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僕の5人前の人が無表情のまま、ざぶり、ざぶりと死の淵へ入ってゆく。
僕もあと少しで入るのか。
まだ死にたくない。
まだ生きていたい。
僕が死んだらジャックはどうなる?
……今のジャックなら、野良スケルトンになっても大丈夫か。
ルーシーはどうだ?
世話好きのリオがいる。
ミリィや便利屋仲間達だっている。
たぶん大丈夫だ。
それなら、この痛みから解放されるのもいいかもしれない。
『やれやれ、最近の若者は諦めが良すぎるのう』
頭の中に老人の声が響いた。
驚いて骸骨を見るが、彼は不思議そうに首を傾けた。
『助かりたいかの?司祭ノエル』
助かるのか?というか誰の声だ?
『儂じゃよ』
だから、誰?
『儂じゃ、儂。お主の家に行ったじゃろ。冷たく追い払われた、かわいそうな老人じゃ』
あー、邪教勧誘の爺さん。
『誰が邪教勧誘の爺さんじゃ!そんな風に思っとったのか!』
これ何なんです?頭の中に直接響いて気持ち悪いんですけど。
『話を急に変えるでない!儂がキレてる途中じゃろうが!』
面倒だなあ。痛みが酷いのでサクサク行きましょうよ。
『む?そうか、死の瞬間の痛みか』
まだ死んでないですよ?もうすぐみたいですけど。それより、サクサク、サクサク!
『わかった、わかった。これは司祭感応というものじゃな』
司祭感応?
『司祭同士が近くにおると、直接頭の中で意思疏通出来る事じゃ』
近くにいないじゃん。
『おるおる。お主の肉体の側にの』
ああ、そうか……僕、死にかけてる?
『うむ。瀕死じゃの』
そう。改めて聞くとキツイものがあるね。ってか、爺さん司祭なの?
『如何にも。儂こそが司祭リィズベルじゃ』
へえ、聞いたことあるな。てっきり、こ汚いだけの爺さんだとばかり思ってた。
『……もう少し目上に敬意を払えないもんかの』
そう言われても。これ、本音ダダ漏れなんですよ。
『確かにの。司祭感応とはそういうもんじゃ』
そう言えばアナベルさんの時もこうだったなー。あれも司祭感応だったのかー。
『む?お主、【霧煙る女王】と会った事があるのか』
はい。偉いのか偉くないのかよくわからない方でした。
『数千年の時を生きる竜に何という言い草じゃ……』
それで?助かりたいのですけど。
『そうじゃ、その話じゃった。司祭ノエル、お主、儂の弟子になれ』
えっ、嫌です。
『即答か!些か傷付くわい!』
だって爺さんの事、よく知らないし。
『じゃあ、そのまま死んでしまえ』
ええっ!?それでも司祭か!助けてよ爺さん!
『儂だってお前の事、よく知らんもーん』
くっ……弟子になれば助けてくれるの?
『どうじゃろうのー』
このっ、クソジジイ。
『はて?何か悪口が聞こえた気がするわい』
気のせいです。年寄りの幻聴です。
『うるさいわい!まったく……弟子になれば助けてやるわい』
ほんとに?
『司祭に二言は無い』
ほんとにほんとに?
『しつこいわい!お主、時間ないのじゃろ!』
へっ?あっ、マズい!前にあと1人しかいない!
『何っ!?なんでそんなギリギリで無駄話しとるんじゃ!』
爺さんだって!ってかこれも無駄話!
『決めろ、司祭ノエル』
わかったよ!なるよ、弟子に!
『誰の弟子に?』
ああ、もう!僕は司祭リィズベルの弟子になります!
『うむ。交渉成立じゃ』
早く!早く!最後の1人が行ったよ!
『詠唱あるからしばし待て』
先に唱えとけー!
『そんな器用な真似は出来んわい……はて、どこまで唱えたか』
ううっ、体が勝手に死の淵へ!?あうう、もう駄目だあああ!
『気をしっかり持たんか!さっきまでは落ち着いておったじゃろうに!』
さっきまでは覚悟決めてたんだよおお!なのに助かるって聞いて!でも助からないいい!
『間に合わせるから落ち着け!今どうなっとる?』
死の淵に腰まで沈んだとこ。
『急に落ち着いたな!?』
諦めの境地。
『だから簡単に諦めるな!必ず助けてやるわい!』
今、胸元。
『はうっ!……ちと集中するから黙るぞい』
それを最後に頭の中の声が途絶えた。
自分の意思と関係無く、歩みは進む。
もう首元まで淵に沈んだ。
間に合うかな。
そう言えば、リィズベルはいつ僕が司祭だと知ったのだろう?
……どうでもいいか。
口、鼻と淵に沈む。
不思議と苦しくはない。
死ぬときはこんなものか。
そんな取り留めのない事を考えていると、ふいに淵の底を踏む感触が消えた。
ざぱっ、と水から体が上がっていく。
間に合ったのか?
「おや、なんとまア。ギリギリで助かったようだネ」
振り向くと、水際に立った骸骨が呆れ顔でこちらを見ていた。
骸骨の顔が、段々と上を向く。
僕の体は水面から離れ、ゆっくりと浮き上がっていった。
「何となくだけド、君は助かる気がしてたヨ」
いつの間にか骸骨が僕の隣で浮いていた。
「……付いてくるの?」
「いやいや、見送るだけサ。久々のお喋り相手だったしネ」
僕は骸骨と薄暗い空を昇っていく。
「あの人達は?」
上空から見ると、長い長い行列からは遠く離れた場所に、うろいている人達がぽつり、ぽつりと見えた。
1人や2人ではない。それぞれが勝手に、目的もなく、薄暗い中を歩いているように見える。
「あれこそが本当の意味で、死の淵を彷徨う者達サ。いわゆるアンデッドだネ」
「そうか、彼らが」
あの中にジャックやルーシーはいるのだろうか。
「おっと、終点ダ」
骸骨に言われ見上げると、薄暗い空の上に白く厚い雲の層が広がっているのが見えた。
「じゃあネ、司祭君。また会おウ」
「うん、また来るよ死神さん」
死神に見送られ、僕は真っ白な雲へと飛び込んでいった。