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グリーン・インパクト  作者: どんぐり男爵
第一章
1/85

樹海

 木々が天蓋となった暗い樹海の道なき道を二人の少女が歩んでいた。先頭を行く少女は足取りも軽く、スキップでも刻みそうな勢いだ。それより十数メートルは後ろを歩く少女はというと、今にも倒れてしまいそうなほど憔悴しきっている。肩が上下に揺れ、頬を伝った汗が顎先から滴る。

 ただ、それは彼女の体力がないのではなく、むしろ先陣を切っている少女の方が異常だと客観的に見る者がいれば思うだろう。

 なぜなら、彼女が進むのは苔や岩に覆われた大地。まともに歩ける場所など皆無といえた。人の手の一切入っていない原生林で、しかも慣れない山道となると、疲弊しない方がおかしいのだ。


「うぉい柚希! あんたがどんどん先に行っちゃってどうするのよ!」


 汗でずれ落ちそうな太い眼鏡をぐいと押しやって少女は吠える。声を掛けられた少女は苦笑いを浮かべながら走って戻ってくる。その軽い足取りに「疲労」の二文字はない。彼女――柚希は汗一つ掻いていないどころか、息すら乱れていなかった。


「やはは……。ガクが体力ないの忘れててさ」

「体力のあるなしじゃないでしょ。普通の人間と森人もりびとを一緒に考えんじゃないわよ」


 柚希はやわらかな栗色の髪を揺らして笑った。それを嘆息混じりに眼鏡の少女――ガクは半眼で睨み付ける。

 二人は同年代くらいの年頃だが、背格好や装備品が大きく違っていた。ガクが革製の鎧を着ているのに対し、柚希は町中にいてもおかしくないくらいに普通の格好だ。しかし、武器を持っているのは軽装の柚希の方。腰に分厚い革のベルトを巻いており、その左右には小さな濃緑色のポーチがひとつずつあり、背面には金具で彼女が扱うには大き過ぎる鉈を固定させている。ガクはその装いこそハンター風ではあったが、武器は持っていない。なんともちぐはぐな二人組だった。

 最終的にはガクが柚希を許し、柚希が胸を撫で下ろす。一連の仲直りの流れをこなし、ガクがそれにしてもと呟く。


「久しぶりにこんな樹海の中まで来たけど……やっぱり村のそばにある森とは全然違うわね」

「私は逆に、木とかが小さくなっていったら村に近付いてるなぁと思うけどね」


 二人を取り囲むような木々はどれも大樹と表せるくらいに巨大だ。幹の外周がメートルを超えるものがほとんどで、中には二十メートルを超えるくらいのものもある。柚希が時折飛び移っていた枝もそれらの大樹らしくとても太く、彼女の細いウエストなら三人分くらいはありそうだ。

 そんな大樹の枝葉が空を覆ってしまっているため、まだ昼間だというのに辺りは鬱蒼としている。梢を通り抜けた陽光が射し込む部分だけがぽっかりと穴を空けたかのように輝いていた。そんな光景は人間のガクからすれば非日常で、樹海を住処として定住しない森人である柚希からすれば日常だ。


 ガクの休憩もかねて、この場で二人は一旦腰を下ろすことにした。ガクは背嚢から水筒を取り出し、くぴくぴと口にする。柚希は平気なようで、警戒するかのように森のあちこちへ目を向けていた。その表情は普段の通り微笑を浮かべたもので、まるで警戒しているようには思えないが。


「こういう濃密な木の香りとかって、なんか良いわよね。リフレッシュできるというかなんというか」

「いっつも紙が山みたいに積もった机に居る分、余計にそう感じるだけじゃないかなぁ。大したことないよ」

「あるわよばーか。あ、そうだ。あんたさっきみたいにあんまり離れないでよ? 危ないから」


 ガクの眉がまた逆立つ。柚希はうへぇと呻きながら顔を縦に振った。


「わかってるって。今日はガクの護衛でしょ」

「それもそうだけど! 獣とかも怖いけど、緑化も怖いのよ」

「あ、忘れてた」

「忘れんな! こちとら正しく死活問題なんだからね!」


 ガクは長袖を捲り上げ、まだ皮膚が普段の肌色であることを確認して安堵の息を吐く。柚希はそれを眺めながらううんと妙な声をあげた。


「面倒だよね」

「まーね。でも、森人は緑化現象が起こらない代わりに、どこかへ永住とかできないでしょ。あたしはそっちのが面倒よ」


 緑化現象は人間や動物のような、一般の生き物にのみ起こる現象だ。皮膚が緑色に染まり、次第に木の表皮のように固くなっていく。最終段階になると身体すべてが植物となり、死に到るのだ。言い換えれば、人や動物が植物へと転生するとも考えられる。どちらにせよ、それを喜ぶ者などごく少数であり、ガクも大多数派だった。


「ガクも簡単な魔法とか覚えたらいいのに」

「才能がないのよ、仕方ないでしょ。つーか、それならあんたこそ森人なのになんで魔法使えないのよ」

「…………さ、才能がないから」

「ハッ」

「ああっ! 鼻で笑ったなこんちきしょう!」


 柚希が吠えた瞬間、二人の背後にある草むらからガサリと音が鳴った。ガクは今までのような余裕のある表情は浮かべることができずに青褪めさせる。柚希は目を細めてガクの前に立ちはだかり、右手を背にやった。

 ベルトの背面にある鉈は横向きに添え付けられており、右へスライドさせるようにして抜刀する。鋭い瞳は翠緑色に輝き、それと呼応するかのように彼女の全身も薄らと緑色に輝き始める。


「エレメント……」


 ガクが呟く。それこそが緑化現象の原因となる物質だった。

 この世界の大気に水に土に、ありとあらゆるところに存在する超極小の物質エレメント。緑化現象の原因である反面、使いこなすことができれば、人でも大型の獣と渡り合える未知の物質。

 世界中に樹海が広がっているのも、不可思議な現象が起こる地域があるのも、すべてはエレメントが原因だといわれている。


「人なら出てこい。獣なら逃がす。もしも向かってくるなら――」


 じゃり、と靴が土を踏んで音を立てた。腰を低くさせた前傾姿勢を取り、柚希は今にも飛びかからんとする体勢で声を掛ける。


「ッ!」


 草むらから一際大きな音を立てて現れたのは豚だった。ただし全身を苔で覆っていて、表面は緑色。体躯も巨大で、鼻の先から短い尾までは約三メートルはあるだろう。一般人のガクからすれば、それでも凶悪な怪物に見えた。あれだけ巨大な豚の突進を喰らえば生き残ることなど不可能だ。身に着けている革鎧など、なんの役にも立ちはしない。


「なーんだ、苔豚か」


 だが柚希は前傾姿勢を解き、むしろ脱力した様子だった。鉈を鞘に仕舞い、先程ガクと話していたような穏やかな口調で問い掛ける。


「どうする、ガク? こいつ仕留めてお土産にでもする?」

「い、いい……いらない。てか、これから遺跡に行くのに荷物持ってもしょうがないでしょ」

「あ、それもそうか」


 柚希はなるほどねと呟いて苔豚へ向き直り、鋭く跳躍して飛び掛かる。


「命までは取らないからね」


 苔豚は逃げるか攻めるか迷うように首を左右へ振った後、柚希へ突進することを選ぶ。柚希はそれを察していたのかギリギリのタイミングで左足を地に着けて踏ん張り、腰を回す。コンパクトに打ち出された右拳は吸い込まれるように苔豚の額を穿った。


「っづ、流石に重い……!」


 年齢の割には小柄としか言い様のない柚希と苔豚が正面からぶつかる。誰がどう考えても柚希が吹き飛ばされる未来しか思い浮かばないだろう。

 けれども、それは起こらない。


 恐るべきことに柚希は苔豚の突進を拳ひとつで受け止め、それどころか衝撃で気絶させるに到った。苔豚が失神して横向きに倒れると、木が腐って倒れたように辺りが震動する。揺れが収まってから、柚希は右手をぷらぷらと揺らして腕の筋肉をほぐしながらガクへと近付いていった。


「んじゃ、行こっか」


 特に誇ることもなく、それこそ伸びた雑草を抜いたような気軽さで柚希は言う。

 ガクは脱力し、膝から崩れ落ちた。


「わわっ! どうしたのっ」

「こ、ここ、こわかった……! 死んじゃうかと思った!」

「そんな大げさなぁ、苔豚だよ? 時々村に持っていってるじゃん」


 柚希は身振り手振りで大したことないとアピールするが、ガクは黒い三つ編みも含めた全身を震わせていた。眼鏡がずれているが、それを直す気力もないようだった。


「ばか言うなぁ! 死んで解体された苔豚なら見たことあるけど、生きた状態の苔豚なんか見たことないっての!」

「え、嘘だ……。ガクっていくつだっけ?」

「じ、十五」

「私ももうすぐ十五。見たこと、ないの?」

「樹海に入ることさえないのに、あんなの見たことあるわけないでしょ!」


 ガクの言うことは正しかった。苔豚は巨大な体躯とそれに見合った体重、筋力を持つものの臆病な性格をしており、そのため擬態として全身に苔を生やしているのだ。あの体躯が役に立つのは先の柚希のように、完璧に擬態が意味を為さないときくらいのものである。

 そんな性質なので活気のある村や町などには近寄ろうともしない。人にもよるが、農民であれば一生目にすることもない者だっている。

 小さな名もないような村で数人の子供たちを相手に教師を勤めているガクが目にすることなど、普通なら一生に一度もないのだ。


「でも、苔豚とかかなり大人しいよ? 今日はガクがいるから気絶させたけど、こっちが逃げたらあっちも逃げていくもん」

「ええ……あれで大人しいの? 殺気立ってたようにも見えたけど」

「あ、まあ、確かに、ちょっと妙だったかな。私が行ったら逃げると思ったし。だから手前で着地したんだけど」


 柚希が頬を掻きながら告げる。ガクの目が細められた。


「ちょっと待て。ならなに? もしかしたらあんたのせいでこっちに向かってきたってこと?」

「え、と……。そういうことも、あったりなかったり?」


 やははと苦笑する柚希だったが、ガクは眼鏡の位置を直して平静を取り戻す。柚希からすればあまり嬉しくない平静の取り戻し方だった。


「あんたに依頼したのは失敗だったかもね!」

「そんなぁ!」

「これならシノに頼んだ方が良かったかも!」


 ショックを受けていた柚希だったが、続くガクの一言には顔を真っ赤にさせて憤る。


「なぁっ! ちょっとガク、言っていいことと悪いこととあるんだよ! シノに頼んだ方が良いとか、それは侮辱に他ならない!」

「だって、あの子は一応一人前の森人でしょう。あんたは半人前らしいし」


 シノは既に成人し、一人前の森人として正否を問う試験を合格している。一方で、柚希はというとそれ以前の半人前である。

 そして柚希とシノは仲が悪い。とても悪い。

 挨拶代わりの悪口前にボディブローを繰り出すくらいの仲の良さだった。


「一人前ったって、あいつは敵が来たら逃げるよ? ワタシ、立チ向カッタ。ワタシ、エライ」


 何故かカタコトになる柚希だったが、ふんぞり返っても大した膨らみのない胸を盛大にガクへ突き出しているせいで反撃を回避することに失敗する。


「なぁんで叩くんだよぉ」

「自分の胸に聞け!」


 柚希は自分の胸元を見た。足元まで一直線に見える。非常に開けた視界だった。

 続いてガクの胸元を見やる。革鎧を身に着けているものの、きちんとわかる程度には膨らんでいる。

 歳はほぼ同じである。

 ついでにいうと、身長は頭ひとつ分、柚希が低い。


「……どうやったらそんなに大きくなるの?」

「自分のっつったでしょ!」


 今度は胸でなく頭を叩かれた。

 騒がしく、しかし命の危機があっても落ち込まず、二人は樹海を進む。

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