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「ルーシー、肩に!」
「ん!」
マストのてっぺんに留まって推移を眺めていたルーシーが、ふよふよ下りてくる。
「では、黒猫団!僕が合図したら、息を合わせて同時に漕ぐんだ!一漕ぎだけでいい!息を合わせることが最優先!」
「「ウーイ!」」
迫り来る幽霊船、ろくに説明もせず命令する僕。
しかし黒猫団は僕を疑いもせず、櫂を高く掲げて動きを止めた。
それを見届けた僕は、甲板に手を置き魔力を練った。
「「『フロート』!!」」
船体が僅かに浮かび、浮遊感が体を襲う。
そして、すかさず合図する。
「いくぞ!せーのっ!」
「「ヨイショー!」」
黒猫団が一斉にに櫂を漕ぐ。
重力の枷が外れた指図船は、肉薄する幽霊船を一瞬で引き離した。
「は、速いぃぃ!」
船縁にしがみつくカシムが声を裏返らせる。
「待テヤ!待テコラァァァ……」
叫ぶシトラの声が、遥か後方に霞んでいく。
一帯を包んでいた紫色の霧も抜け、指図船は砂海を高速で滑る。
「ヒイッ、ヒイイッ」
「わー!びゅーん!」
「コリャイイゼ!」
前方の景色が視界の端へ吹っ飛んでいく。
尋常ではない速度だ。
「御主人様モオ人ガ悪イ。何故、コンナ方策ヲ隠シテイタノデ?」
「じぇろーむ。奥ノ手ハ隠シテオクモノダ」
「……ッ!確カニ、まりうすサン。考エガ至リマセンデシタ」
「最後ノ最後マデ隠シ、使イドコロナラバ臆サズ使ウ。サスガハ我ラノ主ヨ」
「エエ、実ニ。ヨイ主人ニ仕エルコトガデキ、我々ハ幸セデスナ」
マリウスとジェロームの間で僕の評価がうなぎ登りだが、もちろんそんな理由で使わなかったわけじゃない。
単純にリスクを鑑みてのことだ。
最大のリスクは転覆の可能性。
最初の一漕ぎの瞬間が一番危ういが、それは黒猫団の連係の良さで乗り切った。
しかしもう一つ、憂慮すべき問題がある。
激しい風に靡く髪を押さえ、カシムが僕に言う。
「ノエル!もう十分引き離しましたから止まりましょう!」
「そう、それなんだよ」
「は?」
「僕の意思じゃ止まれないんだよねえ」
カシムはあんぐりと口を開けた。
「はあっ?……黒猫団に櫂でブレーキを――」
「それは危ない!今、この船はとても不安定な状態なんだ。下手に櫂を入れたら転覆どころか吹っ飛ぶかもしれない」
「じゃあ、どうするつもりなんです!?」
「障害物にぶつけるとか」
「はああ?ふざけているのですかっ!」
船縁を伝ってにじり寄ってくるカシムを、僕は両手で押し止めた。
「まあまあ、落ち着いて。『フロート』には効果時間があるんだ。指図船の大きさなら、じきに効果切れになると思う」
「なんだ、それを早く言ってくださいよ……」
「ごめん、ごめん――」
「――ノエル!話が違いますよっ!」
あれからどれくらい経っただろうか。
指図船は快調に――いや、快調すぎる速度で砂海を行く。
『フロート』の効果が切れる気配はまったくない。
「おかしいなぁ……合唱したのが不味かったかなぁ」
指図船の大きさからいって、合唱しとかないと効果時間内に逃げ切れるか不安だったのだ。単独でこまめに『フロート』をかけ直す手もあるにはあるが、それではかけ直す度に転覆のリスクを負わねばならない。
間違った判断ではなかったと思うのだが、ここまで効果時間が長くなるとは夢にも思わなかった。
「あっ、みてみて!きらきら~!こんどは、かいぞくせんかなぁ」
ルーシーが彼女の特等席となったマストのてっぺんから、大きな声で前方を指差した。
「ダカラ縁起デモナイコトヲ言ワナイデクダサイ、るーしー!」
ジャックが頭上を見上げ、不満げに言った。
やがて、甲板にいる僕達にも「きらきら」が見えてくる。
「ナンダ、アリャ?」
「確かにキラキラしてるね」
「うーん、また幽霊船は勘弁願いたいのですが」
しかし、「きらきら」は幽霊船でも海賊船でもないようだ。輝きを増し、左右に広がってゆく。
「これは、もしかして……街の灯り?」
僕はそう漏らしつつ、カシムを見た。
カシムは星を見上げ、視線を前方に戻す。
「間違いありません。イシュキーヴの街です」
カシムは、震える声でそう言った。
船上は一瞬静まり、そるからワッ!と沸いた。
「ヤッタ、ヤッタ!」
「やっと着いたね、カシム」
僕とジャックがカシムの肩を叩くと、彼は目の端を拭い、何度も頷く。
だが急に、ハッとした顔で固まった。
「イシュキーヴは砂海ギリギリにある街です。そのため、砂海沿いには石造りの高い防砂壁があると聞きます……」
カシムの顔が青ざめていく。
「このままでは、正面衝突して木っ端微塵です!」
船上に再び、静寂が流れる。
僕は言い訳するように、カシムに言った。
「えっとさ、ぶつけるって言ったけど、正面衝突するわけじゃないんだ。過去の経験からいけば、障害物の壁面を滑って、そのまま宙に浮き上がって、それから落ちて止まるわけ」
「……それって急な斜面を猛スピードで飛び出すような?」
「そうそう、そんな感じ!」
「それでは、正面衝突と大差ないじゃないですか!」
「うう、そうかもしれないけど……」
カシムに怒られシュンとする僕に、ジェロームが言った。
「御主人様ノコト。マタ良キ策ガオアリナノデハ?」
「……ないこともないけど」
「っ!あるなら早く言ってください、ノエル!」
「言ってもいいけど……カシム、怒らない?」
「この非常時に何を!……っ、怒りませんから言ってください!」
「わかった。策ってほどじゃないけど……」
そこから僕は説明を始めた。
それは衝突ギリギリのタイミングで個人個人に『フロート』をかけて、各々砂海へ飛び込むというものだ。
「ううむ……それしかない、か」
カシムが唸る。
正直僕だって、『フロート』の対策が『フロート』というのはどうなのかと思う。
「ナンダカ『ふろーと』ッテ使エバ使ウホド窮地ニナッテクヨウナ……」
「ソウ言ウナ、じゃっく。奥ノ手トイウノハソウイウモノダ」
マリウスがそう言うと、ジェロームもうんうんと頷く。
「ソウナンデスカネ……」
「ノエル、ギリギリまで待つ理由は?」
「『フロート』状態で移動するのって難しいんだよね。ものすごく滑る氷の上みたいな感じ。効果時間のことも考えると、沖で飛び込むのはよくない。できるだけ陸に近いほうがいい」
泳ぐことができない砂海の上で『フロート』切れが起きたら。悲惨な結果になるのは目に見えている。
「なるほど。手順はどうします?」
「ギリギリまで待つ以上、ゆっくり『フロート』はかけてられない。僕とルーシーで連続で唱えることになるね。僕、ルーシー、僕、ルーシー、で最後に僕かな」
「……ん?ルーシーちゃんは必要ないとして、一人ぶん足りなくないですか?」
カシムの指摘に、ジャックがクスクス笑う。
「ヤダナァ、のえるサン。自分ヲ入レ忘レテマスヨ?」
「いや。入れてないのは君だ、ジャック」
ジャックは「ヘッ?」と言ったまま固まり、それから僕にすがりついてきた。
「サッキノコトハ謝ッタジャナイデスカー!」
「いや、そうじゃなくて――」
「――ドウカ見捨テナイデェェ!!」
「ジャック!」
僕はジャックの両肩甲骨を持ち、彼を引き離した。
「君にはメタリックがある」
「……アッ」
「砂海に飛び込まなくていいぶん、一番安全なのは君なんだよ」
ジャックは甲板に腰を下ろし、こくんと頷いた。
「ノエル、もうそろそろ」
カシムの声に焦りが混じる。
前方を見ると、街の灯りに砂浜、それから横一列に続く防砂壁が視界に映った。
「壁、レイロアのより高いな……」
「ええ、明らかに」
「……よし、始めるよ!」
船上が緊張感に包まれる。
手順自体は難しくない。
僕が触れたら、それを合図に砂海へ飛び込む。
僕とルーシーは触れた瞬間に『フロート』を唱える。
それだけだ。
飛び込む順番は、ジェローム、マリウス、ドミニク、カシム、僕の順。
砂海上での移動距離を考え、運動神経良さそうな人から並べてみた。
「『フロート』!」「『ふろーと』!」「『フロート』!」
黒猫団の三人が次々に飛び込む。
「どうしたの、カシム!さあ、さあ!」
「ううっ……行くぞっ!」
「『ふろーと』!」
カシムが飛び込んだのを見届け、僕は船縁に立つ。
泳ぐことを許さない砂海に、この速度。
正直、怖い。
僕は覚悟を決めるため、迫り来る防砂壁を見た。
「とりゃっ!『フロート』!」
砂海に落ち、転がる。
だが、痛みはない。
スライムの上で跳ねているような、妙な気持ち良ささえある。
僕は最初から二足歩行を諦め、蛙が泳ぐような姿勢で移動を始めた。意外とすぐに安定してきたので、指図船の行方を目で追う。
指図船は、ちょうど防砂壁に接触するところだった。
指図船は防砂壁を駆け上がり、弧を描いて宙に飛び立つ。
イシュキーヴの夜空に指図船が舞った。





