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港近くの宿屋〈夕凪亭〉。
海の香り漂うこの宿の、二階の一室に僕はいた。
宿の女主人はリックママの友人で、「彼女の力になってやってくれ」と、かなり値引きしてくれた。
部屋は六人部屋。
ベッドとクローゼットが六つずつ並ぶだけの、簡素だが必要十分な部屋だ。
掃除も行き届いている。
経験上、この感じなら食事も期待できるはず。
ベルシップにいる間は、この宿を拠点とすることに決めた。
ルーシーが部屋の中をふよふよ物色しながら呟く。
「みんな、おそいねー」
僕は六つのベッドのうちのひとつに寝転び、天井を見つめながら答えた。
「だねえ」
部屋には僕とルーシーだけ。
黒猫団とリックには情報収集を頼んだ。
冒険に挑む前によく調べる。
冒険者の鉄則だ。
だが日暮れまでに戻れと言ったのに、暗くなっても誰一人戻ってこない。
急に心配になってきた。
ベッドから跳ね起き意味もなく室内を歩き回っていると、ようやく部屋の扉が開いた。
「タダイマ戻リマシター」
「遅かったね、ジャック」
「ジャック!おそい、おそい!」
退屈してたルーシーが口を尖らせる。
「イヤァ、初メテノ街ナノデ迷イマシテ」
「えー。役所はすぐそこじゃん」
するとジャックは胸をドン!と叩いた。
「ソレデモ迷ウノガ、コノ私デスッ!」
「何を自慢げに――」
「ただいま!」
と開いたままの扉から、リックが勢いよく入ってきた。
「お帰り、リック」
「おばさんに捕まってて遅くなっちゃった」
「ちゃんとこっちに泊まるって言ってきた?」
「うん!」
「申シ訳アリマセン。遅クナリマシタ」
続いて戻ってきたのはジェローム。
「ジェロームが遅れるって珍しいね」
「街中ヲ回ッテオリマシテ。時間ガカカッタ分、興味深イ話ガ聞ケマシタ」
「それは楽しみだ。……あとはマリウスとドミニクか」
一番心配な二人が遅い。
不安だ。
酷く、不安だ。
僕の表情を見て、ジャックが言った。
「アノ二人、留守番ニシテオケバ良カッタノニ」
「いや、できるって言うからさ。暇をストレスと感じる二人だし」
「ルーシーもすとれす!すとれす!」
「ごめん、ごめん。次は僕と行こうね」
なおも「すとれす!」を連呼するルーシーを宥めていると、ドスドスと階段を上る音がした。
「帰ッタゼ!」
「カ、カ、カ、返ッタ!ウシャッ!」
「お帰り。ドミニク、マリウス」
無事マリウス兄弟が帰ってきて、僕は胸を撫で下ろした。
「じゃあ、さっそく作戦会議といこうか」
僕が中央のベッドに腰かけると、皆も僕の近くにそれぞれ腰かけた。
「まずは情報収集の結果を聞かせてもらうよ。最初は――そうだな、リックから」
「えっ、オイラ?」
リックは自分の顔を指差して戸惑っていたが、皆から無言で見つめられ、恥ずかしそうに立ち上がった。
「えっと、オイラはママに聞き込みしてきました!」
リックの情報収集先はリックママ。
僕からは聞きにくいことを聞いてもらうためだ。
「親戚はお金を貸してはくれたけど、少なかったって。他の人から借りたのも合わせて、二十万シェルくらいだそうです!」
「ありがとう。僕の手持ちと合わせても七十万弱。買い取るにしても、百万シェルにはだいぶ足りないな……」
ジェロームが手を挙げた。
「御主人様、ヨロシイデショウカ?」
「なんだい、ジェローム?」
「百万しぇる集メテモ、買イ戻セルカドウカハワカリマセン」
「ん?どうして?」
「ソレハアクマデ、ひずガ提示シタ金額デスノデ」
「あー、そうかあ」
とりあえず百万シェル集めておけば、言い値で買い戻すという最終手段が使える気でいた。
だが、もう権利者はジャスティス不動産に変わってしまっているのだ。
いくら出せば買えるのか、わからない。
ドミニクが鼻を鳴らしてふんぞり返った。
「ハンッ!ドウセ、ソノひずッテノトじゃすてぃす不動産ハぐるダロウ」
ジェロームが頷く。
「百万しぇるハ、アクマデ土地ヲ手ニ入レルタメノ方便ダッタノデショウ。コノクライフッカケレバりっく親子ハ立チ退クダロウ、ト。ダカラりっくままガ資産家ニ金ヲ借リニ行クト聞キ、焦ッタ。スグサマ権利ヲじゃすてぃす不動産ニ移シ、別荘ヲ建築シテ既成事実ヲ作ッタ」
「うーん。だとするといくら払えば買えるのかな?」
「じゃすてぃす不動産ノ設定額次第デスガ……ココカラハ私ノ報告ヲサセテイタダイテモ?」
「うん、どうぞ」
ジェロームは皆に体を向け、姿勢を正した。
「私ハ別荘ニツイテ情報ヲ集メテキマシタ。マズ聞キ込ミシタノハ大工達デス。彼ラハ『二千万の別荘に相応しい、豪華な別荘にしろ』ト発注サレタ、ト言ッテイマシタ」
「二千万!?これまたずいぶんふっかけるね」
砂海を渡る際、カシムが船代としてふっかけられたのが一千万シェルだ。市街地に行くのに山道を上り下りしなければならないあの土地には到底不釣り合いな価格である。
「そんなの、物好きな金持ちしか買わないと思うけどなあ」
「鋭イデスナ、御主人様」
ジェロームがビシッと僕を指差した。
「私ガ街ニ下リテ聞キ込ミヲ続ケタトコロ、アノ場所ヲりぞーとトスル計画ガアルト聞キマシタ。……近年、べるしっぷハせれぶ層ノ保養地トシテ人気ナノダソウデス。特ニ景色ノヨイ場所ガ好マレルヨウデスナ」
「あー。景色だけはいいよね、あの土地」
「私ノ勘デスガ、りっくノ土地ダケデナク山ノ中腹一帯ヲりぞーとトスル気デハナイカト」
「アッ、ソコカラハ私ニ報告サセテクダサイ」
今度はジャックが手を挙げ、立ち上がった
「私ハ役所ニ、りっく家ノ土地ノ権利ヲ確認ニ行キマシタ。念ノタメ、アノ中腹ノ土地全テノ権利者モ調ベタノデスガ……」
ジャックが上半身を前に倒し、皆の顔を見回す。
「他ノ土地モ居住者ト別ノ名前デ権利申請サレテイマシタ。山ノ中腹ノ土地、全テデス。コレラハマダ審査中デ、正式ニ決マッテイマセン」
「ふむ。……それらもジャスティス不動産が関与してる可能性が高いね」
僕がそう言うと、ドミニクがガンッ!と壁を殴った。
「可能性!?間違イネエヨ、アノ連中ノヤリソウナコッタ!」
「ドミニクとマリウスにはジャスティス不動産について調べてもらってたね。じゃ、ドミニク」
「オウヨ!」
ドミニクは膝を叩いて立ち上がった。
「じゃすてぃす不動産ノ前身ハBBさーびすッテ地上ゲ屋ダ。札付キノ悪ダッタ現社長ガ、ちんぴら仲間ヲ集メテ立チ上ゲタタラシイ。土地ノタメナラ脅迫モ暴行モ厭ワネエ、酷エ連中ダ」
マリウスが宙に向かって口を開け、笑う。
「カ、カ、カツテノ俺達ミテエダ!ウシャシャシャ!」
「兄貴、茶々入レネエデクレヨ!」
「しかしそんな連中のこと、街の人がよく話してくれたねえ。怖がりそうなものなのに」
「イヤ、話シテクレナカッタゾ?聞キ込ミシヨウトシテモ、じゃすてぃす不動産ノ名ガ出ルト蜘蛛ノ子散ラスヨウニ逃ゲヤガル」
「ん?じゃあどうやって聞き込みしたのさ」
「ソリャア、俺ッチガ捕マエテ羽交イ締メニシテ、兄貴ガ〈大食らい〉デ――」
僕は慌てて手で制した。
「――待った。その先は聞かなかったことにする。……それで?」
「ドウモコノ社長、成リ上ガッテせれぶニナリテエッテ願望ガアルヨウデナ。会社名ヲじゃすてぃす不動産ニ変エ、表向キ悪サヲシナクナッタ。くりーんナいめーじデ金持チ相手ノ商売ニ切リ換エタヨウダ」
僕はため息をついた。
「……裏でやってることは変わらないのにねえ」
「アノ、チョット疑問ガ」
ジャックが小さく手を挙げる。
「権利書ガアルノダカラ、じゃすてぃす不動産ガ直接追イ出セバイイノニ。ひずノ役割ッテナンナンデスカネ?」
「それは……」
僕が考えあぐねていると、ジェロームがボソリと呟いた。
「緩衝材、デショウナ」
「緩衝材?」
「高額ノ別荘ヲ金持チニ売ルワケデスカラ、傷ガアッテハイケナイ。無理矢理地上ゲシタナドト、アラヌ噂ヲ立テラレテハ困ルノデショウ」
「それはある噂だけどね」
ジェロームは頷きつつ、続けた。
「地上ゲハアクマデひずノ行動デ、じゃすてぃす不動産ハひずカラ買イ取ッタダケ。ソウ主張デキルワケデス」
「なるほど……となると、もうヒズはベルシップにはいないか」
「オソラク。ひずトイウ名モ実名デハナイデショウ。見ツケルノハ困難カト」
リックが悲痛な声で言った。
「そんな!じゃあどうすればいいの?どうすればいいのさ!?」
「ううむ……」
ヒズを見つけるのは難しい。
仮に見つけたところで詐欺を立証できるかどうか、わからない。
最終手段の買い戻す手も、二千万となると無理だ。
他に方法はないものか……。
皆も押し黙り、考えを巡らせている。
「コリャア、じゃすてぃす不動産ヲ潰スシカネエナ!」
「出入リカ?出入リカ?ウリィィィー!」
「……ドミニク、煽るようなこと言わないで。マリウスも、いちいち大食らいを抜かない」
僕はドミニクとマリウスから目を離し、宙を漂うルーシーに視線を移した。難しい話が退屈だったのだろう、居眠りしながらふよふよと浮いている。
漂うルーシーをぼんやりと目で追う。
そのとき。
ふと、妙案が浮かんだ。
ただの思いつきだ。
だが、あらぬ噂、ルーシー、それにゴーストシップ……いくつかの要素が、パズルピースのようにピタリ、ピタリとはまっていく。
「目には目を、か」
僕はそう呟き、リックを見た。
彼も僕の視線に気づき、僕を不思議そうに見つめる。
「……リック。イシュキーヴで君に『人を騙すのはよくない』って教えたけど」
「うん?……うん、覚えてるよ」
「あれ、しばらくの間忘れてくれない?」
「へっ?」
そして僕はその場にいる全員を見回した。
「僕に考えがある」





