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「ごめん、よく知らないんだけどさ。どうして砂漠を越えたいのかな?」
僕が行ったことのある場所の最南端がヴァーノニア。その南にある砂漠のことも、その先のこともまるで知らない。砂漠越えと聞いたところで、正直「ふーん。で?」といった心境だ。
「砂漠を挟んでヴァーノニアと南北対になる場所に、商人の街イシュキーヴがあります。商人にとってはヴァーノニアとイシュキーヴ間の交易で儲けることが砂漠越えの最大の理由となるでしょう」
「商人ノ街……商人バッカリ住ンデルノデスカ?」
ジャックの問いにカシムが苦笑する。
「ばっかり、ってことはないですが、商人が数多くいる街です。キャラバンロードの南端に位置し、更に南には港町ベルシップがあります。東西にも大きな街道が通り、多種多様な品物が集まる土地なのです」
「ふーむ。命の危険があったのにまた挑戦するんだから、よっぽど儲かるんだね」
「ええ、それはもう!難しいからこそ価値があるのです!初めて砂漠を越えた商人は、砂漠を一往復しただけでひと財産築いたと言われています!」
そこまで話して、カシムは急に口を噤んだ。
「……しかし、私は今回の砂漠越えで儲けるつもりはありません。商う品も持っていかないつもりです」
「えっ、どうして?」
「砂漠越えが頓挫したとき、気づいてしまったのです。荷を失い儲けが吹っ飛んだことよりも、イシュキーヴに辿り着けなかったことに落胆している自分に。私は儲け目的で挑戦したいのではない。商人の街と言われるイシュキーヴをこの目で見たいのだと。一人の商人として、イシュキーヴで己を試したいのだと」
カシムの両手に力がこもる。
「困難な道のりの先にある、未だ見ぬ景色。そこで待つ強力な敵達。存在するかもわからないお宝。私にとってイシュキーヴは、冒険者にとってのダンジョンに等しいのです!」
カシムは熱のこもった言葉を吐き出し終えると、お茶を一気に飲み干した。
その様子を見届けたジャックが、小刻みに震えだした。
「……イイジャナイデスカ、砂漠越エ!ナンダカ、イカニモ冒険ッテ感ジガシマス!」
ジャックが震えながら中空を見上げる。
「吹キ荒レル砂嵐……初メテノ街……偶然知リ合ッタ踊リ子トノろまんす……胸ガ高鳴リマス!」
「胸が高鳴ってるのは、最後のロマンスの部分だけだろ?」
僕が茶化すように言うと、ジャックはムッとした顔になった。
「ソンナコトナイデス!……前ニたるたろす公ガ語ッテタ冒険ッテ、行ッタコトノナイ場所ヘ行ッタリ、見タコトノナイ物ヲ見タリ。ソウイウ未知ノ旅ナンデスヨ」
「あー。……なるほど」
ジャックにとって心の師匠である、スケルトンのタルタロス公爵。
彼がジャックに語って聞かせたという旅の記憶は、その身一つで各地を流れ様々な体験をする、これぞ冒険!といえるものだった。
それはレイロアに居を構える僕には、なかなかできない冒険だ。
未知への旅か。
僕はカシムやジャックの熱気に当てられて、自分の体温が上がっていくように感じた。
「でもさ、何故僕なの?例えば、お金を払って他のキャラバンに同行させてもらってもいいんじゃないの?」
「それはできません。今、砂漠を越えるキャラバンは一つもありませんので」
僕はジャックと顔を見合わせた。
「ン?何故デス?」
「どういうこと?」
「その理由は、私が砂漠越えに失敗した理由でもあります。……砂海はご存知ですか?」
「サカイ、デスカ?」
「ええ。砂の海です」
「砂ノ……海?」
ジャックが首を捻る。
僕は席を立ち、本棚から一冊の雑誌を取って席に戻った。
「待って。確か、この雑誌のコラムで見たような……あった、これだ」
――やあ、久しぶり。
世界の旅人、ペルパローマだよ。
今日紹介する難所はドーツ砂漠の砂海だ。
皆はさ、砂の海って聞いてどう思う?
詩的な表現かなにかだと思ってない?
違うんだな、これが(笑)。
そこの砂は常に流れていて、波打っていて、循環している。
それはまさに、砂をたたえた海そのものさ。
広さはそうだな……そこらの湖よりは大きいね。なにせ、ドーツ砂漠の南半分はほぼ、この砂海だからね。
僕は初めて砂海を見たときピンときたよ。
「これは普通の砂とは違う。きっと泳げる!」ってね。
そして迷わず飛び込んだ。
……いやあ、死ぬかと思ったよ(苦笑)。
相棒のゾルノが助けてくれなかったら、間違いなく死んでたね。
だが飛び込んだからこそ、わかったこともあった。
やはり、砂海の砂は普通の砂とは違っていたんだ。
なめらかで、軽くて。
加えて、砂同士が引き合っているようだったね。
普通の砂と違うという僕の直感は、正しかったと言える。
……まあ、泳げなかったんだけどね(笑)。
もし近くに行くなら、是非一度見ておくべきだ。
君にとって初めての景色であることは、この僕が保証しよう。
出典 旅人ペルパローマが選ぶ世界の難所二十選
僕は一面の砂が波打つ光景を想像し、胸を踊らせた。
そもそも海というものさえ見たことない僕なので、想像している光景が正しいものかはわからない。
だがこの筆者が言うように、僕にとって初めての景色であることは間違いないだろう。
「……砂の海か、凄いな。カシムはこれを渡ろうとしたんだねえ」
カシムはこくりと頷いた。
「砂海を渡るルートが一つだけ、ありまして。波打つ砂海の中から普通の砂丘が突き出ているところがあって、その尾根を歩いてイシュキーヴまで行けるのです。しかし……」
そこでカシムは言葉を切り、ふうっと大きく息を吐いた。
「砂海は何十年かに一度、水の海と同じように満ち引きするのです。尾根を進んでいた私達は、危うく満ちてきた砂海に飲まれるところでした」
「うええ。それで命があって儲け物、なんて言ってたんだね」
「ええ、あのときは本当に危なかった……私達は荷を捨てて引き返しました。尾根を抜けて振り返ったときにはもう、陸路は存在しませんでした。道が姿を現すのは、また何十年か後でしょう」
「そっか。道がないならキャラバンもないわけだ……んんっ?じゃあ、どうやって砂漠を越えるつもりなの?」
するとカシムはニヤリと笑った。
「そりゃあ、船で渡るのですよ」
「船!?」
「道がないなら砂海の上を行ってしまおう、というわけです」
突然、ジャックがすっくと立ち上がった。
「止メマショウ、のえるサン。大変危険デス」
ジャックは、珍しく真剣な顔でカシムを見つめた。
「かしむサン。ソンナ思イツキノヨウナぷらんデウマクイクノデスカ?」
「むっ。思いつきというわけではないですよ、ジャック君。私なりに熟慮して――」
「シカシ、私ニハ思イツキノヨウニシカ聞コエマセンネエ。危険ナノハ明白デス」
「そりゃ危険がないとは言いません。ですが、冒険とは危険を孕むものです。……どうしたのです、ジャック君?先程まではあんなに乗り気だったのに」
「私ニトッテ、のえるサンノ命ガ最優先デス。度ヲ越シテ危険ナ冒険ハ認メラレマセン」
「君がノエルの身を案じるのはわかるのですが……ううむ」
ジャックは全く譲る気配がない。
それにしても……どうもジャックの態度がおかしい。
僕の命を最優先に考えてくれるのは素直に嬉しいのだが、さっきまではあんなにノリノリだったのだ。それが船と聞いてから突然否定的になった。いや、砂海と聞いてからか?……これはもしや。
「……ジャック。もしかして単純に海が嫌なんじゃない?」
「ぎく」
「船から落ちたらどうしよう、なんて思ったとか?」
「ぎくぎく」
ジャックは急に挙動不審になり、やがて力なく椅子に腰を下ろした。
「そういうことでしたか」
カシムが少し呆れたようにため息をついた。
「ダッテ!私ハ皆サント違ッテ、泳ゲマセンモン!落チタラおだぶつデスヨ!?絶対ニ嫌デスッ!!」
そしてテーブルに突っ伏し、オイオイ泣きまねを始めた。
すると今度はカシムがキリッとした真剣な顔で言う。
「ジャック君、それは違います」
「……ナニガ違ウノデス?」
ジャックがわずかに顔を上げ、カシムを見る。
「砂海は文字通り砂の海です。先程の雑誌にあったように、人間だって泳げません」
「……余計だめジャナイデスカー!!」
ジャックは再びテーブルに突っ伏した。





