるだけ持たないようにするという理由と、自分が死んだ後のことも考えるためだ。武器くらいなら良いが、フライパンやら鍋やらは自然に還らない。武器ですら持とうとしない森人も少なくはないのだ。


 柚希の場合は、荷物といえばベルトの左右にある小さなポーチくらいしかない。それにしたって中身はあまりない。せいぜい着火具と砥石、あとは携帯食料の干し肉と水を溜め込む習性を持つ水密草程度のもの。獲物を狩った後の血抜きに使うロープくらいなら、そこらを探せば天然のものがいくらでもある。


「まぁ、でも、そういう規模の町があるとすればお風呂くらいはありそうね」

「うん。だから、途中でちょっと狩りでもしようかなって思ってるんだけどいいかな? いきなり入ってきてお風呂貸してって言うのもなんだしさ。手土産とかあったら一番風呂もらえるかも」

「それは良いアイデアね。あたしも誰かが入った後よりは先の方がいいわ。臭いとかこもるし」

「やはは……」


 そうして二人は進路を変えて南西を目指す。

 途中で苔豚でも見付けられたらいいなぁと考えていたのだが、現れたのは熊だった。ガクが悲鳴を上げ、柚希は歓声を上げた。喜び勇んで鉈を抜刀。すかさずエレメントで鉈を強化し、首を撥ね飛ばして捌き、血抜きをした。

 未熟な技術でエレメントを急速に流したためか、鉈はヒビが入って使えなくなり、熊を倒した後で柚希は絶叫した。




 柚希の予想通り、川沿いに南西へ進んでいくと森の木々も背が低くなっていき、突然のように開けた場所へ出る。川の近くで開けた固い土の空間があるのに火を起こした形跡がないことからすぐ近くに町があると推測して探すと、十分もしないうちに見付かった。


「やあ、これはこれは。森人さんと人間のお嬢さんとは珍しい。ハンターの方ですか?」


 柚希たちが町を訪れると、大騒ぎとまでは行かないが結構な人数が集まってきた。それもそうだろう。なにしろ一人は首から先と腹が捌かれた熊の死骸を担いでいるのだから。一種のホラーである。

 代表として勇敢にも話しかけてきたのは町長を勤める五十代くらいの老人で、剃髪しているのか西日が当たってぴかぴかと眩しかった。シワの刻まれた顔を柔和にしているのは、どう考えても柚希の背負っていた熊が目的だ。もとからそれは贈るつもりだったので問題ないのだが、風呂を貸して欲しいという旨を告げると、二人が目的としていたものはなかった。

 代わりに、もっと良いものがあった。


「あー! 極楽極楽! 疲れも取れるってものよ!」

「だねぇ。ふぅぅ……」


 二人は熱い湯に浸かって身体の疲れを取っていた。ただお湯を沸かしただけではなく、この湯船には花も散らされていて目にも鮮やかだ。


「しっかし……天然の以外にもこういうお風呂って作れるものなのねー」

「そうだね。私も初めて見たし、浸かってる。あー、いい……」


 一般的な風呂というものは、簡素な倉庫くらいの大きさをしており、熱湯に焼いた石を投下させた蒸し風呂を指す。人々はその上に簀の子を敷いたものに立って入浴して垢を擦る。あるいは、薬草を蒸して敷き詰めたものの中に入る薬風呂というものもあるが、これはもっと南の方に多い。しかし、この町では川の流れを町まで引いており、柚希の見立て通りの風車だけでなく水車まで設備されていた。つまり水には困っておらず、贅沢にもしっかりとした入浴施設があるのだ。

 十人くらいがまとめて入れるくらいの風呂が町には四つあるという。その中でちょうど入れるようになったところを柚希たちは利用させてもらえることになった。

 ここは美肌の湯と呼ばれていて、湯船に浮かべている花は、実際のところ花に擬態した肉食植物。花自体が植物として完成している。ただし、肉食といっても凶暴性はなく、せいぜいが垢などの老廃物を食べる程度で、見た目が良いだけでなく汚れを落とすのにも一役買っていた。


「いいなぁ。ウチにも作れないかしら、これ」

「無理じゃないかなぁ。水を引くのも難しいし、用意めんどくさいよ、これ。絶対」

「そうよねぇ」


 蒸し風呂であってもガクの村やウーリエでは用意できないくらいだ。これは設備を作る資金や知識が足りないというだけではなく、それを維持するだけの資材や人力が足りないという理由でもある。


「普通のお風呂みたいに水掛けなくてものぼせないし」


 ガクは段差状の部分に腰掛けて上半身を外に出す。

 この風呂は地面をくり抜き、そこへ水気に強い木材を張ってできていて、地面を掘る際にわざと段差を作っていた。こうすることで今のガクのように体温調整を簡単にでき、大人から子供まで適当な高さで浸かることができる仕組みだ。


「……あ、思い出したわ。これ、温泉と同じで浴槽って言うんだわ。で、全体で浴場だったかな」

「そんなのどーでもいいよー。それよりこれ気持ちいい。全身ぽかぽかですよ」


 柚希は肩どころか顎の高さまで浸かっている。顔もほんのり上気しており、目尻は幸せそうに垂れ下がっていた。どこか犬のような雰囲気もあって、「どうでもいい」と流されたが怒ることなく、むしろガクは「のぼせてないわよね、あんた?」と柚希を心配した。心配ご無用ですよとばかりに柚希はにぱと笑い、また目尻を垂れさせる。


 しかし、それも仕方ないとガクは思う。

 この浴槽の概念は現代人にとって良過ぎるのだ。

 今までは自然にお湯が沸いているところでないとこういうことはできなかった。そういった場所では当然野生の獣の脅威もあるし、男女別に入るということも難しい。ましてやのんびり気を許して時間も気にせず浸かるなど不可能に等しい。

 ところがこの浴場というものはそれらの問題点をすべて取り除いて余りある。確かに下着代わりの薄い肌着が必要になるのは外と変わらないが、そんなことはこの気持ちよさの前にはどうでもいいことだ。


「あー、なんか眠くなってきた……」

「それやっぱりのぼせてんじゃないの? あ、でも、あたしも眠くなってきたかも……」


 ガクは自分の目蓋が重くなってきているのを自覚する。柚希にいたってはもう寝ているのではないかと思えるくらいだ。


「服の洗濯までしてくれるらしいし、ちょっとくらい時間かかるし、いいかもね……」

「ん……そゆこと、に……しよ、ぅ……」


 早くも柚希はその気になったようだ。ガクも同様に意識の緒を緩めていく。


「でも、なんかおかしいような……。ま、いいか……」


 湯当たりだろうか。それはのぼせているのど同意な気がする。しかし、抗えない。

 急速に意識がもやに包まれていき、やがてガクも目を閉ざした。

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