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僕達が視線を向ける先。
その遥か前方に、月明かりを拒む暗い空が見えてきた。
あれは砂嵐か、はたまた雷雲か。
だが、強風の音も雷鳴の轟きも聞こえてこない。
近づくにつれ、それは砂海上に浮かぶ紫色の霧の塊であることがわかってきた。
「なんだ、あれ……」
「不気味ですね……」
「コノママダト突ッ込ンジマウゾ?」
ドミニクの言葉に、ハッと我に返ったカシムが船尾へと走る。
「舵が!?……くっ!」
カシムは右へ左へと舵を切る。船の向きこそ変わるが、進行方向自体は全く変わらない。船は進行方向に斜めに傾いたまま、霧のほうへと流されていく。
霧は次第に濃くなり、辺りが暗くなっていく。
僕は思わず口を押さえた。
霧の毒性を疑ってのことだが、特に体に異常はない。色以外は普通の霧のようだ。
「歌モ近ヅイテマスナ……」
ジェロームがぼそりと嫌なことを言う。
その後も船は進んでいき、ついには四方を紫の霧に覆われてしまった。
僕達は無言で警戒する中、船は目的地でもあるかのように先へ先へと進む。
そして。
前方に大きな影がぼんやりと見えてきた。
「これは……島……いや、船?」
僕の呻くような問いに、カシムが答える。
「いや、船では……こんな大船はそれこそ定期船でもないと……」
「でも実際大きいし、船っぽいよ?」
するとジャックがカシムの肩を軽い調子で叩く。
「ナンダ、かしむサン。定期船再開シテルジャナイデスカ。向コウニ乗セテモライマス?」
「いや、そんなはずは……それに、様子がおかしいです」
カシムの言う「様子のおかしさ」は、近づくほどに「明らかな異常さ」へと変化していった。
三本のマストは傾き、一本は途中からへし折れている。そこにかかる帆はボロボロだ。
船体はところどころに穴があき、揺れる度に悲鳴のような軋み音を上げている。
この距離になると、僕の耳にもはっきりと聞こえる。
確かに歌だ。
悲しみ。痛み。嘆き。
負の感情が交差する、心をかき乱すような響き。
それも、大勢で声を合わせて歌っている。
僕は生唾を飲み、大船を鑑定してみた。
「種族ゴーストシップ。名前付き。【諦めきれないロクポンシャー】。あの船自体がモンスター、か」
「……ロクポンシャー!?」
カシムが目を見開いて僕の顔を見る。
「う、うん……それが?」
「今回砂海を渡るにあたって、昔の新聞記事や記録などを調べたのですが……最後の航海で定期船が行方不明になったと言いましたよね?その船名がロクポンシャーだったかと」
そこまで言って、カシムは再度大船に目を向けた。
「見つからないはずだ。五十年、砂海をさ迷っていたのか」
ルーシーがふよふよっと下りてきて、カシムに尋ねる。
「あれ、かいぞくせんなの?」
「……いいえ、幽霊船です。航海から帰れなかった者達のなれの果て。不運にも出会ってしまえば、彼らと共に永遠に海原をさ迷うことなるといいます」
「ヒィィッ!」「こわいよう!」
幽霊船の恐怖に怯えるジャックとルーシーが、ヒシッと抱き合った。
「僕は君らのその反応にも慣れてきたよ……」
「ソンナコト言ッテル場合デスカ、のえるサン!早クニゲマショウヨッ!」
今度は僕にすがりつくジャック。
そこにドミニクが、櫂を手に口を挟む。
「無理ダゼ、じゃっく。舵ガキカネエシ、流レモ強エ。俺ッチニモ止メランネエ」
「ソ、ソンナ……」
僕達の心情とは裏腹に、指図船は真っ直ぐに幽霊船へと向かう。
幽霊船の船首には白い女神像が掲げられていて、その目元から風雨に晒された跡なのか、涙のように黒く汚れている。
女神像の嘆きを代弁するように歌うのは、どうも大量のスケルトンとゴーストのようだ。
霧に紛れて見えなかったが、ここまで近寄ると無数のゴーストがマストの辺りを飛び交っているのがわかる。スケルトン達は船縁に頭蓋骨を並べ、恨めしそうにこちらを見下ろしている。
スケルトンもゴーストも皆、一様に顎が外れそうなほど口を開け、歌っている。いや……嘆いている?
「……殺ルカ?」
「オウ!皆殺シダゼ、兄貴!」
「二人共オ待チクダサイ。皆殺シトイッテモ相手ハあんでっど。御主人様頼リニナリマス」
ジェロームの言葉を受け、カシムが僕に尋ねる。
「どうにかできますか、ノエル?」
「黒猫団の武器に『ホーリーウェポン』は使いたくないんだよね。自爆が怖いから。ターンアンデッドも、あの数は無理だ」
「わかりました」
そう言って、カシムは砂海に目を凝らした。
「……海流は幽霊船の後ろに向かって流れているようです。このまま隠れてやり過ごしましょう。脇をすり抜けてしまえば、向こうは小回りが利かない。逃げ切れるはずです」
ジェロームも頷く。
「現状デハ上策カト」
僕は頷き、皆に指示した。
「よし、隠れよう」
皆が一斉に船体に伏せる。
やがて幽霊船が目前に迫り、不快な歌声が大きくなる。
ただ、じっと待つ。
この時間が長い。
僕が焦りを募らせる中、同じく焦れたのかジャックが顔の上半分だけ船縁から出した。
恐る恐る幽霊船を盗み見ている。
そして……あろうことか幽霊船に向けて手を振った。
僕は小声に怒気をはらませ、ジャックを注意する。
「ちょっとジャック!何してるの!」
「メ、目ガ合ッテシマッテ。手ヲ振ラレタノデ、ツイ……」
「あほかっ!」
「ジャックのあほー!」
僕からは見えないが、船上の様子が変わったように感じた。どうすべきかカシムとアイコンタクトを交わしていると、ジェロームが囁いた。
「御主人様達ハ船倉ヘ。私達デドウニカ致シマス」
「どうにかって……」
「我々ダケナラ遭難シタ不幸ナ船ニ見エルハズデス」
「っ!なるほど……」
そしてジェロームは黒猫団とルーシーを見回した。
「ヨイデスカ、皆様。今カラ我々ハ、タダノ死者デス。奴ラガ話シカケテキテモ、黙シテ語ラズ死者ラシク。勘付カレテハナリマセン」
「うーい!」
「ハァ。ヤレヤレダゼ」
「ソウ言ウナどみにく。おーなーノタメダ。俺達ノ死人ップリヲ見セテヤロウ」
「死ンダフリナラ、オ任セヲッ!」
頼もしい死者達の声を聞き、僕とカシムは狭い船倉へと入った。
その船倉への出入り口を塞ぐように、黒猫団がフードを脱いだ状態で横たわる。
これならただの死体だと思ってくれるだろう。
ルーシーは甲板にゴロンと横たわり、ぽかーんとした顔で固まっている。
ルーシーまで死んだふりをする必要があるのだろうか?……まあ、いいか。
やがて、指図船は幽霊船の真横にさしかかった。
大音量の歌声の中、じっと身を潜める。
甲板のわずかな板のわずかな隙間から外を覗くと、幽霊船からも、ものすごい数の視線を感じた。
そのとき。
幽霊船の甲板から、ひらりと舞い降りる一つの影。
その影が軽やかに指図船の甲板に着地すると、歌声が一斉に静まった。
それはドレス姿のスケルトンだった。
一瞬、ヒューゴと共にいたロザリーを思い出す。
だが、違う。
ロザリーは新品のドレス姿。
こちらは色褪せてボロボロのドレス姿だ。
「初メマシテ今晩ハ。私ハれでぃ・しとら。今宵ハトッテモイイ夜ネ?」
そう言って、そのスケルトンはドレスの裾を広げて会釈する。
もちろん、誰も答えない。
カシムが僕にだけ聞こえる声で耳打ちする。
「……レディ・シトラ。定期船行方不明の記録に、その名がありました。かつての大富豪ゴーリ家の一人娘です」
シトラは顎骨に人差し指を当て、小首を傾げた。
「アラッ?オ仲間カモト思ッタノダケレド。死ンデルダケ?あんでっどハイナイノカシラ?」
そうして、黒猫団を一人一人見て回る。
「あんでっどニ見エルノダケレド。精神ガ崩壊シチャッタノカシラ?……コチラノ大キナ御仁ハドウカシラ?」
コツ、コツと甲板にヒールの足音だけが響く。
「オ嬢チャンモ精神ヤラレチャッタ?」
シトラはルーシーの顔の間近に頭蓋骨を寄せるが、ルーシーはぽかーんとしたまま動かない。
役者だな、ルーシー。
シトラは肩を竦め、幽霊船のほうへ歩き出した。
そのまま甲板を後にするかと思われたが、ピタリと足を止めた。それは、ジャックの真横だった。
「……アナタ。今、動イタ?」
ビクン、と肩が跳ねるジャック。
彼はおっかなびっくりシトラを見上げ、それからプルプルと首を横に振った。
「ウフフ、ヤアッパリ。アナタ自我ガアルジャナイ」
ジャックはシトラに無理矢理上半身を起こされ、甲板に正座した。
「オ名前ハ?」
「じ、じゃっくト申シマスゥ~」
声を裏返らせながら答えるジャック。
不味いな、ルーシーがニヤニヤしてる。
「フゥン、じゃっく君ッテ言ウノネ?……アナタモ遭難シチャッタノ?」
「チ、違イマスン!」
「ン~?ドッチナノォ?」
ジャックはどう答えるのが正解か、迷っているようだ。
「エエト……ウッカリ遭難シチャイマシタッ!テヘッ!」
「アラァ、カワイソウニ……。私達ト同ジネ」
シトラは同情するようにジャックの肩を擦る。
それからシトラは、遠い昔に思いを馳せるように中空を見上げた。
「私達モ遭難シタノ。ソレカラ、ズットズット航海シテイルノ。……ナノニ。帰レナイ帰レナイ帰レナイ帰リタイ帰レナイ……」
シトラの頭蓋骨がガクンガクン揺れる。
「ヒッ!ヒィィッ!!」
ジャックは正座したまま、後ろにのけ反った。
シトラは壊れたオルゴールのように、あるいは狂気状態のマリウスのように同じ言葉を繰り返していたが、急に動きを止めた。
視線だけがゆっくりとジャックに向かう。
「アナタモ私達ノ船ニ移ラナイ?」
「遠慮シマス!許シテクダサイィィ!!」
ジャックはのけ反った状態で両手を重ね、懇願した。
「ソウ……残念ダワ。デモ仕方ナイワネ。無理強イハデキナイモノ」
ジャックは頭蓋骨をぶんぶんと縦に振る。
シトラはもう一度優雅に会釈し、そのまま指図船を去るかと思われた。
だが、ふいに何か思い出したように手を打った。
「ソウソウ、忘レテタワ!……じゃっく君。コノ船、人ガ乗ッテナァイ?」
ジャックだけに見えるように、ジェロームが首を振る。
(乗ってないって言って!)
僕も言葉にこそ出せないが、必死に念じる。
それが通じたのか、ジャックは精一杯とぼけた。
「サ、サア。気ノセイデハナイデスカネ」
「オカシイワネ。確カニ人ノ気配ガシタト思ッタノダケレド……」
「カ、カ、勘違イデスヨ」
そう言って、わざとらしく口笛を吹く仕草をする。
「ンー、勘違イカァ」
シトラはジャックに背を向けた。
それを見て、胸を撫で下ろすジャック。
だが、シトラはその場で背骨をぐうんと反らし、逆さまの頭蓋骨がジャックの眼前に降ってきた。
それも、鼻があったら触れるほど近くに。
「ネェ、じゃっくクゥゥン。ヤッパリ、人ガ、乗ッテナァイ?」
「ヒイイ!乗ッテマスゥー!」
「おいっ!」
僕はつい、ツッコんでしまった。





