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僕達は顔を見合わせた。誰もが何が起きているのか分からない顔。だが突然の静寂の中で声を出す勇気が出ない。
周りを見渡すと、ゴブリン達の顔から表情が抜け落ちていた。ただ、ただ無表情。ストレスが限界を越えたのだろうか。
そんな静寂に苛立つ者がいた。トロールだ。
「ヴボォォォオオオ!!!」
勝手に戦いを止めてしまったゴブリン達に、トロールが威嚇するような怒声を向ける。
ゴブリン達は虚ろな目でトロールを見上げる。
トロールは近くのゴブリンを踏み潰し、オークを弾き飛ばし怒りを露にする。
しかしその光景さえ無表情で見つめるゴブリン達。
反応のなさが気に食わないのか更に蹂躙を続けるトロール。
やがて無数の虚ろな目に怒りの火が宿っていくのがわかる。ぼんやりと立っていたゴブリンも蹲っていたオークも全てがトロールを見ている。いや、睨んでいる。
「さっきの計画は破棄。様子を見る。動くなよ?」
ラシードさんの小声の指示に頷きを返す。
1体のゴブリンが雄叫びを上げた。
トロールのそれよりは小さい、だが怒りに充ち満ちた声だった。
すると所々から小さいながらも雄叫びが上がる。オークが雄叫び上げ、トロールに飛び掛かる。トロールは歯牙にもかけず、簡単に頭を掴みそのまま握り潰す。
だがそれをきっかけに一斉に雄叫びが上がる。先程迄の喧騒をはるかに超える音量だ。
数多いるゴブリン、オークがトロールに殺到する。
圧倒的な力を誇る名前付きトロールも手数が足りず、傷を負ってゆく。前方のゴブリンを強靭な腕で一薙ぎしても、その間に両足に無数の刃物が食い込むのだ。
僕達の近くのゴブリンもトロールへ向かってゆく。ジャックと泥仕合を演じたモヒカンも。……そして何故かジャックも。
「おい、ジャックぅ?」
我ながら間抜けな声でジャックを引き止めるが、熱狂の渦の中にあるジャックには届かなかった。
「おい、どうしたんだ骨の旦那は!?」
「うーん、ちょっと影響受けやすいとこが有りまして」
「ジャックばかだよねー。」
「バラバラにされちまうぞ?いいのか?」
「あ、スケルトンなんでバラバラでも問題ないです。粉々とかじゃなければ再生しますので」
「そ、そうか」
再びトロールに目を戻すと、巨象に蟻が群がるような光景が広がっていた。トロールが腕を振り回すたびにゴブリンが吹き飛ぶ。が、数はまだまだいる。一方でゴブリン達も傷を負わせる事はできるが決定力に欠けている。
「勝ち残った方を叩く。それでいいな?」
ラシードさんの決定に異議を唱えるものはいない。少々ずるい気はするけれど、先程までの窮地を省みれば潰し合ってくれるのは大助かりだ。
「今のうちに生存者を逃がしましょうか」
トールさんが扉を後ろにある家具ごと押しずらす。
出来た隙間からざわざわと話し声が聞こえる。
「何者だ!」
髭面の中年男性が隙間から怒鳴った。声色から酷く緊張しているのが分かる。
「レイロアの冒険者ギルドから依頼された者だ!今なら脱出できる!生存者はここだけか?」
「ほ、本当か?助かるのか?」
「今すぐ動けば、な!質問に答えろ。」
「ああ、ああ。多分ここだけだ」
「多分?」
「分からないんだよ、俺だって必死で逃げてきて!畑に出てた母親がどうなったのかさえ……ううっ」
「分かった分かった。とりあえずバリケードどかすぞ?中の男衆にも手伝わせてくれ」
ゴブリン達の反乱の熱気を背中に感じながら家具を取り除いてゆく。建物内部では40人くらいだろうか、身を寄せ合い震えていた。
ラシードさんと僕が中へ入る。ビリーさんとトールさんはそのまま警戒を続ける。建物の造りから村長宅だろうと考えていたが、どうやら教会だったようだ。質素ながら祭壇があり、その後方に十字架が掲げられている。
村人達は本当に安全なのか、生き残りを探さず自分達だけ逃げていいのかと口々に迷いを発する。
それを前にしたラシードさんは僕をチラリと見てから声を張り上げた。
「この方は若いが司祭さまだ!皆を導いて下さる!司祭さま、お言葉を!」
僕は唾を飲み込み、胸の十字架を見えるように手に持つ。そして出来るだけ大きくしかし柔らかく話す。
「私は司祭です。先ずはその証左を……清らかなる光のながれよ…その輝きをもって傷を癒し給え…『ヒール』!」
手前にいた怪我に泣く男の子へ暖かな光が降り注ぐ。『ヒール』くらいなら詠唱破棄出来るが、この場面ではそれっぽさも必要だろう。
男の子は突然傷の痛みから解放され、こちらを向いてキョトンとしている。
「魔法だ!」
「ほんとに司祭さまなのか」
「随分若い司祭さまがいるのねえ」
反応を確かめてから、もう一度大きな声で語りかける。
「今、村を襲ったゴブリン達は仲間同士で争っています。このタイミングを逃すと脱出は不可能かもしれません。皆さん家族のこと、友人のこと、田畑のこと。沢山の心配はあるでしょう。しかし心配事も命有ってこそです。」
村人達は黙っているが、否定的な感情はなさそうだ。諦めたような覚悟を決めたような、そんな表情をしている。
空気の変化を確認して、ラシードさんが再び前に出て指示を出す。
「街道の方へ脱出する!子供と老人、その付き添いが先だ!」
扉を出るともう真っ暗だった。未だ燃え続ける民家の明かりがトロール達の戦いを照らし出していた。
「ヒッ!」
トロールを見つけたおばさんが慄く。
「向こうは見るな。こっちなんか気にしてない」
トロールは足を引きずりながらゴブリンを追いかけていた。一方のゴブリンも数が目に見えて減っている。
教会を出た村人はひとかたまりになって街道へ歩き出す。僕とラシードさんが先導し、ビリーさんとトールさんがそれぞれ左右に着く。ルーシーは上だ。
「さっきはすまなかったな、利用しちまって」
ラシードさんが囁くような声で謝罪してきた。
「いえ、嘘ではないですし。便利屋は便利に利用しないと」
「ははっ、違いない」
僕は司祭という自分の職業にコンプレックスを抱えている。それを察してラシードさんは謝罪してきたのだろう。
道中襲ってくるゴブリンもなく、無事に馬車を置いた所へたどり着いた。
「馬は……逃げてないな、良かった」
少々興奮している様子だが暴れることなく老馬は繋がれていた。年寄りであることが幸いしたかもしれない。
「ビリーは単騎でレイロアへ戻って救援部隊を要請してくれ」
「分かった!」
言うが早いか御者台の座席の下から鞍を取りだし老馬に装着する。繋ぎを解いてヒラリと跨がると手綱を短く持ちながら叫んだ。
「朝には戻る!無茶はするなよ!」
「お前もな!」
「頼みますよ!」
老馬は方向転換するやレイロアの方へ駆けていった。