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グリーン・インパクト  作者: どんぐり男爵
第一章
3/85

森人と人間

 時計などは持っていないため、時間の経過はわからない。そもそも時計は高級品である上、基本的に一人で行動することが一生のほとんどを占める森人がそれを必要とすることはほぼない。柚希の知る他の森人たちでも、時計を持つ者はいなかった。

 ただ、時間の概念がないわけではない。人との交流もまた森人にとっては重要なことだからである。人の文化に時間の概念がある以上、森人がそれを知り、理解する必要があるのも当然だった。


 人間の緑持ちである森人が一つ所に留まることは忌避されている。森人が一カ所に留まり続けることによってエレメントが多数流入してくるからだ。それが人の暮らしの中であれば緑化現象を引き起こすことだってありえるし、他の緑持ちを誘因することにもなる。

 だからといって、森人が人と交流を持たないわけでもない。森人たちは各自気の向くままに生活しているため、生活必需品の類を手に入れるには技術を持つ森人を探すよりも、技術を持つ人間を探して依頼する方が断然に早いからだ。でなければ、森人は全員が全員、衣服や武器の修繕や製造といった技術を身につけなければならないことになる。餅は餅屋。できる人に任せましょうという考え方であった。


 人間たちからしても、森人が訪れるというのは悪い話でもない。長く居られると困るが、短期間であればそう心配することもない。むしろその短期間の間、自分たちを守ってくれる存在が現れたのだと考えれば喜ばしい話である。

 また森人は荷物の類をできるだけ軽くする傾向にある。現に柚希も荷物を入れられるのはベルトの左右にあるポーチくらいのもので、背嚢などは持っていない。基本的に必要になったときに自給自足で頑張るのが森人なのである。これが可能なのは人間と比べて非常に高い身体能力を持つからだ。

 なので金銭の類を持たず、森人は物々交換を主とする。そして森人が持って来るものはどんぶり勘定で「これくらいあれば問題ないだろう」という量や価値のある代物であり、またおつりも特に求めない。例えば鉈一本貰うのに、村全体を三日養えるくらいの量の獲物を狩って来たりする。

 人間達はそんな森人をもてなそうとする。森人は余計な荷物を処分できた上に歓迎される。

 つまりはwin-winの関係が成り立っているのだった。



 柚希は目を開けた。

 少なくとも一時間は経っただろうか。いや、まだ三十分も経っていないかもしれない。けれど、ガクが身体を休める時間が手に入るのなら長い方がいいなと考えながら柚希は時間を過ごす。


 卯月下旬になるとセルロード地方は朝晩の冷え込みこそ酷いが、昼間は気温も随分上がる。雨のおかげで湿度もあり、今日はそれほど寒くないのが幸いした。森人の柚希はともかく、人間であるガクは風邪を引いてもおかしくないからだ。

 周囲への警戒は怠っていないが、最初に比べると集中力も落ちてしまうのは仕方がないことだろう。柚希の思考は自分の現状——現状という名の将来——に向けられる。


「みっちゃんが帰って来ないことにはなぁ。いつまで私は半人前なんだろう……」


 「みっちゃん」というのは柚希の師匠、三日月のことだ。森人は人間に比べて数が少ないため、師匠役の森人が弟子となる若い森人を育てることになる。

 森人の多くは、成人となる十五歳になると一人前になるための試験を受けることになる。その試験の概要は聞かされていないが、そのことだけは柚希も知っていた。


「『ちょっと出掛けてくる』で長いこと居なくなるのはいつものことだけど、今回は長過ぎるよなあ。もうすぐ二年になるよ」


 三日月が失踪するのは今回が初ではない、というより毎度のことだ。だいたい数ヶ月に一度は失踪し、一ヶ月ほどしてから帰ってくる。常識知らずではなく、常識は破壊するものと思っている節がある三日月は、そうやっていつも大冒険して帰ってくるのだ。

 その癖して柚希にはセルロード地方から東西南北に一つ分にしか行ってはならないと言うのだから勝手なものだと柚希は思う。ただし、それに関しては彼女の兄弟子である夜から「師匠が正しい」と言われているので大人しく従っている。どうもこの辺りは他と比べて安全らしく、半人前の森人を長期間放置していても安心なのだとか。


「私も早くいろんな所に行ってみたいんだけどなぁ」


 三日月や夜、シノなどから話を聞くほど、柚希の好奇心は揺すぶられていく。なにしろ、世界は不思議で満ちているのだ。三日月がよる失踪するのは兄弟子の夜の頃からも同じだったようで、彼はちょくちょく柚希の生存確認がてら顔を出し、稽古を付けてくれていた。そのついでで世界の色んなところの話を柚希はよくねだっていた。


 透明で姿も形も見えない樹だとか、雲の上にある樹海だとか、一面沼地の島だとか、動物の腹の中にある国だとか、四つの分野に別れた芸術都市だとか様々だ。ちなみに一番興味があるのは、空から飴玉の降ってくる海辺だったりする。なにやら美味しそうというのが理由な辺り安直である。

 しかしそれも仕方ないのである。料理という技能を持つ森人は稀少なのだ。おかげで柚希のできる料理は肉を焼くか焦がすか生かの三択。調味料はない。ガクやココといった人間の友人にそのことを話すとドン引きされたのは柚希にとってちょっとショックだった。端的にいうと、大抵の森人は料理に飢えている。


「決めた。今度みっちゃんが帰ってきたらガツンと言ってやろう。なんか逆にガツンとやられそうだけど、やってやろう。それしかない。そうしよう、うん」


 拳を握って宣誓する。それがあまりに強すぎたためか、ガクの頭が大きく跳ねた。どきりとするが、幸い彼女はううんと呻いただけでまだ起きそうにはなかった。ほっとし、拳に込めた力を緩める。


「んー。というか、そろそろ夜さんが会いに来てくれるかもだし。ううん……いっそのこと、夜さんの弟子になった方が良いのかも」


 夜もまた三日月の無茶苦茶な育てられ方を経験している。彼女の弟子はこの世で柚希と夜しかいないため、会いに来てくれたときにはいつも愚痴話になる。深い峡谷に投げ飛ばされた話をしたときには、まさか自分よりマシな存在が居ることに驚いたものだ。夜は空から落とされたらしい。


「ああ、うん。そもそも、単身で龍と戦ってる時点でみっちゃんに普通を求めるのは無理だよね……」


 この世で神代から生きていると噂されるのが幻想種である。その幻想種で代表的な生物はいくつかあるが、龍種がその最たるものだろう。龍は竜の緑持ちで、魔法さえ操る知性を持つ強力な生物だ。熟練した世界最高峰の森人でも積極的に手を出そうとは思わないくらいの龍を相手に、三日月は平気な顔をして戦いを挑む。


「それに比べて私は半人前かあ。うーん、頑張ろう。……何を頑張ればいいんだか」


 何をどうすればいいのかもわからない。正しく半人前と言う他ないだろう。


「ううん、柚希……このいやしんぼめ。それはあたひのだと言っとるだろうに……」

「………………」


 まずは彼女を守ることからだろう。

 しかし果たして、それは成長に繋がるのだろうか。そもそも、こんな失礼な寝言を吐くような輩を守る必要はあるのだろうか。

 柚希の夜は長く、葛藤は体感時間を飛躍的に伸ばす。

 雨はまだまだ降り止みそうにはなかった。




 朝日が昇る。樹上から眺めると、龍と同じ幻想種である不死鳥が住まうと言われる不死山の稜線が薔薇色に染まっているのが見え、柚希は思わず感嘆の息を漏らした。当たり前ではあるが、三日月からも夜からも、決して近寄るなと言われている山だ。

 昨晩の雨は朝日が昇ろうとする一時間ほど前に止み、それもあって朝露がやわらかな陽光を反射して七色に輝く。神々しいとすら思える景色は森人の特権だろうか、この辺りで一番背が高いと思われる大樹のてっぺんからでないと見られない。


「あ、やっぱり。この木ってサボアンナの近縁種なんだ。てっぺんに実をつけるのとかそっくりだよ」


 しかし花より団子の様子で、すぐに柚希の注意は大樹の頂点に生った木の実へ向けられた。


「わはー、おっきいや!」


 柚希は興奮して破顔しながらその実を両手で掴む。

 木の実は彼女の頭部よりも大きい。表面どころか見た目はリンゴにそっくりだが、リンゴとは違って天を衝くかのように逆向きに生えている。これはサボアンナのつける木の実と同じだが、サボアンナがブドウやバナナのようにひとつの房から複数の実を結実させるのに対し、こちらはこの一個しかないようだった。

 怪鳥が食べてしまったのかと思って辺りを探ってみるがその様子もなく、どうやらひとつしか実をつけないものらしい。珍しい木の実もあるものだと思いながら柚希はそれを引き千切ろうとする。


「ぬぎぎぎぎ……! だ、ダメだぁ……」


 だが予想以上に固く、引き千切るのは失敗に終わる。どうも大樹ととても強く結ばれているようで、横から見ると大樹と繋がる房の部分が柚希の腕くらいの太さがある。

 サボアンナは別名生命樹とも呼ばれる樹木だ。サボアンナがつける木の実は栄養価が高く、たまに行商人が売りに出すときの謳い文句は「死者だって飛び起きる!」というもの。味は薄い酸味と清々しい甘み。赤い表皮はクルミの殻と同じでとても固いが、中の白い果肉はメロンやイチジクのように柔らかい。

 余談だが、サボアンナの木は樹海の奥深くに大抵あるので、エレメントによる突然変異種ではないかといわれている。つまり人間たちにとってはなかなか手に入らない稀少品だが、森人からすれば手頃な品というわけだ。


「ふ、ふふ……これで諦めると思うなよっ。こういうときのための鉈っ!」


 その味を知っているからこそ、柚希はこれだけ大きな実を食べてみたかった。がしゃこと音を立てながら鉈を引き抜く。


「むんっ」


 目を細め、エレメント操作に集中する。仄かに柚希の右腕が翠緑色に輝き始めた。エレメントの密度が高まり、可視化されたのだ。

 さらにエレメントは流れ、腕から手、手から鉈の刀身を纏う。外部をエレメントで覆うことにより、鉈や身体の強度を高めることになる。

 柚希は続けて鉈の内部にもエレメントを透していくのだが、これが困難を極めた。エレメントを流すには透過率が高くなければならず、彼女の持つ鉈はただの人間が扱う用の鉈である。そのため、いくら大振りであろうと森人の柚希には果物ナイフくらいの感覚でしかない。

 鉈の内部までエレメントが透過するには数分の時間を要した。これは鉈が悪いせいだけではなく、柚希のエレメント操作技術の問題でもあった。彼女が魔法をうまく修得できないのも、エレメント操作技術が悪いからでもある。


 ともあれ、鉈にエレメントが通ったことにより、刀身も微かながら翠緑色に輝き始める。外部をエレメントで纏うのではなく内部からエレメントの影響を及ぼすことで、鉈自体の頑丈度合いを高めることができた。おかげで、柚希が森人としての筋力を行使しても、鉈の刃が欠けることはないだろう。

 準備は完了し、柚希は乾坤一擲の勢いで鉈を振るう。


「っどおおぉぉぉいっ! どうだあ!? …………嘘でしょ!?」


 果たして、鉈は房に傷を付けることすらできなかった。それどころか、勢いが強すぎた反動で柚希の姿勢が大きく崩れる。ぐらりと右に傾き、ついに右足一本で身体を支えることが不可能な角度にまでなる。

 そうなると、当然、柚希は落下することになった。


「だっ! ぁだっ!」


 丈夫な枝にぶつかる度に骨が折れるのではと思うくらいの衝撃を覚えながら何度もバウンドを繰り返し、騒がしく音を立てながら落下する。枝から枝へどんどん落ちていくため、一回一回の落下距離自体はそれほど高くない。一メートルから二メートルくらいで、それくらいなら全身をエレメントで纏っていれば骨は折れない。打撲くらいにはなるが、緑持ちの自然治癒力は化物と呼ばれても仕方ないほどなので、すぐに治るだろう。

 しかし、柚希の懸念はそこではなかった。


(が、ガク起きてるかな。もしも私を探そうとしてて真上に落ちたらヤバい! 下手したら死んじゃうっ)


 十数回のバウンドの激痛に堪えていると、今バウンドした枝から次の枝までは少し高さがあった。頭が下がり、これを機会にと鉈を手放す。両手を自由にさせて腕を延ばし、頭より先に手を枝に触れさせる。


「ったぁぃ!」


 逆立ちのまま着地したようなもので、手首から肘、肩へと激痛が走る。涙が零れそうになるのをなんとか堪え、落下から下方跳躍へと移る。幹はまだ昨夜の雨で濡れていたため靴の裏にある金具を食い込ませるようにして足場を安定させ、ピンボールで打ち出された玉の如く地上まで高速で駆け下りる。最後は幹に金具を打ち込み、縦に傷を刻み込みながら斜面を滑り降りる形で着地した。


「ガク! って、おい……」


 柚希の友人は誰に似たのか、彼女が命の危機にあって叫んでいたというのに呑気に寝ていた。ふてぶてしくと言うべきか。


「…………ええと、鉈は、あそこか。うん、柄で殴るくらいはやっていいはずだ」


 似た者同士という言葉は柚希の辞書になかった。

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