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僕とジャックが〈レイロア・イン〉に戻ると、ビリーさんがシーツを頭から被って、ガタガタ震えていた。
「これを着て下さい」
「ッ着方、ッわかんね」
震えながらビリーさんが首を横に振る。
「ソレデハ着セマスカラ、オ立チ下サイ」
半裸で立つビリーさんに、僕とジャックで礼服を着せていくのだが、何だか僕が想像していた礼服と違う。
「ジェロームの服ってこんなんだっけ?」
「コレハ主ヲ護衛スルトキノ服装ナノダソウデス。冒険者ナラバ、コチラノ方ガ似合ウダロウト」
「ほほう」
「出来たかニャ?」
リオが赤い花束を抱えて戻ってきた。
「ちょっと貸すニャ!これじゃ夜になってしまうニャ!」
「あっ、リオ!こっちが先なんだよ」
「びりーサン動カナイデ!」
「ッさみーんだよお」
四苦八苦しながらどうにか着せた時には、日はとっぷりと暮れていた。
「よしっ!行くぞ!」
花束を持ったビリーさんが、気合いを入れる。
礼服は、ぴったりした黒のロングコートに黒のズボン、黒革のロングブーツといった出で立ちだ。大きく開いた胸元からは、スタンドカラーの白シャツが覗く。コートの上からベルトを締め、そこに飾りのついた短剣を差している。
普段は無造作な髪は、エーリクが髭を整えるのに使う油で後ろに撫で付けてみた。
勢いよく歩き出したビリーさんだったが、ヴィヴィの家に近づくにつれ、段々と歩みが遅くなった。
家の前まで来たときには、もはや牛歩のような足取りだった。
「何だか可愛い家だニャあ」
ヴィヴィの家はちんまりとした一軒家で、リオの言う通りどこか可愛いらしかった。夕餉の支度だろうか、煙突からは煙が立ち昇る。
「うう……」
「どうした、心のままに、だろ」
家を前に立ち止まるビリーさんの背中を、ラシードさんが力一杯押した。ビリーさんが、数歩、前に出る。
「びりーサン、ふぁいとー!」
「頑張って、ビリーさん!」
「……よし!」
ビリーさんは玄関へ向かい歩き出すが、またすぐに立ち止まり、振り返った。
「断られたらどうしよう」
「その時はその時じゃ!やけ酒付き合ってやるわい!」
エーリクの言葉に強張った顔で頷いた。
やっと玄関の扉の前に立ち、大きく深呼吸してからノックした。
「はーい」
子供の声がして、扉が開かれた。
「ビリー!?」
ビリーさんのいつもと違う姿に、ロジャーは驚いた顔をした。
「よ、よう、ロジャー。ヴィヴィはいるかい?」
「うん。呼んでくるね。お母さーん!」
ロジャーが家の中に引っ込んでいき、しばらくしてからヴィヴィが現れた。
ヴィヴィはビキニアーマーにエプロンという奇妙な格好だ。冒険帰りに急いで料理を始めたのだろう。
「今日は来る日だったっけ?ビリー……?」
ビリーさんの出で立ちに、何が起こるか察したのだろう。ヴィヴィの表情が変わっていく。
「ゴホン!ヴィヴィ、大事な話がある」
「……うん」
「ロジャー、こっちこっち」
二人の間で右往左往しているロジャーを手招きする。気付いたロジャーは、小走りで僕の所に来た。
「これって……プロポーズ?」
ロジャーが小声で問う。
「うん、そうだよ」
「なんだかドキドキするね」
「うん、ドキドキする」
僕はロジャーを後ろから抱き抱えるようにして、事の推移を見守る。
「俺は!俺は、お前を愛してる!」
「ビリー……」
「ロジャーの事も大好きだ!俺は二人といると最高に幸せなんだ!お前とロジャーのパーティに俺も入れてくれないか!?」
ビリーさんはそう叫ぶと、ヴィヴィの前に跪いた。
「ヴィヴィ、結婚してくれ!」
ヴィヴィはエプロンの裾をぎゅっと握ると、大きく息をついた。
「一つだけ。一つだけ約束して」
「なんだ?」
「死なないで。お願いだから、死なないで」
ビリーさんはそれを聞いて固まった。
頷いておけばいい気もするが、冒険者には軽々しく約束出来ない事ではある。
「あんでっどデモナイノニ、無茶ヲ言イマスネエ」
ジャックがぼそりと呟いた。
いったいどう答えるのか、ロジャーと共にハラハラしながら見守る。やがて決心したのか、ビリーさんは顔を上げた。
「俺も亡くなった旦那さんと同じ、冒険者だ。いつ死ぬかわからない……でも、お前より一分でも一秒でもしぶとく生きてやる。お前に二度も夫を失わせたりしない!」
いつ死ぬかわからないのに、長生きする。矛盾しているが、ビリーさんなりの誠意のこもった返答だった。
「ビリー……約束よ?」
「ああ、約束だ」
次の瞬間、ヴィヴィはビリーさんを抱きしめた。
「おお!」
「良カッタ良カッタ!」
「おめでとう!」
「おめでとニャ!」
「目出度えなあ、おい!」
僕達は祝福の声を上げ、拍手した。
「で、何であんた達がいるんだい?」
ヴィヴィの目が吊り上がる。
「いや、これは……」
「決シテ野次馬ナドデハ……」
「まさか、こいつらに煽られて、勢いでプロポーズしたんじゃないだろうね!?」
ヴィヴィは鬼の形相でビリーさんを見た。
「違う!いや、違わない?でも違う!」
「どっちなんだい!」
ビリーさんは完全に取り乱している。
「記念すべき、初夫婦喧嘩ニャ」
「いや、喧嘩になってないぞ、あれ」
「儂らの責任でもあるしのう。助け船出してやるか。ノエル、行け」
「やだよ、エーリクが行きなよ」
「僕が行く」
ロジャーが僕の手を離れて、二人の元へと歩いていった。
「お母さん!みんなは悪くないんだ!」
ヴィヴィは驚いて愛息の方を向く。
「みんなには結婚式の準備を手伝ってもらったんだ!」
「結婚式!?」
「そう、結婚式!お母さん、お金かかるから出来ないって言ってたよね?でも、出来るんだよ!」
そう言うと、ロジャーは胸を張った。
「……そっか。突然バイトするなんて言い出しておかしいと思ってた。行き先は嘘ついてなかったから追及しなかったけど」
もしかして、ロジャーを尾行してたのか?危ない、バレる所だった。
……いや、もうバレたわけだが。
「結婚式出ないとか言わないよニャ?」
「もう粗方準備出来とるぞ!」
「僕もたくさん手伝ったよ!」
「ロジャー。あんた達……」
ヴィヴィは困ったような、恥ずかしそうな、そんな笑顔を浮かべた。
「いつなんだい?」
「明日だってさ」
「はあっ!?」
ヴィヴィは目を見開いてビリーさんを見、眉を寄せて黙りこんだ。
「……無理だよ」
「何で!?お母さん!」
ヴィヴィは、もう一度ビリーを見てから呟いた。
「結婚するならビリーの親御さんにご挨拶しなきゃ」
「……いいよ、そんなの」
今度はビリーさんが眉を寄せた。
「ちょっと、ラシードさん」
僕はラシードさんを責めるような目で見る。
「あっ、ああ。おい、ビリー!お前、天涯孤独だって言ってなかったか!?」
ラシードさんの問いに、ヴィヴィが答える。
「親御さんも、兄弟もいるみたいだよ。家出同然に飛び出して、冒険者になったってさ」
「おいおい……」
ビリーさんは、ばつが悪そうに話した。
「もう、十年以上会ってねーよ。今更帰るつもりもねーし、向こうも死んだと思ってるだろ」
「そういう問題じゃないの!」
ヴィヴィがペシッ、とビリーさんの頭を叩く。
「私達、結婚するんだろ?なら、ビリーの親御さんは私の親になるの!ロジャーのお祖父さんお祖母さんになるの!」
ビリーさんは驚愕の表情でヴィヴィを見つめた。
「僕のおじいちゃんおばあちゃん?」
「そうだよ。だから挨拶しなきゃ、ね?」
「うん!」
ビリーさんはヴィヴィとロジャーを交互に見て、観念したのかガクリと項垂れた。
「出身はノクト村だったな……まさかそれも嘘じゃないよな?」
ラシードさんが低い声で問う。こめかみに青筋を立てていた。
「っ!ほんとだ、それは嘘じゃない!」
「家族の事はなんで嘘ついたんだ?」
「……戻るつもりは無かったから。詮索されるのも嫌だった」
「そうか」
そう言うと、ラシードさんはビリーさんの腹に拳を放った。
「ウグッ、すまねえ……」
きっと、これでこの件は終わりって事なのだろう。
いや、トールさんにも殴られるのか?ラシードさんより大柄だから、さぞかし重い拳だろうな。
「そういうわけさ。まず、挨拶に行かなきゃ」
「そんニャ……」
リオがガックリと崩れ落ちた。
ノクト村はイロハとマタンゴを狩った村だ。一日で行って戻れる距離じゃない。
「延期すればどうじゃ?」
「食材がね。冷蔵屋に預けても腐らないわけじゃないから。リオの発注した物も厳しいかな」
「ふむ。じゃが仕切り直しが無難じゃわい。ヴィヴィの言う通り、筋は通すべきじゃ」
「そうだね、仕方ないか」
「中止じゃないよね!?」
ロジャーが不安そうに僕達を見上げる。
「大丈夫じゃ。ちっとばかし延びるだけじゃ」
「そっか」
ロジャーは少し安心したようだ。
「アノウ、のえるサン」
「何だい?ジャック」
「『てれぽーと』アリマスヨネ?」
「ああ、うん」
「何っ!あの伝説の転移魔法『テレポート』か!」
エーリク僕の肩を掴んで、鼻が触れるほど近くに髭面を寄せてきた。
「近っ!近いよエーリク。伝説って大袈裟だろ?」
「なんの、大袈裟なもんか!魔法石は極稀に出てくるが、誰も使いこなせないと言われとるぞ!」
「そうなの?……ああ、そうか。司祭じゃないと厳しいのかな」
「そうなのか?」
「うん、司祭の師匠がそんなこと言ってた」
「ほう、ふむ。そうか、司祭なら使えるのか」
納得したエーリクに代わり、リオが問い詰めてくる。
「じゃあノクト村に転移するニャ!」
「無理だよ、事故が恐い」
もうすぐ晴れの日を迎える人達に、そんなリスクを背負わせるわけにはいかない。
「デモ、いふゅーんナラ行ケルノデハ?のえるサンノ故郷デショウ?」
「そうか、そうだね。師匠も故郷なら大丈夫って言ってたし……」
そこで僕は、はたと気付いた。
「なんで僕の故郷がイフューンだって知ってるのさ!?」
「いろはサント行ッタ時、妙ニ詳シイノニ避ケテイル感ジガシマシタ。嫌ナ思イ出ノアル場所、オソラク故郷ダロウ、ト」
「当たりだよ。くそう」
「ヒッヒッ、オ見通シデスヨ」
「そんなにわかりやすかったかなあ」
「それで!結局どうニャ!」
リオが僕の両肩を持って揺さぶった。
「あう、ごめん。多分間に合う」
「よし!それでこそ共同経営者ニャ!」
ガシガシと僕の頭を撫でるが、爪が尖ってて痛い。
「どういうこと?間に合うって」
ヴィヴィが僕に聞いてくる。
「転移すれば間に合うんだ。行こう、ノクト村へ!」