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「待て、二人とも」
立ち去ろうとする僕とカインさんを、ギルマスが止めた。
「ここはもういい。お前達はレイロアに戻れ」
「……いいのですか?僕、『テレポート』ありますよ?避難のお手伝いできると思いますが」
僕の返事に、ギルマスは苦笑いを浮かべた。
「それは忘れちゃいないさ。だがな。そんな疲れた顔した奴に、何度も転移魔法を使わせるわけにはいかんよ」
そんなに疲れた顔をしていたか?僕は自分の頬をペシッと叩いた。
対してカインさんはぽつりと呟く。
「……お言葉に甘えるか、な」
「やけに素直だな、カイン?お前は残ると言い張りそうな気がしてたが」
ギルマスがからかうように言うと、カインさんは大きなため息をついた。
「はあ……疲れてんだよ、わかるだろ。もう、『フレイムタン』さえ使えない」
「ふっ、それは相当だな……エレノア、お前も帰って休め。ネクロマンサーと戦ったのはお前も同じだ」
しかしエレノアさんは顔を紅潮させて反論した。
「お断りします!ギルドマスターが残られるのであれば、私も残ります!私はサブマスターですから!!」
「わかった。わかったから、そんな大声を出すな」
ギルマスはエレノアさんをやんわりと窘め、僕達に向き直った。
「明日は住民達をレイロアへ避難させる予定だ。お前達はゆっくり休んでおけ」
「ギルドにはいつ顔出せばいい?」
「そうだな、明後日の昼にしてくれ……あと『テレポート』で帰るなら、ジゼル殿とテオドール殿も誘ってみてくれ……まあ、断るかもしれんが」
「だろうな。まあ、誘ってみる」
僕とカインさんは【天駆ける剣】や大鷲騎士に別れの挨拶をして回った。
ジゼルさんにレイロアで休まないかと誘ってみたが、やはり断られた。
ジゼルさんは、任務中に団員と離れて休むことはできないのだ、と申し訳なさそうに言った。
待たせていたジャックと合流し、レイロアへと『テレポート』する。
深夜のレイロアの街は静まり返っていた。
キャンプの賑やかさの中に居たせいで、余計にそう感じるのかもしれない。
「ふああ……くたびれた。じゃあなノエル、ジャック」
大きく伸びをしたカインさんは、歩き出そうとしてふと、足を止めた。
「そうだ、これを持ってけ」
カインさんは、端が焦げ、全体が煤で汚れた本を差し出した。
「これ、なんです?」
「馬車の残骸の中にあった、ヒューゴの持ち物だ。俺は途中で読むのを止めた。あとはお前が読んどいてくれ」
「はあ」
カインさんは背中越しに手を振りながら、夜のレイロアに消えていった。
僕は真っ直ぐ自宅に帰り、寝室に入る。
ジャックも疲れたのか、早々に自分の部屋へと入っていった。
ベッドに寝転び、カインさんにもらった物をカバンから取り出す。
表面の煤を拭ってみると、それは年季の入った厚いノートだった。
「これは……日記か」
僕はランプの灯りを頼りに、日記を読み始めた。
日付は二十三年前から始まっている。
――聖王歴822年 三靴の月 17日
故郷を出て、遥々レイロアへ
長年の夢である冒険者になるためだ
胸が弾む
蝶立の月 2日
僕は冒険者になれないらしい
白髭のギルドマスターに直接告げられた
ネクロマンサー風情に籍を置かせるつもりはないと
何故だ
何故こんな仕打ちを受けねばならない
蝶立の月 3日
ギルドからまとまったお金を貰った
別の仕事につくための支度金らしい
正直助かる
だが、心は晴れない
蝶立の月 15日
故郷に帰ってきた
周りの目が痛い
冒険者になると大見得切って
一月もせず戻ったのだから仕方ないか
大樹の月 6日
実家も居心地が悪く納屋へ住まいを移す
変わらず接してくれるのは
幼なじみのロザリーだけ
ドジ加減も相変わらずだが
それさえ愛おしく感じる
竜背の月 23日
故郷を去ることにした
僕がネクロマンサーだと噂になったからだ
流れの冒険者が僕の顔を覚えていたらしい
冒険者が憎い
月影の月 7日
旅路の途中、馬小屋の角を借りて寝る
隣にはロザリーの寝顔
こんな僕を追ってきたのだ
彼女だけは守らなければ
聖王歴823年 篝火の月 15日
長閑な農村に着いた
支度金をはたいて小さな家と畑を買った
住む場所が定まり
ようやく落ち着く
金枝の月 25日
畑仕事から戻ると何やら騒がしい
僕達の家が燃えていた
ロザリーと抱き合って
ただ焼け落ちるのを眺めた
金枝の月 26日
火事の原因は付け火
犯人はわからない
隣人が僕の似顔絵を持っていた
僕の素性がバレていたと知る
似顔絵は冒険者ギルドがばらまいているらしい
何故ほっといてくれない
僕はお前達に何かしたか
剣臥の月 8日
ロザリーは体が強くない
旅芸人のような暮らしにずいぶんと痩せた
どこか根を下ろせる場所はないか
僕のことを知る人間がいない場所
新天地、西方だ
聖王歴824年 三靴の月 13日
今までに増して過酷な旅
荒れ地ばかりが続く
この地に人が住めるのか
聖王歴825年 蝶立の月 1日
旅路の果てに小さな村に辿り着く
村人は僕達を温かく迎えてくれた
西方の暮らしは厳しい
だが村人は優しく僕の素性を知らない
僕とロザリーにとっては天国だ
星踊の月 19日
ロザリーの体調が悪い
遠く隣村まで出向き医者に見せる
医者は妊娠の兆候だという
守るべきものが増えた
腹が大きくなる前に
ドレスだけでも着せてやりたい
竜背の月 23日
ロザリーが辛そうだ
つわりかと思ったが体に黒いアザ
村人にも同じ症状の人がいる
死神病というらしい
どうすれば
竜背の月 24日
村人が喜んでいる
高名な僧侶が来てくれたとのこと
死神病を治せるらしい
僧侶は妙な眼鏡をかけていた
竜背の月 25日
治療の魔法は日に三回が限度のようだ
夕方、ようやくロザリーの番がきた
だが僧侶は僕の顔を見るなり言った
ネクロマンサーの妻を助けるつもりはない、と
竜背の月 26日
何故バレた?
治療の順番を早めたい村人の告げ口か?
いや村人は知らないはずだ
僧侶が僕の似顔絵を持っていたのか?
わからない、わからない
ロザリーの体が黒く染まっていく
竜背の月 27日
ロザリーが死んだ
竜背の月 28日
再び僧侶がやってきた
死人に罪はないから葬式だけは挙げてやるとのこと
こいつはいったい何を言ってる?
初めて死霊術を使った
竜背の月 29日
昨晩は素晴らしい夜だった
疑わしい者は全て殺せば良かったのだ
黒い衣を脱ぎ捨てた真っ白なロザリーは
とてもとても美しかった
月影の月 1日
高台でロザリーと抱き合って震えている
あの家が燃えたときと同じように
腐臭を放つ何かが津波のように村を飲み込んだ
怖ろしく巨大な魔物が遠くを通り過ぎていく
しかし何故だろう
この光景を美しく感じる
例えようもなく美しい――
日記はここで途絶えていた。
僕は眠れなくなった。





