第八話 天煉の里
鍛冶の神獣の集落は、リディンが思っていたよりも小さいものだった。
木に登ったギルの見立てでは集落の規模はおよそケアリアの町の半分程度、村という表現がしっくりときた。
村の周囲は簡単な柵で囲まれ、森と村との境界線を主張している。柵は防衛のためというより、子供が勝手に村から離れないように作ったものであるような印象を受けた。そもそも、種族長が住む村を脅かすような脅威などそう現れるものではないので、平時にこの村に防衛は必要無いのだ。
柵はリディンの身長一つ半くらいの高さで、木材を組んで作られているため足掛かりが多く、その気になれば装備を外さなくともよじ登れそうではある。だが、別に無駄な労力を割く理由もないので、リディンの足は村の門へと向かった。
ギルは近道をしていきたそうだったが――ギルの身体能力からすれば、柵を飛び越えるのも難しくないだろう――迷うことなく門の方向へと足を進めるリディンに渋々ついて行っていた。無理やり連れてきてしまった手前、放っておく訳にもいかなかった。
村の門の前には門番が二人立っていた。
門番は二人共ヒトの似姿をとった天煉だった。見た目は殆どヒトと変わらないが、羽根と同じ橙色の頭髪がヒトではないことの目印になっていた。
門番は山吹色に赤橙色を重ねたローブを羽織り、それぞれ錫杖を携えている。
それ以外の武器を持っているようには見えないが、その錫杖がただ相手を打ち据えるだけの代物ではないことをギルもリディンも重々承知していた。
ギルとリディンが歩いてくるのに気付くと、門番たちは険しい顔で錫杖を突きつけた。
「貴様らが、件の使者か」
ギルの朱色の瞳を見て、門番は一目で正体を見抜いた。
ギルが巡回兵と一戦交えたことは、既に知れ渡っているようだった。尤も、知れ渡ってなければ雷の打ち上げ損になってしまうのだが。
「その通り、俺が使者だ」
ギルが堂々と名乗りをあげた。門番の片方がギルのことを憎々しげに睨んだが、ギルは涼しい顔で槍の柄を地面に突き刺して戦意の無いことを示した。
「月喰のヴレイヴルだ。こっちは命渡の……命渡の……」
ギルはリディンが聞いたことのない名を門番に告げ、ついでにリディンを紹介しようとした。だが、自分がリディンの名前を正確に知らないことに口を開いてから思い至ったようで、言葉を濁らせる。
今更リディンの名前を聞く事も出来ず、ギルはリディンを指したまま固まってしまった。
リディンは溜め息を吐いた。
「半獣のリディリウス・レオルートだ」
リディンが助け舟を出すと、ギルはあからさまにほっとした表情になった。
威圧的な態度が一瞬で台無しになってしまったことに、リディンは手で顔を覆いたくなった。
ギルは他人に愛想を振り撒かない割には表情が正直すぎる。交渉事に関わると大損する類の人間だとリディンは確信した。
「創王様から、使者が来た場合には通すように仰せつかっている。ついてこい」
比較的冷静な方の門番は突きつけていた錫杖を下ろすと、村の中へと入っていった。
ギルとリディンもその後ろに続いた。
「……」
門に残った方の門番が二人に鋭い視線を突き刺してきたが、ギルは相変わらず何処吹く風といった様子で、地面から引き抜いたときに槍に付いた泥を払っていた。リディンの方はそうはいかないようで、その場に留まったまま睨んでくる門番の様子を居心地悪そうにしきりに窺っていた。
二人の前を歩く番兵はそこまで露骨に非友好的ではないが、それでもあまり歓迎していないのは容易に見てとれた。
「お前に対しての反応っていつもこんな感じなのか?」
リディンはこっそりとギルに尋ねた。
「ああ、大体こうだ」
ギルは当然のように頷いた。
さっきまでのころころと変わる表情が嘘のように、ギルの顔から感情が抜け落ちてしまっていた。敵意に対する自衛なのか、それとも扱いに対する諦観なのかは傍から見ていてもよく分からない。
ヒト相手には正体を頑なに隠し、迫害を避ける。神獣相手には堂々と正体を明かすが、それでも歓迎されない。ギルが鬱屈しているのは、そんな身の上だからかもしれないとリディンは勝手に想像した。
「そういや、ヴレイヴルっていうのはお前の敬名か?」
「そうだ。ちなみにギル・レージィというのは――」
「本当の名前じゃないんだろ」
リディンがすかさず言うと、言葉をとられたギルはむっとしたようで表情を少し動かした。
敬名というのは、一人前と認められた神獣に与えられる公の場での名である。
半獣も従軍など種族に対して貢献すれば敬名を貰うことが出来るが、リディンはただの自警団員なので、敬名を持っていない。戦争の終わった今となっては、軍に入る必要性も無いのでおそらく一生持たないだろう。
神獣は公的な場では敬名で名乗るのが作法となっていて、持っていない場合は氏名共に名乗るのが礼儀だ。
だが、私的な付き合いの場合は名前の略称で済ませることが多い。リディンがリディリウスの略称であるように、ギルが名前の略称、あるいは偽名であることは容易に察することができた。
「言っておくが――」
「なに、別に本名を教えろなんて言わねぇよ。確認しただけだ」
ギルが少し嫌そうな顔をしたので、リディンは先回りをして否定する。
「言いたくなかったら別にいい。そこまで親しいわけでもないしな」
「……さっきから思っていたが、どうして主は俺が考えていることが分かる」
「一日中水瓶と睨めっこでもしてろ」
ギルにはその意味がよく分からなかったようで、腑に落ちないというのが顔にしっかりとでていた。
リディンはなんとなく、パーシェがギルをからかう理由が分かった気がした。
話しているうちに、二人は村の中心部に足を踏み入れいた。
門から中心部までは真っ直ぐな一本道だったが、その手前には目隠しとして木が数本植えられていた。
村の中心は大きな広場になっていた。獣の姿の天煉族が十頭ほどに加え、ヒトの姿はざっとその五倍が広場に集結している。だが、それでもまだ十分な空間がある程広い。
広場の周りには簡易な柵が設けらており、広場の中心の辺りの地面には長い石材が二本、平行に埋め込まれている。試合での立ち位置を示しているように見えた。どうやら、この広場は天煉の練兵場らしい。
門番と来訪者二人の接近に気付くと、練兵場に待機していた天煉の兵士たちは一斉にざわつき始めた。
「あれは、月喰族か?」
「――」
「センフェたちの仇が、あんな子供だと?」
「だが、それにしてもなぜ命渡が同行している」
「――」
「ん? あの顔、何処かで見た覚えが……」
「――」
リディンには獣の言葉を聞き取る術は無い。獣語の文法が分かっていれば聞き取れるのだが、ケアリアでは共通語だけで特に不自由しないうえにリディンは学術語の方に興味があったので、そっちの方の勉強はしていなかった。したがって、鳥が嘴を鳴らしながら周囲に訴えかけているようにしか聞こえない。
しかし、ヒトの姿の兵士と言っていることは大して変わらないだろうという予測はつく。
月喰族への嫌悪、ギルの若さに対する驚愕、仇に向ける復讐心、そして場違いに見えるリディンに対する困惑。
再三の歓迎されない雰囲気にリディンもいい加減慣れてきたが、それで居心地の悪さが払拭されるかといえばそうではない。
門番は練兵場に面した館の脇の詰め所へと向かい、詰所の前に立っている兵士に何か耳打ちをする。耳打ちされた兵士は顔色を変えて詰所の奥へと俊足で駆けて行ってしまった。
同時に、練兵場内のざわめきの質が変わる。
誰もが館の方へと向き、とある人物が現れるのを今か今かと待ち構えていた。
程なくして、館の扉が大きく開かれた。館の中からぞろぞろと護衛らしき者たちが出てきて、二列に膝をついて道を作る。練兵場内にいた者たちも、それに倣って膝をつき、獣の姿の者は頭を垂れた。
ギルも槍を地面に突き刺し、ぴしっと伸ばした指先をこめかみに当てて敬礼のポーズをとった。リディンはどうしたらよいのかよく分からなかったので、ギルの見よう見まねで敬礼した。
館の中から最後に姿を現したのは、この村の統治者であり世界に散らばる天煉の民の頂点に立つ者であった。
彼の者は、周りの兵よりも嵩のあるローブの上からマントを羽織っていた。
歩く度に身につけたマントの腰まで縫い付けられた銅がかちゃりかちゃりと音をたて、磨き抜かれた板金が光を反射して眩く輝く。
王としての格を示すのと、拘束具としての意味合いも兼ねた立派な衣装である。
その衣装を身に纏っているのは、壮年の男だった。鮮やかな橙の髪を結い上げ、褐色の瞳に強い意志を湛えた様は、まさに王であった。
創王はギルの十歩程手前で立ち止まり、面のような表情を被ったギルと正面から向き直った。
「よく参った、使者よ。私が天煉の長、創王キシハだ」
ギルは敬礼をやめ、槍を手に取った。
「月喰族のヴレイヴルだ。俺が来た理由は言わなくとも分かっているだろう。まあ、どうせ断るのだろうがな」
「待て待て待てっ!」
礼儀作法を刹那で止めて敬意もへったくれもないギルの言い種に、空気が一瞬で殺気立った。周囲の反感が爆発する前にリディンはギルの肩を掴んで無理やり割り込んだ。
「おい、相手は長だぞ。敬意を払え敬意を」
喧嘩をする気はないと言っておきながら、挑発としかとれない言葉を選ぶギルの神経がリディンには全く理解できなかった。しっかりと敬礼をして謙る辺り、相手を本当に蔑んでいるわけではないのだろうが、それなら逆に始末が悪い。
ギルは目をぱちくりさせた。
「月喰の長ではないんだが」
「それでも、言葉の方でも表面上は敬えよ。それに月喰の長も天煉の長も命渡の長も宗教上は同格だろうが」
目上に対する作法はヒトと神獣の間でもさほど変わらない筈だが、ギルにはそういう思考がすっぽりと抜け落ちているようだった。神獣の間であっても今の状況でその態度はかなりまずいものであることを説明するには時間と理解力が足りないと判断して、リディンは宗教論で説得にかかった。
始原教では、全ての神獣は一部の例外を除いて全て平等に始祖から生まれたものであり、各種族を統べる王は皆同じ権利と権威を持つとされている。このことは、竜種の特異性など多少の異論が挙がるものの、概ね支持されている基本的な宗教観である。
「いや、違うぞ」
残念ながら、ギルはこの基本原理に異議があったようで即座に切り返した。
「今はそういう細かい突っ込みはいいっての! いいから敬語を使え!」
「そもそも俺は大して敬語が使えん。礼儀作法で何度落第しかけたか」
「知るか、そんなこと!」
リディンは、力技でギルに表面上だけでも穏便に事を進めさせようとしていたが、その意図を知ってか知らずかギルは頑として態度を改めるつもりはなさそうだった。
いつまでも人前で言い争っているのはそれはそれで見苦しく、そのことに気付いたリディンが慌てて創王に愛想笑いをすると、創王は苦笑いを返した。
「別に構わん、竜種とはそのようなもの――実にそっくりだ。この村の大半の者は竜種をよく知らぬ故、その孤高の魂に戸惑っているだけだ。それよりも、貴公の名はなんという、若い命渡」
仕方がない、という様子でギルの不躾な言葉を不問にしてくれるようだった。
創王の度量の広さにリディンは心の内で感謝した。どうやら、対話の余地はあるようだ。
「私はケアリアの町の自警団に所属しているリディリウス・レオルートという者です。今回は、町に運ばれた者たちについて少々お尋ねしたいことがあって参りました」
リディンは自己紹介と共に、即興で思いついた理由を述べて空気を払拭しようと試みた。
ギルがきょとんとして口を開きかけるが、余計なことを言わないうちにリディンは小突いて黙らせた。
「その件については、私から説明させていただこう」
創王の傍に控えていた側近と思しき一人が、前へと進み出た。
「最近、この村に賊が入り込み聖遺物の類を盗むという事件が起きていた。その際、我らの正体が奴らに漏れてしまったのだ。
当初はヒトの世から無くなりつつある聖遺物を奪って売り捌くだけのつもりであったのだろうが、我ら命渡がその聖遺物を生み出しているという事実をどこかで知り、こともあろうに幼子を攫い聖遺物を作る道具としようとした。
それでも、捕えてしかるべき機関に引き渡せばそれだけで終わる話だった。だが、奴らは予想以上に抵抗しこちらにも負傷者が出たため、『本気』で掃討した結果――」
「――賊は丸焼きになった、というわけですか。よく分かりました。それならば、まあ、仕方がありませんね」
リディンはようやく今回の事の全貌を掴むことが出来た。
軽い火傷なら彼らの元で治療することも可能だろうが、熱を生み出すという能力の副産物として重度の火傷を負うことがない天煉族に、全身丸焼けの人間を治療する方法が分からなくとも無理はなかった。
となれば、医療の専門家である命渡族が多く住んでいたケアリアに怪我人を託すのもまた道理である――どんな理由であれ、只人相手に本気を出して叩きのめすのが力ある始祖の系譜がやって良い事なのかは甚だ疑問だが。
眠った竜の角を折るような恐ろしい事態になりかねないのでリディンは敢えて追及しなかった。
「残念ながら、今のケアリアには治療を生業とする命渡が一人も残っていません。彼らの容態が快方に向かうかは保証しかねます。
記憶の方は、すでにこちらの……あ、えーと、ヴレイヴルが処理していますので、広まる心配はないかと」
リディンは被害者、というより哀れな賊の経過を説明し、ついでにギルの話が少しでも有利に動くようにさりげなく口添えをした。
「そちらの話は済んだか。いい加減、本題に入りたいのだが」
しかし、有利に傾きかけた空気を本人がぶち壊してはどうしようもない。
ギルの感情がのっていない声が、治まっていた敵意を蒸し返した。
周囲の目がなかったら、リディンはギルを間違いなく殴り飛ばしていただろう。
ギルは腰の猟刀の下から折り畳まれた書状を引き抜いた。
「デシュヒの虹会議から書状を預かっている。此の地を離れ、天煉族は皆デシュヒに移住するようにとのことだ」
一方的な勧告に、創王の表情が曇る。
「それは宝甲族の傘下に入れ、という意味にとらえてよいのか」
「さあ、俺にはよく分からん」
実際、ギルはよく分かっていないのだろうが、周囲からはその態度が肯定的にはぐらかしているように見えた。
「もし、その書状を破り捨てた場合、貴公はどのような行動をとることになっている」
「創王を連れて来い、と命令された」
その場にいたギルを除く全員が、リディンも含めてぎょっと目を見開いた。
「それは明らかな越権行為だ!」
先程、リディンに事情を説明した側近が吠えた。それを咎める者はいない。
全ての種族の長は同等の権利を有すると言うのに、一方的に命令するなど傲慢以外の何物でもない。怒るのは当然のことである。
しかし、創王は声を荒げた者を手で制した。眉間に皺を深く寄せて熟考し、周囲の側近たちに意味ありげな目配せをしてから口を開く。
「確かに、問題が起きてしまった以上、崩壊した世に此の地で暮らすのは得策ではない。新たな居住地を提供するというのであれば、それに乗るのもまた一つの策であろう。しかし、これは我々の問題だ。ここは一つ、他の地に移住し、デシュヒにも一部を住まわせるというのではどうだ?」
完全に傘下には入らないが、ある程度の技術の提供はする――創王の出した妥協案は尤もなものだった。だが、ギルは静かに首を横に振る。
「俺にそれを言われても困る。全員の移住か長の連行、どちらかを必ず果たせというのが下された命だ」
それに、と言葉を更に重ねる。
「相手を殺すことも生かすこともできないような連中に、信用など無いと思うのだが」
至極当然、というように告げられたギルの私見に悪意はなかったが、侮蔑の色が見えた。
「貴様っ!」
横から振りかぶられた戦闘槌をギルは槍の柄で受け止める。金属同士がぶつかり合う重く、それでいて澄んだ音が響き渡る。
かっとなって槌を振り下ろした兵士は、周囲の同僚たちとは異なりローブ姿ではなかった。毛織物のシャツの上に、ギルと同じように茶色の革鎧を身に着けている。
その男が天煉の戦士としてかなりできる、というのはその格好だけで判断することができた。
「創王様、もうこれ以上黙って見ていることなどできません。決闘の許可を頂きたい!」
武器を打ち合わせたまま、兵士は叫んだ。
他の兵士たちも、手こそ出していないが気持ちは同じようで創王に目を向けて拳を震わせていた。
ここまで種族として侮蔑されれば、創王が何も言わなくとも周囲がギルを許すはずがない。
創王と、第三者であるリディンはそれぞれ心の中で溜め息を吐いた。
何処の誰かは知らないが、此の案を考えついた策士は性根がねじ曲がっている。
創王は諦めたように頭を垂れた。
「好きにせよ」
「ついて来い」
兵士は槌を下ろすと練兵場の中心に足を向けた。
「いいだろう」
ギルもその後に続いて歩き出す。
「おい……」
「主は下がっていろ」
せめて忠告だけでもしようとするリディンを拒絶するギルの声色は低く、有無を言わせぬものがあった。
ギルは歩きながら静かに槍に巻き付いた飾り紐を解き、地面に落とした。続いて、鞘の留め金に指をかける。
リディンは知らず知らずのうちに固唾をのんでいた。ギルがリディンの見ている前で槍の鞘を外すのは、これが初めてのことだった。
パチン
軽い音と共に留め金は外れ、ゆっくりと鞘から刃を引き抜く。
現れたのは、漆黒の刃だった。
柄と同じ材質の金属でできており、刃渡りは短剣と同等程度しかない。
しかし、一瞬にして刃先は朱い光に包まれ、黒い結晶で形作られた長い刃がその上から覆い被さった。
相対する兵士の槌の表面にも橙の線が走り、紋様を描き始める。
「我が名は天煉の五ノ窯《鉄を踏みしめる者》、全ての始祖の意思に準じ我らが創王《石を掴む者》の代理として貴殿に決闘を申し込む」
兵士は腰だめに槌を構えて口上を述べた。
「我が名は月喰の《正義を行う者》、始祖に仕えし真祖の名において決闘を受けよう」
ギルは重心を低く落とし、槍の先を兵士に向けて口上を返した。