第十話 決闘後
「思い出した! 『黒の雷』だ!」
遠巻きで戦いの様子を見ていた兵士の一人が、突然大きな声をあげた。
直後、その場にいた全員の目が一斉にその兵士に向く。
「ひいっ」
そんなに注目されるとは思っていなかったのか、兵士は首を竦めて縮こまった。
声を上げた兵士はそんなに背が高くなく、見るからに気弱そうな見た目だった。リディンよりも少し年上のように見えるので、おそらくは百歳から百五十歳の間くらいだろう。
「黒の、雷?」
リディンは兵士の言葉を復唱した。
「げ……」
ギルは明らかにしまったという顔をして僅かに呻き声を漏らした。天煉の兵士たちはギルを見ていなかったので誰もその反応に気がつかなかったが、一番近くにいたリディンは見逃さなかった。
「えーと……その、ですね。多分、といいますか、何分少ししか実物にお目にかかったことがなかったので、気のせいかもしれませんが……」
兵士は注目されるのがよほど苦痛なのか、隣にいた兵士の後ろに隠れようとしていた。しかし、背後に回ろうとする度に誰かに小突かれ、強制的に矢面に立たされた。
「構わん、申してみよ」
「は、はい……」
散々予防線を張った上で、その気弱そうな兵士は創王に促されてようやく話し始めた。
「……二年前の戦争終結まで、自分は足の速さを買われて戦場で武器及び負傷兵の搬送を行なっていました。
当時、自分の上司とも言える存在にオフィという戦場治療師がいまして、戦線が後退してくると否が応でも負傷兵の回収に駆り出されました。その中で、何度も生命の危機に直面する場面もありました。
その中でも、ブランシュルト平原での戦いは苛烈の一言に尽きました。こちらの予想を裏切っての、解放軍側の争炎からなる殲滅部隊の投入と争炎の指揮をとった上位将校の参戦により、防衛線は次々と突破され敗北はほぼ決定していました。
それでも、オフィ治療師は負傷兵の救助を諦めませんでした。最終防衛線のすぐ傍で負傷兵を集めて回り、危険な状態の者に対してはその場で治療を施していました。
しかし、解放軍の遊撃隊が最終防衛線を破り、無情にも我々救護班に襲いかかりました。
――一応、彼らの名誉のためにも弁解しておきますが、協定では救護活動への攻撃及び妨害は禁じられていましたが、兵士が能力の多用と度重なる戦闘で理性を摩耗し、誤って救護班を巻き込むことは戦線で時々起こっていたことです。
敵の部隊長は自分の目の前で防壁を切り崩し、応戦した弓兵隊を一人で戦闘不能に陥らせました。我々救護班も必死に応戦しましたが、元より敵う筈も無く、歯向かったオフィ治療師にすら刃が向けられました。あの時は、もう生きて帰れないと覚悟をしました。
ところが、敵の部隊長はこちらが救護活動を行なっていることに気が付くと、暴走する部下に容赦なく制裁を下し、強引に部隊を調和軍の中枢に突撃させることによって自分たちを見逃しました。
結局、自分たちが守っていた聖遺物はその部隊長によって破壊され、解放軍は早急に撤退しました。
後から分かったのですが、自分たちを襲った部隊長はあの戦場で争炎の指揮をとっていた将校であったらしいのです。調和軍の間で『黒の雷』という通り名を付けられるほど怖れられていた存在で、あの戦場の終止符を打ったのもその『黒の雷』による一撃だと。
月喰族であるにもかかわらず、ヒトの姿で槍術を巧みに操る最強の獣人戦士。最年少の階位保持者でありながら、奥義を会得した希代の天才という噂も聞いたことがあります――後に調和軍の捕虜になった筈ですが、若いとはいえあれほど誇り高い彼が調和軍の側へ寝返ったなどとはにわかに信じがたくて……それに、自分の記憶では隻翼などではなかったはずですし……やはり、違うかと」
尻すぼみになっていきながらも、兵士はなんとか話し終えた。
リディンはギルの様子をちらりと横目で確認した。
ギルはとても苦い顔をしていた。肯定しているも同然だった。
「そう、なんだな?」
確信を持って、リディンはギルに尋ねた。
苦しそうに息を吐き、ギルは下を向いた。
「一つだけ言わせてくれ……俺は寝返ってなどいない」
かろうじて、ギルはそこだけ指摘した。他の部分について言及しないところをみると、兵士が言った通りのようだった。
「本当、なんだな?」
リディンは念を押してギルに同意を求める。
酷なことだとは分かっていたが、確認せずにはいられなかった。
「……ああ、その通りだ」
ギルはそう吐き捨てて、顔を背けた。
途端に周囲にどよめきが起こった。
「おい、黒の雷の階位はいくらだったか」
「殲滅部隊を従えられるとなると、七は確実だろう」
「まさか。単騎駆ができるのに七程度とは考えられない」
「噂では、戦場に立った時既に六ノ剣だったとか」
「イデュンベリデアの塔を一撃で粉々にしたんだぞ。上級階位だとしてもおかしくはない」
「あれはただの噂だろう」
「奥義を会得しているならば、四ではないか」
「馬鹿か貴様、奴は会得しているのではない、完全に使いこなしている」
「となると、それ以上……」
「……」
周囲で飛び交う勝手な憶測に、ギルは沈黙したまま槍を握る手に力を込めた。
顔は完全に背けてしまっていて、リディンが表情を見ることは出来なかった。
リディンもまた、目の前に突きつけられた事実にかなり動揺していた。
階位の持つ意味は、半獣であるリディンもよく知っている。
階位は、能力が優れた神獣に種族内で与えられる称号で、種族によって呼び方は様々だ。例えば、天煉なら窯、命渡なら暖といった具合である。
階位を持てるのはほんの一握りの純血種のみで、更に五以上の位を持つ者はどの種族も五十人程度、最高の能力を持つ一の称号に至っては二、三人しかいない種族もあるという。
余談ではあるが、種族を統べる王の能力はさらにその遥か上にあるとされている。
あくまでも能力の強さの基準で与えられる称号なので、位が高いからといって戦闘において強いということにはならない。
だが、破壊を本質とする月喰の上級階位と天煉の五位程度では圧倒的な実力差があることは明白だ。
ギルを此処に送り込んだ虹会議が、暴力による制圧を狙っているのは間違いない。そしてギルは、本意はどうあれ、その命令に忠実に従っていた。
創王がこれ以上ギルに対抗する意思を見せれば、次は負傷者だけで終わらない可能性が高かった。
これまでとは別種の緊張が場に走った。
「取り込み中失礼するが、決闘は終わったのか」
突然背後からかけられた聞き覚えのある声に、リディンは振り返った。
「あんたは……」
「やあ、また会ったな」
そこには、いつの間にか色素の薄い長髪を束ねた外套姿の男が立っていた。ギルとリディンをこの村の近くに運んできたという、あのパーシェだ。
「何者だ」
天煉の民たちもたった今パーシェの存在に気付いたらしく、創王の問いかけと同時に兵士たちは創王の周囲の守りを固めた。
これは失礼、とパーシェは腰を折って一礼した。
「嵐雅の三ノ疾風、テンペルトスと申します。お初にお目にかかります、創王殿」
パーシェの口上に、再びその場がどよめいた。
何しろ、二人目の上級階位者だ。
誰にも気取られることなくこの場に現れたことからも、パーシェが階位に見合うだけの能力と技量を持っていることが窺えた。
「ご存知かと思いますが、私達嵐雅は虹会議に協力の姿勢をとっております。決闘の決着もついたことですし、今後の詳しい話については、私の方から交渉させて頂きたいのですが」
丁寧な口調だったが、内容は明らかな脅しだった。
創王は首を縦に振らざるを得なかった。
「……了承した、そなたらを客人として迎えよう。部屋の用意を急げ」
そう言うと、創王は館の中に戻っていった。
創王の言葉に、渋々ながらも兵士と側近たちは従った。
パーシェは二人の横に並び、足を止めた。ギルは顔を背けたまま、パーシェの方を見ようともしない。
「よくもまあ、好きなように使ってくれたな」
「それが仕事なんでね。まあ悪く思わないでくれ」
リディンの少し恨みがましい声を、パーシェはさらりと流した。
「おい、ギル坊」
名前を呼ばれて、ギルはパーシェの方に少しだけ顔を向けた。嫌がっている呼び方をされたせいか、若干睨んでいる。
「よくやってくれた――」
パーシェの言葉の後半は獣語のようで、リディンには聞き取れなかったが、それを聞いたギルは少し目を見開いた。
「後は俺に任せておけ、お前は休んでろ」
そう言って、パーシェは一足先に館へと入っていった。
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創王がギルとリディンに提供した部屋は、長の館の客間だった。
そこそこ広い部屋で、今のところ寝台は二つ置かれているが、あともう一つ運び込んでも窮屈にならないくらいの余裕があった。
家具は他にもソファやテーブル、クローゼットがあり、テーブルの上には争炎の結晶ランプに覆いをかけたものも置かれていた。
置かれている家具の全てに精密な彫金が施されていて、天煉が鍛冶集団の一面を持っていることを意識させる。
さらに、板張りの床には天煉の羽毛が織り込まれた絨毯が敷かれ、部屋の温度が下がりすぎないように調整してあった。
一種族の頂点が住まう館の部屋にしてはかなり地味だったが、快適に過ごせるように配慮された良い空間だった。
天煉の中で指折りの戦士を倒し、正式に約束を取りつけてしまった今となってはギルに戦う意思は全く無く、創王もこれ以上争うつもりはないようで、表面上は賓客として二人を迎えていた。
おかげで、鬱陶しい監視の目も表向きはなさそうだった。
「ここなら、大丈夫そうだな」
リディンは部屋の窓をまわり、外から中の様子が見えないように鎧戸を閉めていった。
「何故窓を閉める」
「何処からか覗いている奴がいるかもしれないだろ」
ギルが訝しむと、リディンは真っ当な理由を言った。
明かりには覆いがかかったままだったので、途端に部屋の中は薄暗くなる。鎧戸から溢れる光が唯一の光源だった。
これで、リディンとギルは完全に二人きりになった。
二人きりになった上で、リディンにはギルに聞きたいことが山程あった。しかし、それよりも大切なことが一つあった。
「で、だ」
リディンはギルの方に向き直り、眉を上げた。声にも少し厳しさが滲んでいた。
「で?」
何に対して怒っているのか全く分かっていないギルはきょとんとした。
「まず脱げ」
「何を?」
「服だ、服を脱げ!」
「えぇ!?」
突拍子のない発言にギルは固まった。
「あーもうまどろっこしい、兎に角今すぐ上だけでも脱げ!」
リディンはギルに詰め寄り、ギルは後ろに下がった。結果的に距離は変わっていない。
更にリディンが詰め寄り、ギルは下がり、詰め寄り、下が――れなかった。ギルの背中に仄かに冷たい壁が当たった。
「い、いきなり何だ」
ギルの声は若干震えていた。
「さっきの怪我の具合を見せろっつってんだよこの負傷兵があっ!」
鬼気迫る形相でリディンがギルに飛び掛かる。
覆いかぶさるように襲ってくるリディンを前にして、天煉の戦士の前で眉一つ動かさなかったギルの顔が引きつった。
戦場治療士とは、端的に言えば戦闘訓練を受けた医者である。怪我人を目の前にして何もしないのは職務に反する。
それに、リディンの身体の三分の二に流れる、命渡の慈悲深くも猛々しい血が寝台に縛り付けてでも治療しろと命じていた。この数日間、ギルの力で本能をすっ飛ばされていたのもあって、その欲求は耐え難かった。
ギルの戦いを目の当たりにしていたのに、リディンは全く臆していなかった。
医者は決して強くはないが、相手が患者であるならば、例え悪魔であろうが王であろうが敗北することはない。それがリディンの持論である。
その考えは覆されることなく、激しい取っ組み合いの末にとうとうリディンがギルを押さえつけた。
「離せ! 別にどうということは」
「あるに決まってんだろーがっ! 俺の目を誤魔化せると思ってんのか!」
絨毯の上でギルはうつ伏せになって左腕を捻り上げられ、更に背中を肘で押さえつけられている。
押さえつけることに成功したのは、ギルがリディンに完全に気圧されているのもあったが、動かない右腕を庇っていたことも大いに関係していた。
「いい加減に大人しくしやがれ、このっ――」
リディンの右の拳が琥珀色の光を纏った。
「頑固者がっ!」
一喝と共に拳がギルの後頭部を直撃。ゴツッという音と共にギルの顔面が絨毯に沈んだ。