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ハルヴァーから事情を聞き終えた僕は、未だ横になったままの王子様に声をかけた。
「ジェド、起きてるよね?話がある」
するとジェドの肩がビクン、と跳ねた。
話の後半から、彼の寝息は聞こえなくなっていた。寝たふりをしながら、聞き耳を立てていたのだろう。
ジェドは仕方なさそうに体を起こし、こちらを向いた。
「……何だよ、話って」
「僕は『リープ』という迷宮脱出の魔法が使える。それで今すぐ、ダンジョンから出ようと思う。ハルヴァーも、いいね?」
ハルヴァーは一瞬驚いたあと、大きく頷いた。
だが、ジェドは納得しない。
「はあっ!?試験は!試験どうすんだよ!」
「もう、そんな状況じゃない。パーティがバラバラなんだよ?君を地上に送って、急いで残り二人を捜さなきゃいけない」
「っ、そんなの!デイジーとワンダを捜してから、宝箱探しに戻ればいいだろっ!」
「いや、ギルドの手を借りた方が早い。君をギルドに送って、ついでに試験を降りると伝える。そうすれば協力してもらえるはずだ」
ハルヴァーは「なるほど」と言いながら、しきりに頷く。しかし、ジェドはなおも食い下がった。
「俺は試験に合格したいんだ!お前だって試験に合格しなきゃ困るだろ!」
そう言われても僕はジェドほど合格したいわけではないし、そもそも……。
そう考えて、僕はハルヴァーの方を向いた。
「ハルヴァー、僕の護衛の報酬って知ってる?」
ハルヴァーはハッとした顔で僕を見た。
「そういえば。私が要請したのに報酬を求められなかったな……ギルドが支払うのか?」
「うん。試験合格という報酬をね」
「はっ?」
ポカンとした顔で僕を見るハルヴァー。ジェドも同じ表情だ。
「僕は裏依頼という特殊な依頼を受けた。その報酬は試験合格。危険だと判断してジェドを連れて脱出すれば、僕は試験合格なんだ」
「……何だよその依頼!自分だけ……汚えぞ!」
ジェドが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ま、ふざけた依頼だよね。でも、こんな依頼が成り立つのは君の立場によるものだ。ギルドの名において行われるこの試験中に、君の身に何かあったら。それはレイロアと聖王国の外交問題になってしまう」
「うぐっ……だからって」
「とにかく、君の身の安全が第一。それはハルヴァーだけじゃなく僕も、そしてギルドも同じ。君さえダンジョンから出てくれたら事は上手く運ぶんだ」
僕の説明を聞いたジェドは、
「ここでも邪魔者扱いかよ……」
と呟いて、力なく項垂れた。
その姿に、少しだけ可哀想な気もした。
だが彼を励ますのは地上でもできる。
ジェドの沈黙を了承と捉え、僕とジャック、ハルヴァーは脱出の準備を始めた。
そして『リープ』の詠唱を始めようか、そう思ったとき。
「……ダメだ!ダメだダメだ!やっぱりダメだ!」
ジェドはそう叫び、激しく頭を振った。
ハルヴァーがジェドの背中に手を回し、たしなめるように言う。
「ジェド様。これ以上、我が儘を言うものではありませぬ」
しかしジェドはその手を振り払い、大声で言った。
「俺は【王家の誇り】のリーダーだぞ?仲間を見捨てて脱出なんてできない!」
「っ!ジェド様!?」
ジェドの言葉に驚き、うろたえるハルヴァー。
驚いたのは僕もだ。
それは、今まで見てきたジェドがおよそ言いそうな言葉ではなかったから。
しかしジャックだけは表情を変えず、冷たく言い放った。
「私ヤのえるサンハ見捨テタクセニ?」
「うっ……それは」
ジェドは一瞬言葉に詰まったが、絞り出すように弁解を始めた。
「別にお前が……ジャックが、どうなってもいいとか考えてたわけじゃないんだ。下の階に落ちるだけなら、スケルトンだから大丈夫だな、と思って。後で下の階で拾えばいい、そのくらいのつもりだった」
ジェドの言葉に、怯えの色が混じる。
「だから、司祭……ノエルが飛び込んだときはビビった。ノエルが沈んで、怖くなった。下の階に回って、そこに死体があったらなんて思うと。もう、そっちには行けなかった」
そっか。
僕達を見捨てたというより、怖くて確認できなかったのか。
「……アナタニ何ガデキルノデスカ?」
「えっ」
「アナタガ残ルコトニ意味ハアルノカ、ト聞イテイルノデスヨ。何カアッタラ、マタ怖クナッテ逃ゲ出スノデハ?」
「そっ、それは」
ジェドは口を結んで下を向いた。
それにしても、静かに問い詰めるジャックは迫力満点だ。それだけ沼に落とされたことを怒っているのだろう。
……実行犯のデイジーとワンダに対しては感触しか覚えてなさそうなのに。
「……何もできないかも。でも」
下を向いたまま、ジェドが呟くように言う。
「……ノエルやジャックを見捨てて、頭ぐちゃぐちゃになりながら宝箱探して。……でも、その最中もノエルとジャックが沼に沈む姿が頭から離れなくて」
ジェドは顔を上げ、ジャックを真っ正面から見た。
「もう、あんな思いは嫌なんだ!危険でも!何もできなくても!捜さなきゃいけないんだ!!」
半ば絶叫するように言うジェド。
するとハルヴァーの大きな体が小刻みに震えだした。
「ご立派です、ジェド様!」
ハルヴァーはそう言って目の端を拭い、僕とジャック体を向けた。
「私からも頼む!どうかジェド様とともに、二人を探させてくれ!」
深々と頭を下げるハルヴァー。
彼に続き、ぎこちなく頭を下げるジェド。
僕は迷った。
ジェドの行動を思い返せば、すんなりと受け入れることはできない。ハルヴァーだって、ジェドに対して甘過ぎる気がする。
だが一方で、彼の言葉自体は悪くなかったとも思う。
「ジャック、君に任せる」
僕はジャックに判断を任せた。
ジャックは尚もジェドの下げた頭を冷たく睨んでいたが、やがて仕方なさそうに肩を竦めた。
「ハア。コレ以上ハ、私ガ悪者ニナリソウデス」
「……わかった。ジェドも連れてく」
「本当か!ありがとう!」
そう言ってジェドが差し出してきた手を、僕は一旦拒否した。
「ただし。試験は降りてもらう。飲めないなら君をロープで縛ってでも脱出する」
一瞬、躊躇したジェドだったが、すぐに頷いた。
「良かった。改めてよろしく」
今度は僕の方から手を伸ばし、ジェドの手を握った。
そんな僕とジェドを見ながら、ジャックがふと疑問を呟いた。
「トコロデ【王家の誇り】ッテ?」
「そういや、そんなこと言ってたね」
するとジェドが少し恥ずかしそうに言った。
「……俺達のパーティ名だよ」
「ウワァ、王族丸出シ」
「ほっといてくれ!」
ジャックとジェドの掛け合いに、僕は少しホッとした。それはハルヴァーも同じようで、くだらない言い合いをする二人を穏やかな目で眺めていた。
「それで。これからどうする、ノエル殿?」
ハルヴァーの問いに、予定を練り直す。
「どちらにしても一旦『リープ』でギルドに……それもジェドを地上に送らないとなると、二度手間なんだよなあ」
僕が頭を悩ませていると、人の気配を感じた。
遠くに話し声がする。
声の方に目を向けていると、やがて歩いてくる集団が視界に入った。
ジャックやハルヴァーもそれに気づき、遅れてジェドも視線を向ける。
相手は六人。
男ばかりのようだ。
こちらへ気づき、真っ直ぐ向かってくる。
この休憩ポイントで休むつもりだろうか?
近づくにつれ、彼らの様子がわかってきた。
髪から髭までボサボサに伸ばしっぱなしだったり、骸骨柄の眼帯をしていたり、下卑た笑みを浮かべていたり。怪しげなズタ袋を背負った大男までいる。
一言で表すなら、柄が悪い。
全員が僕達より年上だが、年齢層に幅がある。
二十代半ばから四十代くらいまで。
身につける装備品はジェド達のものほど高級品ではないが、使い込まれたしっかりしたものだ。
こういう類いのベテラン冒険者は、ある意味モンスターよりたちが悪い。
だが……んんっ?
「ジェド様、お下がりを」
ハルヴァーは、緊張した声色でジェドに指示する。
ジェドは一瞬躊躇ったが、素直にハルヴァーの後ろへと下がった。
先頭を歩く男が、ギラついた目で僕達を観察する。
前髪が後退し横髪は伸ばしっぱなしのその男は、大胆に距離を詰めてきた。
「いい装備だな?置いてけ」
男は端的に目的を告げ、僕達を見据える。
ハルヴァーがこっそりと僕に耳打ちした。
「こやつらできる。すぐ『リープ』とやらの準備を」
しかし僕はそれに答えず、つい心の声の方が漏れてしまった。
「うーん、ナイスタイミング」





