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初まりの勇者と終わりの呪い  作者: 草上アケミ
第一章 聖なる獅子と不滅の鳥
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第十四話 出立

※再びゲロ注意

 リディンは頭を手で押さえ、こめかみを石で殴られたような激痛に耐えていた。

 夜が明けたばかりの森には霧がかかり、リディンが腰掛けている朽ちた倒木もぐっしょりと濡れている。しかし、現時点でリディンが気にかけるべきことは二日酔いの頭痛であり、ズボンが濡れることにはあまり関心が向かなかった。

 というより、単純に頭が重くて痛くて立つことが億劫だった。

「昨日は本気で死ぬかと思った……」

 呟くリディンの声は少ししゃがれていた。


 昨夜、腹の中のものを全部外に出し飲んだ水も全部出し、胃袋の中身をすっからかんにして何とか意識を取り戻したリディンに、パーシェはその場で簡単な説明をしていた。

 竜種というのは恐ろしく酒に強く、ヒトなら死んでしまうような量の酒でも平気で飲み干してしまうらしい。比較的酒に弱いというギルを酔っ払わせるのでも、ウイスキーで一ガロンほど必要だという。

 そして、昨日パーシェが持ってきた酒は一瓶でそれに相当する強さを持っていた。

 シチュー一鍋で割った程度でなら、本当にヒトを殺せてしまう。

 今後機会があったとしても、絶対に竜とは酒盛りをしないとリディンは心に誓った。

 誓いながら、酔いすぎた気持ち悪さにもう一度吐いた。

 結局、酔いが回りすぎて一人になるのが怖いという理由で、リディンはその日のうちに家に帰らなかった。悪酔いに呻きながら酒場の床でギルとパーシェ共々雑魚寝した。

 おかげで酒で死ぬという最高に格好悪い結末は避けられたが、起きてしばらく身体の節々が痛んだ。


「悪かった」

 どこか拗ねた声で、ギルはリディンの独り言に返事をした。

 ギルはリディンに背を向けて、腐植土の上に直で座っていた。倒木の比ではないくらい濡れている上に泥も付いてしまうが、ギルにとっては些細な問題のようだった。

 ギルは、槍の鞘の先に少ない荷物を引っ掛けてぶらぶらと揺らしていた。仮面を外してどこか幼い顔を冷たい空気に晒し、いつもの革鎧の上から黒いマントを纏っている。

 普段の無表情にほんの少しきまり悪そうな色を加えた顔をしているが、リディンに見えないよう前方を無意味に眺めていた。

「いや、寧ろ今も死にたい……うう」

 昨日の別れ話がふっと頭に浮かび、リディンの気持ちはどんどん沈んでいった。


「だから悪かった。もう料理に酒は使わん」

「そっちじゃねぇ!……うあぁぁ」

 自分の発した怒鳴り声が脳内で反響し、リディンを更なる頭痛が襲った。思わず口から情けない声が漏れる。

 胃液で焼けたリディンの喉に、酸っぱいものがこみ上げてきた。耐え切れずに身体を折る。

 立ち上がったギルの背後で、リディンはえずいた。びちゃり、と生々しい音が響き渡った。

 二日酔いを引き摺った胃は重たく、朝飯を一切受けつけなかったので、吐き出されるのは少し濁った液体のみだった。


「くううぅ、ロテア、俺だって別れたくなかったよ」

 焼けつく痛みに喉を抑えながら、リディンは目尻に涙を浮かべた。

 治癒の術をかけていなかったせいか、叩かれた頬がまだ痛むような気がした。ついでに、信じられないという顔でリディンに詰め寄る彼女の顔が脳裏に浮かび、胃より少し上がきりきりと痛んだ。

 パーシェの言った通り自業自得な話だ。早いうちに別れていればこんなことにはならなかった。現に、先にケアリアの町を離れた神獣の中にはヒトの伴侶を置き去りにしたものもいる。リディンだけ、いつまでも未練たらしくしがみついているわけにはいかなかった。


「おい」

 苦しむリディンの目の前に、野草の束が突きつけられた。

 リディンが重たい頭を上げると、ギルが正面に立っていた。

「効くかどうかは分からんが、此れを噛め」

 野草の束は、薄荷(はっか)だった。リディンの苦しそうな様子に耐えかねて、わざわざ摘んできたのだ。

 リディンが葉を何枚か摘んで口に含むと、清涼感のある香りが鼻を抜け、吐き気が徐々に収まっていった。鎮静作用でどん底だった気持ちも少し持ち上げられた気がした。

「少しましになった……よく知っていたな」

 薄荷は胃の調子を整え、気持ちを落ち着かせる薬草だ。

 もちろんリディンは薄荷の効能についての知識はあった。だが、学のなさそうなギルが知っているのは意外だった。

「前にも言ったが、俺は下戸だ」

 ギルは再びリディンに背を向けて地面に座り込んだ。茎ごと豪快に薄荷を齧り、草食動物のように咀嚼する。

「竜の中では、を付けやがれ」

 含んでいた葉をぺっ、と吐き出し、リディンは新しい葉を噛み始めた。声に少し元気が戻ってきていた。


 生の薄荷の青臭さで逆にリディンの気分が悪くなってきた頃、ひゅうっと風の音が聞こえた。

 突然の風に、周囲を白く染めていた霧が吹き飛ばされ、視界が突然明瞭になった。

 頭上の木々が揺れて音を立て、少し遅れて巨大な影が降ってきた。

 二人の目の前に現れたのは、成体の竜だった。竜は翼を閉じ、風を巻き起こしながらも静かに着地した。


 馬車を凌ぐほどの巨体は青緑色に煌めく鱗に覆われ、顎から胴の下にかけて薄い青色の蛇腹が板金のように連なっている。地面を踏みしめる鳥のような鉤爪は前と後ろで形が異なり、後ろ足が小鳥のように細い――あくまで体格に対しての話で、リディンの腕と同じくらい太い――のに対して、前足は猛禽類を思わせるがっしりとしたつくりだ。

 もたげた長い首の先には狼を思い起こさせる大きな顎、頭上には鹿に似た枝分かれのある立派な角が聳えていた。更に角の生え際には体色よりも濃い色の鬣が茂っていて、鬣の列はそのまま首から背中、そして長大な尾の先にまで延びていた。

 また、竜の首の付け根から背にかけて大量の荷物が括りつけてあった。見た目からして軽く馬一頭の積載量を超えているようだったが、竜は特に苦に思っていないようだ。


 普通なら恐怖心にかられてしまうところだが、竜が二人の目の前に現れることは事前に知っていたので、リディンはその場で飛び上がらずに済んだ。

 ギルとは言えば、竜にちらりと目を向けただけで目新しいことなどないかのように平然としている。

「遅いぞ、パーシェ」

 手元に残った薄荷をリディンに押し付け、ギルは竜に近付いた。

 無遠慮に竜に近づくギルを見て、リディンはそれがちゃんと顔見知りの相手だと分かり、改めてほっとした。竜を見るのが初めてであるリディンには、竜の顔の区別など出来ない。

「――」

 竜は頭を下げてギルの目線に合わせると、喉の奥から呻るような音を出した。獣語(グロード)で話していると分かっていても、リディンから見れば威嚇しているようにしか見えない。

 だが、ギルは全く怯まなかった。

「どうでもいい。早く行くぞ」


 突然二人の目の前に現れた緑の竜は、あのパーシェ以外の何者でもなかった。

 パーシェはこれからギルとリディンを乗せ、新たな目的地へと飛んで行く。

 尤も、リディンがついていくのは途中までだが。

 命渡の新たな居住地はケアリアから随分と離れた場所で、しかもヒトの分け入りにくい奥地らしい。たった一人で陸路を往けば、辿り着くまでに何ヶ月掛かるか分かったものではない。

 そこで、リディンはパーシェの翼を借りて近くまで送ってもらえないか交渉したのだ。

 直通便で行く、というわけにはいかなかったが、ギルの任務の途中で命渡の居住地に寄り道する、という形で同行することが許された。

 それが決まったとき、ギルはリディンの同行をあまり歓迎していないように見えた。しかし、パーシェに文句を言うこともなく終始無言だった。反論したところで言いくるめられるのが目に見えていたのかもしれない。

 顔色の悪いリディンを連れて、自警団の常用出入口から堂々と見張りをぶっ飛ばして町から出た時も、愚痴一つ零さなかった。


 竜の背の荷物群に手を掛け、ギルはひらりと竜の背中に跳び乗った。荷物の隙間に槍を差し込み、少ない手荷物を適当な鞄の中に突っ込んでからまた降りる。

 よく見ると、荷物は全て竜の背に付けられた鞍を取り囲むように縛ってあった。鞍からは無数の太いベルトやストラップが垂れ下がっていて、荷物を固定するのに用いるようだ。輸送鞍とでも言うべきか。

 次に、ギルは自分の荷物の数倍はある、それでも旅荷物としては妥当な大きさのリディンの背嚢を引っ掴み、輸送鞍のストラップに通して落ちないように固定した。

 非常に手慣れた動きで、リディンが腰を上げたときには既に全ての荷物を括りつけ終わっていた。


 リディンも竜の背中に乗ろうと輸送鞍に手を伸ばすと、先に上に乗っていたギルがリディンの左脇に手を入れて一気に引っ張り上げた。片腕一本で引き上げたとは思えない勢いで、リディンは鞍に身体を打ちつけた。

「うおっ」

 一言くらい掛けても良かったはずだが、急に身体を硬い鞍に叩きつけられた衝撃でリディンの口から声が漏れた。

「鞍にはちゃんと跨がれ、身体が固定できん」

「分かってるって、急かすんじゃねぇよ」

 リディンは落ちないようにそろそろと輸送鞍の座席に跨がり直した。ギルの手によって、リディンのブーツと腰のベルトはストラップで固定された。

「飛行中はかなり揺れる。後ろに倒れそうになったら此処を掴め」

 ギルが座席の前の出っ張りを手で軽く叩いた。リディンは頷いた。

「ああ、で、お前は一体何処に座るんだ?」

 輸送鞍の座席は一人分の広さしかなかった。ギルはリディンが背に登ってから、ずっと荷物の上に跨って作業をしていた。


「これだけで十分だ」

 ギルは余ったストラップを二つの束に纏めて、両手に巻きつけた。そのままリディンの斜め前の荷物の端に、危なっかしい角度で腰掛ける。

「本当に大丈夫なのか?」

 一回揺れただけで真っ逆さまに落ちてしまいそうな姿勢に、リディンは疑わしげな目を向けた。

「鞍がなくとも俺は背に乗れる」

 ギルがすました顔でそう言うと、パーシェはぐるろろ、と喉を鳴らした。

 僅かにギルの眉間に皺が寄り、不機嫌そうに喉を鳴らし返した。


「何て言ってるんだ」

 獣語(グロード)を聞き取る能力のないリディンには、ギルとパーシェの会話の内容を知る術はなかった。なんとなく、いつも通りギルがからかわれているらしいのは雰囲気で分かった。

 ギルはリディンの言葉に応えずに、尻に敷いた荷物から袋を一つ引っ張りだしてリディンに向かって放り投げた。リディンは危なげなく受け取った。

 それは革を縫い合わせた袋で、中を覗き込むと空っぽだった。生臭いにおいがリディンの鼻をついた。

「吐きたくなったら、それに出せ」

「あ、ああ……」

 醜態を晒すこと前提のギルの物言いに、リディンは少し嫌な予感がした。


 ギルはゲロ袋と一緒に取り出した仮面を顔につけ、改めてストラップを強く握った。

「霧が完全に晴れる前に行くぞ、パーシェ」

 ギルが準備が終わったことを告げると、パーシェは再び結晶の両翼を広げた。

 翡翠のような透明感のある翼は一度、目一杯伸ばされ木々にぶつかって大きな音を立てた。しかし、音は遠くに反響せず風にかき消された。

 パーシェの翼に宿る結界系結晶術<返し風>により、周囲の空気の流れから断絶された証である。

「うげぇっ!」

 次の瞬間、リディンの身体が物凄い勢いで後方に引っ張られた。慌てて鞍にしがみつき、上半身が宙に投げ出されないように耐えた。

 広げた翼をたたみ、パーシェが強く地面を蹴ったのだ。

 巨体に見合わぬその瞬発力は強弓の矢にも劣ることなく、助走なしで樹木の傘を突き破る。

 物音に驚いて飛び立とうとする小鳥達がパーシェを覆う結界にぶつかり、ぼとぼとと墜落していくという世にも珍しい光景に目を向ける、或いは向けられる余裕のある者はいなかった。

 森を出るのと同時に翼を伸ばし、同時に念音術<追い風の加護>を多重展開、急加速をかける。竜巻のような風に乗り、もはや矢や鳥では例えられないぐらいの速さで空を駆け上っていく。その影響で森中にごうごうと風が吹き荒れ、霧は吹き飛ばされてしまった。

 一呼吸の間に地上から目視し難いほどの高度に到達。まだ夜色の残る空に宝石のような竜の翼が翻った。

 そのまま水平方向に姿勢を直し、再び<追い風の加護>を多重展開、パーシェは北東目指して加速した。


「い、や、が、ら、せ、かぁっ!」

 リディンが押し潰されるような衝撃で意識が朦朧としつつも必死に鞍に取りついていると、前方から今まで聞いたことがない怒気を孕ませた声が流れてきた。

 速さにまだついていけていない瞼をこじ開けリディンが目を向けると、ギルも必死にしがみついていた。

 両手で持っていた筈のストラップを右手に集中して巻きつけ、左手と両足で荷物を抱え込んでいる。リディンの位置からギルの顔を見ることは出来ないが――見えたとしても仮面で表情は隠れているが――凄まじく怒っているのだろう。

「特急便並みに飛ばすな! 初心者は死ぬぞ!」

 ギルの切羽詰まった怒鳴り声に、ああ、これは死ぬな、とリディンは思いながら意識を手放した。

 背中で大変なことになっている二人を鼻先で笑い、パーシェは夜と朝の狭間を切り裂いて飛んでいった。

【補足】

・一ガロン=約四・五リットル

・薄荷には乗り物酔い防止作用もあります

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