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初まりの勇者と終わりの呪い  作者: 草上アケミ
第一章 聖なる獅子と不滅の鳥
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第四話 壁越え前

 翌朝、リディンはいつも通り身支度をして家を出た。

 朝だというのに、昨夜と変わらず通りは静まり返っていた。

 洗濯帰りの主婦や仕事へ向かう商家の使用人が出歩いていてもおかしくない時間なのだが、家の前を通る人影は一つもない。

 理由は単純なもので、この通りに住んでいるのがリディンしかいないからである。

 二年ほど前にこの辺りの住民が他所へと集団移民し、町に残ったのはリディンの家を含めて僅か数家、人数にして二十人にも満たなかった。残った家も人の多い通りに引越し、現在この寂れた通りに未練がましく居座っているのはリディンただ一人であった。

 そのため、通りに一人立っていた男はおそろしく目立っていた。


「おはよう、良い朝だな」

 胡散臭そうに自分を見るリディンに動じる様子もなく、その男は朗らかにリディンに声をかけた。

 リディンとは全く面識の無い男だった。

 白いシャツの上に茶褐色の長衣を重ね、余裕を持たせて腰の位置で絞っている。ゆったりしたズボンから覗く足には革のサンダルを履いていた。目は透き通った青で、色素の薄い長髪を後ろで一つに結んで前に垂らしていた。

 年はリディンよりも少し上くらいのように見えるが、纏っている空気は爽やかで若々しい。

 身につけている物こそ町人と同じだが、その雰囲気は明らかに町の住人ではなかった。


 当然、リディンはその男を警戒した。

「何者だ」

「おいおい、待ってくれ」

 リディンの手が背中の剣にのびかけているのを見て、男は慌てて両手を挙げて敵意が無いことを示した。

「ギルにあんたを連れてこいと言われてな。書斎の窓に鍵は掛けたか」

 男は二階の窓を指差した。指の先を追うと、正確に書斎の窓を当てていた。

「仮面の下を見る絶好の機会だったのに、残念だったな」

 昨夜の出来事を知っている風な言動に、少なくともあれからギルと面識のある人物であることは間違いなさそうだった。

「道案内なら必要ないぞ」

「いや、約束の場所が変更になった」

 当然だ、とリディンは内心思った。昨日、ギルについて知っていることは洗いざらい吐いてしまっている。ギルの行きつけの店、つまり『包帯と獅子亭』で今自警団が待ち伏せしていても何ら不思議ではない。

 喋ってしまったことについて、リディンに申し訳ない気持ちが無いと言えば嘘になるが、飯代と少々の情報料程度の繋がりで他人を庇えるほどリディンはお人好しではなかった。何より、上司に隠し事をしておくと色々とまずい現実がある。

 だんまりを決め込んで拳骨を落とされるくらいなら、立てた板に流れる水のように喋った方がまだ生産的だ。

 もちろん、リディンはそんなことを表情にはおくびにも出さなかった。


「あんたが喋ったせいでこういうことになっちまたっんだろうが、別にあいつは気にしてないさ――納得はしてないけどな」

 そういうところは子供だからなあ、と男は苦笑した。

 ずばり言い当てられて、リディンは途端にばつが悪くなった。

「さて、行くか」

 男はリディンに背を向けた。

「待て、俺はまだ行くとは言ってないぞ」

 そもそも、リディンはギルの申し出に対する返事をまだ用意していなかった。このままついて行ってしまったら、そのままギルに同行する形になってしまいそうだ。

 だが、ギルには聞きたいことが山ほどある。

 ここで男と別れたら、ギルにもう会えかもしれない。

「取り敢えず、もう一度本人に会ってみたらどうだ。どの道、放っておくわけにはいかないんだろう?」

「……分かった」

 またも本心を見透かされて、リディンは渋々頷いた。

 先導する男についてリディンは歩き出した。

 男は大通りに背を向けて、人気の無い通りの奥へと歩いていった。リディンの記憶が正しければ、ここから先には営業している店は無かった筈だが、特に何も言わずについて行った。

 静かな通りに、足音だけが響いた。

「そういえば、あんたは一体誰だ」

 男の名前をまだ聞いていないことに気がつき、リディンは尋ねた。

「俺はパーシェ。運び屋をやっていて、ギルとは仕事上でよくつるんでいてね」

「仕事上?」

「所謂、お得意様という奴さ」

 パーシェは小さな酒場の前で足を止めた。


 無人の通りの一角にある店で、扉は半開きになっていた。店の看板はこの町でよく見かける獅子の鋳造品に、八面体の針金細工をくっ付けたものだった。看板の下にぶら下がったプレートに刻まれた店名は、『ミョウバンと獅子亭』とあった。

 飯屋にしては渋い名前だな、とリディンは思った。ミョウバンを扱うのは料理人よりもむしろ医者だろう。

 周囲の様子からして人のいる気配が全く無かったが、パーシェは迷うことなく酒場の中に入って行った。リディンもその後に続く。

 窓が一つも開いていないせいか、店内はやけに暗かった。円テーブルが四つにカウンター席が八つと、それほど広くはない。カウンター奥の棚には空っぽの酒瓶が数本埃をかぶっているだけで、普段営業をしているようには見えなかった。空気も少し埃臭い。

 カウンターの隅の花瓶に残された枯れた花と、壁にかけられている色褪せたタペストリーが、長い間誰も出入りしていなかったことを物語っている。タペストリーの柄はリディンの家にあるものとよく似ていたが、この織物の上に描かれた獅子には牙が一本だけあった。

 おそらく店主は移民した連中の一人なのだろう、とリディンは推測した。確かに、ここなら自警団に見咎められる心配も無い。

 しかし、肝心のギルの姿は何処にも見えない。


「ギル坊ー、連れてきたぞー」

 パーシェが店の奥に向かって声を張り上げると、がちゃんと何かを落としたような音がした。続いて、パーシェ目掛けてまな板が飛んできた。

 パーシェはそれをひらりとかわし、リディンも反射的に身をよじって避ける。まな板は店外へとすっ飛んでいった。

 リディンが店から顔を出してまな板の行方を追うと、罪のないまな板は向かいの家の壁にぶつかって無残にも真っ二つになっていた。

「いい加減、その呼び方はやめろ」

 店の奥からギルが姿を現した。いつもと違い赤革の防具はつけておらず、槍も持っていなかった。代わりに、両手で鍋の取っ手を掴んでいた。

「俺からしてみれば、お前は十分子供だ」

「朝飯抜くぞ」

「おいおい、大人げないじゃないか。それこそ子供みたいだな」

 (おど)けてみせるパーシェを無視して、ギルは手近にあったテーブルの上に鍋を置いた。ギルが鍋のふたを取ると、湯気と共に良い匂いが立ち上った。

 鍋の中身は野菜のたっぷり入ったベーコンのスープだった。具材は一口大に切られた赤かぶに馬鈴薯、玉ねぎを始めとして軽く火で炙ったねぎや赤豆も入っている。

 見ているだけで口の中が唾で洪水になってしまいそうな出来栄えの料理だった。

「仮面の、これお前が作ったのか?」

 リディンが驚いて鍋を指さした。ギルは取り分けるための(わん)を持ち、若干得意げな顔になった。

「当たり前だ。煮込み料理は得意だ」

「焼くのは超絶的に下手くそだけどなー」

 茶々を入れるパーシェにギルは目を向けた。仮面をつけていても分かるくらいの凄みで睨んでいる。

 それでも椀を三つ用意しているのは、軽いお巫山戯(ふざけ)だと分かっているからなのか、これ以上子供っぽいとからかわれるのが嫌なのか、それとも単にギルがお人好しなせいなのかは分からない。

 理由はともかく、ギルは三つの器にスープをよそい始めた。


 着々と進む朝食の準備に、パーシェも待ちきれないといった様子で鍋を覗き込んでいる。

「……」

 リディンはごくりと唾を飲み込んだ。半分が食欲で、残りが緊張の唾だった。

 覚悟を決め、前触れ無く腕を振り上げる。

「おっと」

 しかし、振り切る前にその腕をパーシェが掴んで止めた。

「残念」

 パーシェはあっさりとリディンの腕をひねり上げた。リディンの口から苦痛の声が漏れ、手に握り込んでいた小さな玉が零れ落ちる。


  ぱしゃん


 玉は床に落ちると破裂し、周囲に中の液体を撒き散らした。足下に散る飛沫に、リディンは足を引いて避けた。

 反射的にとってしまった回避行動を即座に後悔したが、既に遅かった。玉に仕込まれていたのは害のあるものだということを、告白したも同然だった。

 リディンの背筋に冷たいものが走る。

「まあ、俺はなんとなく予想してたけど。一応聞いておくが、どうしてこんなことを?」

 ギルはお玉を片手にぽかんとしていたが、パーシェはやれやれといった様子で腕を掴む手を返し、手際よくリディンを拘束した。

 更に、リディンが背負っていた鞘から剣を抜き、背後に放り投げて武装解除させた。そのまま拘束の手を緩めることなく腰の袋の中もまさぐり、怪しい物を全て取り上げる。リディンは完全な丸腰になった。

「どうして、こんなことを」

 ギルがパーシェの言葉を復唱した。

「……これ以上命令違反を重ねると、こっちの生活が危ういんだよ」

 ギルから目を逸らし、リディンは苦々しげに言った。


「そうかい」

 パーシェがリディンの口を手で覆う。

 たったそれだけのことで、リディンの意識は苦痛もなく闇に引きずり込まれた。



 足元に昏倒したリディンを転がし、パーシェは手近にあった椅子に座る。

 既によそわれたスープの椀を取り、赤いスープを一口啜った。

「こりゃ、望み薄じゃないか? ちっとも気付いてないぞ」

「だからと言って、このまま放っておくこともできない」

 あくまで言い張るギルに、パーシェは肩をすくめた。

「本当にそういうところはどうしようもなく子供だな、ギル坊」

「煩い」

 ギルはお玉を乱暴に鍋に突っ込んだ。

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