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翌朝。
我が家のリビングには、僕とカシムに加え「ぼうけん!ぼうけん!」と肩の上で興奮するルーシー、そして揃いの〈黒猫団団員マント〉を着用したスケルトンズ改め、黒猫団がいた。
「じゃあ『テレポート』の詠唱に入るからね。僕の傍から離れて置き去りにならないように気をつけて」
「「ウーイ」」「うーい!」
僕が詠唱を始めると、カシムが落ち着きなく体を揺らした。
「ああ、これから転移するのですね!嬉しいなあ!……何だか緊張してきました。あの、ノエル。トイレ行く暇ありますか?」
僕は詠唱しながら「早く行け」と目で伝えた。
小走りにトイレへ向かうカシムを見送り、再度集中を高める。
転移魔法は集中が大事。
失敗したら大事だ。
視点を定め呪文を紡いでいると、ジャックが自分のマントのホコリをパタパタ払っているのが視界の端に入ってきた。まだ汚れてなんかいないだろうに……よっぽど嬉しいんだな。
「ソウイエバ……まりうすサン。じるサンニ貰ッタまんとハイイノデスカ?じるサン、気ヲ悪クシマセンカ?」
するとマリウスは優しげに微笑んだ。
……ん?マリウスが優し、げ?
「俺ハ気ニシナイシ、じるモソンナ小サイコトニコダワル女デハナイヨ。ソレニ、コレヲ着ルノハ〈黒猫団〉トシテ働ク間ダケ。コノ旅ガ終ワレバ、マタじるノまんとヲ着ルサ」
そう言って、またも優しげに微笑むマリウス。
ジャックはあんぐりと顎骨を落としてマリウスを見つめていた。やがてガタガタと震えだし、僕の胸ぐらに掴みかかってきた。
「の、の、のえるサン!まりうすサンガゴ乱心デスッ!!」
わかってる。
僕だって動揺してる。
でも今は、お願いだから揺らさないで。
「乱心トハ酷イナ、じゃっく。ハッハッハ」
爽やかに笑うマリウスに、ジャックの僕を揺らす力が更に強まった。
「笑イ方マデオカシクナッテマスゥー!!」
揺ーらーさーなーいーでー!
僕は呪文を噛まないように必死に詠唱していると、ジャックの肩にポンと大きな手が置かれた。
ドミニクだ。
「心配スルナ、じゃっく。兄貴ハ年ニ一度カ二度クライ、狂気ガ抜ケテコウナルンダ。スグ元ニ戻ル」
「……ソウナンデスカ?トイウコトハ今ノまりうすサンガ、生前ノまりうすサンニ近イノデショウカ?」
「タブン、ナ」
そうなのか……いけない、また別のこと考えてる。
集中、集中……。
あれ、詠唱を一文飛ばした気がする……。
いや、いやいや!大丈夫だ。
頭に浮かぶ詠唱文をそのまま発声してるだけだから、飛ばすなんてことはないはず。
……ないよ、ね?
「ねえねえ、ノエルぅ。ルーシーも黒いやつほしい!」
ちょっと待ってね、ルーシー。今忙しいから。
「ねえ~、ノ~エ~ルぅ~!」
ルーシーが肩の上で暴れ始める。
やめて、気が散るから……もう散りまくってるけど。
「御主人様。かしむ殿ガ遅イヨウデスガ」
そうだった!
ジェローム、呼びに行ってきて!
そうジェロームに目で訴えていると、バタバタとカシムが戻ってきた。
「いやあ、寒くなってきたせいかトイレが近くて……間に合いました?」
まだここにいるんだから間に合ってるよ!
一旦詠唱中断したいところだけど、転移魔法を中断すると何が起きるかわからない。
仕方ない、行けっ!
「『テレポート!』」
我が家のリビングが茶色と緑の大地へと入れ換わっていく。
転移が終わると、目の前には見覚えのある街並みがあった。
振り向くと、大きな大きな河。
偉大なるヴァーノン河だ。
……成功か。
「ちょっと君達、そこに座りなさい。……カシムも」
皆は戸惑っていたが、僕の顔を見て本気だと察し、地面に正座した。
ルーシーも僕の肩の上で正座するという器用なことをしている。
「『テレポート』や『リープ』みたいな転移魔法を使うときは静かに!って、前にも言ったよね?」
「スイマセン……」
「悪カッタ、おーなー」
「スマネエ」
「申シ訳アリマセン、御主人様」
「ごめんなさーい」
「よくわかりませんが、何だかすいません……」
皆の反省の弁を聞き、立つように言う。
「転移事故なんて起きたら一巻の終わりなんだから、気をつけてよね?」
「「ウーイ」」
「うーい!」
「あ、そうだ。忘れないうちに……〈黒猫団〉、フード装着!」
「「ウーイ!!」」
スケルトンズが一斉にフードを被ると、そこに人間の顔が現れた。ルーシーがそれを見て、うらやましそうに指を咥える。
四人が人に化けたのを確認し、僕達は門に向かって歩き出した。
「おお、ほんとにヴァーノニアだ……すごい、すごいですよノエル!」
街を見て興奮気味のカシム。
「ああ、私にも『テレポート』があれば……行商が捗るなんてもんじゃないですよ!ノエル、この旅が終わったら一緒に商売しませんか?」
「考えておくよ」
僕は苦笑いを浮かべながら門をくぐった。
最近、『テレポート』を依頼してくる人が多くなってきた。
ドラゴンゾンビ騒動のときに『テレポート』で避難させた住人達から広まったらしい。あのときは口止めする余裕がなかったから、それは仕方ないことなのだが。
問題は、『テレポート』を「どこへでも一瞬で行ける夢のような魔法」だと認識している人が多いことだ。僕が行った場所、それも印象に残っている街などにしか転移できないのに。
面倒なので基本断るようにしているのだが、それでも知り合いなんかは、
「たまには海の魚を食べたいニャ」
とか、
「東方へ里帰りしたいでゴザル!ノエル殿の秘術でパパッと!ほれ、パパッと!!」
とか、
「焼き串の本場に行きたいよー!ジュルリ」
とか軽々しく頼んでくるので困ってしまう。
「ノエル、あれ!あれ、なあに?」
肩の上からルーシーが指差したのは、街のいたるところで見る、馬くらいの大きさの鳥だ。
荷物を背負っていたり、人が乗っていたりしている。
気性は大人しいようで、寝ぼけているような半開きの目が愛らしい。
「あれは……なんていうんだったっけ、カシム?」
「ラスカーですね。砂漠地帯では人や荷物の運搬に欠かせない家畜です。飛行こそできませんが、強靭な脚力による踏破力は馬をも凌ぎます」
「ほほう……ラスカーっていうんだってさ、ルーシー」
「らすかー!」
ルーシーが目を輝かせてラスカーを見つめる。
「我々も砂漠越えに必要です。ノエルと私のぶんで二頭ほどレンタルする予定です」
カシムの言葉に、ルーシーは更に目をキラキラさせた。
「らすかーに、のれるの!?」
「ルーシーちゃんは……ラスカーに乗ったノエルに乗れますね」
「やったあ!」
ルーシーは手足をバタつかせて喜んだ。
「僕も乗り物扱いか……」
ふと、黒猫団が気になり振り向いた。
よく知っている四人の顔が、何だか見慣れなくて妙な感じだ。
ドミニクは顎のがっしりした戦士のような、マリウスは色気さえ感じる端正な顔立ちの、ジェロームは灰色の髭と髪を整えた中年の、人間の顔をしていた。
ジャックは取り立てて特徴のない、二十代中頃の青年だ。
揃いの黒マントは怪しくはあるが、怪しい人間にしか見えない。
通りすぎて行く人達も、チラッとは見るが特別怪しむ素振りはない。
これは使えるな。
「おい、待て」
前方から声がかかる。
後ろを振り向いている間にトラブルでもあったのかと、カシムの顔を見る。しかし、カシムもわけがわからないといった顔だ。
使えると思った矢先に見破られたのか?
僕は手信号で指示を出し、黒猫団を僕とカシムの後ろに潜ませた。
声をかけてきたのは見るからに冒険者然とした男。
「なんでしょう?」
「お前、レイロアのノエルだな?」
「……そうですが。あなたは?用件は何でしょう?」
こちらに覚えはないのに向こうは名前まで知っている。不穏な空気に逃げ出すべきか迷っていると、男は返事の代わりに「おーい!こっちだ!」と大きな声を上げた。
その声に、辺りからぞろぞろと冒険者が集まってくる。僕達は二十人ばかりの冒険者に囲まれ、逃げ出す隙間もなくなった。
声をかけてきた男が、もう一度尋ねてくる。
「司祭ノエルで間違いないな?」
「……ええ、そうです」
「姉御――ヴァーノニアのギルドマスターがお呼びだ。ついてこい」
「ナスターシャさんが!?」
僕がそう言うと、周りの冒険者は一斉に凄んだ。
「あぁん!?」「ゴルァ、ぶちのめすぞ!?」「てめぇ、誰の許可を得てその名を口にしてんだぁ?」「おるぅあ?」
いつ殴りかかってきてもおかしくない雰囲気に、僕は慌てて訂正した。
「え、と……ヴァーノニアのギルドマスターが?」
「……そうだ。余り馴れ馴れしく呼ばんほうがいい。……ついてこい」





