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土煙のほぼ真上にさしかかる。
見下ろすと、はっきりと土煙だけが見える。
それを確認したジゼルさんが、手綱を持ったまま素早く魔力を練った。
「瞞す者よ、正体を現せ!『トゥルーカラーズ』!」
詠唱とともに、土煙に対し手をかざす。
すると土煙を上げて移動していた何かが、はっきりとその姿を現した。
それは二台の馬車だった。
両方とも四頭引きの大きな馬車だ。
先頭の一台は幌つきの馬車。
幌は御者台の上まで張り出し、御者は見えない。
続く馬車は荷台が剥き出しの馬車だ。
御者台にはフードを被った二人の人影が見える。
二台目の剥き出しの荷台には、何か大きな動物が太い杭を打たれて拘束されている。あれは……。
僕は荷台の動物を鑑定した。
種族ドラゴンパピーゾンビ
「ドラゴンパピーのゾンビですっ!おそらく後ろのドラゴンゾンビの子!」
ジゼルさんの手綱を持つ手が震える。
「子をエサに……なんと下劣な!」
「カインさん達を呼びます!」
「頼む!」
僕は右手を真っ直ぐ上に伸ばし、『サンライト』を唱えた。僕の右手が激しく発光する。
やがて合図に気づいたカインさん達の乗るヒッポグリフが、すぐ横までやって来た。
「ジャック君の予想、当たりましたね」
エレノアさんは荷台のドラゴンパピーを不愉快そうに見ながらも、ジャックを褒めた。
「当たりも当たり、大当たりだろう」
そう言うカインさんも、眉間に皺を刻んでいる。
「大当たり?」
エレノアさんが問うと、カインさんは顎をしゃくった。
「馬車を引く馬を見ろ。馬鎧なんて着けてるからわかりにくいが、あれはスケルトンホースだ」
エレノアさんは身を乗り出して、馬を観察した。
「ああ、確かに!スケルトンホースをあの数用意できるのは……」
「ネクロマンサーだな」
そういえば、ネクロマンサーではないか、とはっきり口に出したのもジャックだった。
これはもしや【ジャッ休さん】効果か?……いや、きっと偶然だろう。
「どうする?アラン殿に報告するか!?」
「それがいいと思います!」
ジゼルさんの提案にエレノアさんが賛同する。
が、カインさんは。
「馬鹿を言うな!もうじき夜になる!見失ったらどうする!」
そしてテオドールさんの脇から手を入れ、手綱を掴んだ。
「ひと当てせねば敵のことなどわからん!ギルマスには、狼煙を上げて伝えれば文句はなかろう?そうら、行くぞっ!」
「うおおっ!止めてくだされ、カイン殿っ!危ないいいぃぃ!」
「きゃあああぁぁ!」
言うが早いか、テオドールさんとエレノアさんの悲鳴を響かせながらヒッポグリフは急降下していった。
相変わらずの即断即決、即実行。
カインさんを除いた【天駆ける剣】の日頃の苦労が窺える。
「ああ、もう!何なのだ彼は!」
「追いましょう、ジゼルさん!一騎で行かせちゃいけない!」
「んっ、うむ!」
そしてジゼルさんも手綱を大きく動かした。
意図を的確に理解し、急降下するヒッポグリフ。
「うわあっ!」
「ヒィッ!ヒィィー!」
「きゃあー!」
すぐに僕達三人も悲鳴を上げることになった。
ルーシーだけは喜色の混じった悲鳴だったが。
重力より速く落ちる最中、先に馬車近くに到達したテオドールさんのヒッポグリフから、一人飛び降りるのが見えた。
カインさんだ。
落下しつつ剣を抜き、その剣が激しい炎に包まれた。
そして、落下の勢いそのままに先頭の馬車へと炎剣を振り下ろす。
ドゴンッ!と凄まじい衝突音とともに爆炎が上がり、馬車は大破した。
幌つきの荷台は無惨に四散し、スケルトンホースも巻き込んで、あっという間に燃え上がった。
炎は夕闇迫る大地を明々と照らし、白い煙が立ち昇った。
そうか、これが狼煙。
「離れて降りるぞ!」
僕達の乗るヒッポグリフは降下速度を緩め、燃える馬車の少し後ろに着地した。テオドールさんのヒッポグリフも同じように着地している。
僕達を降ろすと、二頭のヒッポグリフは空へと退避していった。
ドラゴンパピーを積んだ馬車は、燃える馬車より先の方で停車して、こちらを窺っているようだ。
「……どこにいった?」
炎の中でカインさんが呟く。
離れている僕達でも熱を感じるその中を、平然と歩いている。
その姿は、まるで炎の魔人のようにも見えた。
「っ!カインさん、火傷の治療をしますからこっちへ!」
僕が叫ぶとカインさんは一瞬ぽかんとし、呆れたように笑った。
「魔剣士は得意属性に耐性があるんだよ。でなきゃ、【炎剣】なんて持てまい?」
「あ……そうでしたか」
言われてみれば、その通りだ。
「まったく、無茶をして」
「悪い、悪い」
ジゼルさんの言葉に謝りつつも、やはり悪びれる様子のないカインさん。
馬車の残骸を蹴飛ばしたり、ひっくり返したりしながら馬車に乗っていた誰かを捜す。
やがて破片が重なった場所へと歩き、一番上にあった燃える車輪を手で掴み、放り投げた。
その瞬間。
カインさんはビクッと体を震わせ、その場所から飛び退いた。
離れている僕達にも伝わってくる、不快極まりない気配。突如、空気が死臭を含んだような感覚に陥り、肌が粟立つ。
「いやあ、酷い目に遭った。酷いね、ほんと」
破片の中から、服をはたきながら男が立ち上がった。
四、五十歳くらいだろうか。
痩身、丸眼鏡、茶髪の刈り上げ。
顔はげっそりとしていて、顔色も悪い。
眼鏡の奥の瞳だけが爛々と光っている。
服装は黒一色……というか喪服か?
見た目は葬式帰りの冴えない中年男性にしか見えない。
それなのに……この気配。
こいつは本当に人間なのか!?
僕は空気に飲まれかけ、慌てて首を振る。
そして男を鑑定した。
「対象ネクロマンサー!【破滅主義者ヒューゴ】!」
カインさんが舌打ちする。
「チッ、こりゃあレベル高えな……ギルドマスターよりだいぶ上か」
出てきた男は僕達を気にする様子もなく、何かを探している。
「ロザリー、どこだい?……よかった、無事か」
そう言うと、ヒューゴは破片の中から何かを引っ張り出した。
それは一体の奇妙なスケルトンだった。
いかにも高価そうな白いドレスを着用し、頭には宝石が散りばめられたティアラ。
化粧までしているように見える。
「ドレスも……破れてないね?よかった。あ、彼女は私の妻、ロザリーです。よしなに」
紹介されたロザリーは、お辞儀をするためか慌てて立ち上がろうとして、再び破片に突っ込んだ。
どうやらドレスの裾を踏んでしまったようだ。
「ああ、ロザリー!君はドジなんだから慌ててはだめだよ!……おっと僕の自己紹介がまだだったね。いけない、いけない」
ヒューゴはロザリーを立たせてそのドレスの汚れをはたくと、こちらに向き直った。
「初めまして、ヒューゴです。では、さようなら」
言うなり、尋常ではない魔力が膨らむ。
「っ!ルーシー!」
「ん!」
僕は自分でも驚くほど、迅速に魔力を練った。
「「その言葉に音はなく、その歌声に響きなし。静寂よ、在れ!『サイレンス』!!」」
僕とルーシーの合唱魔法に、ヒューゴは目を丸くした。だがすぐに、申し訳なさそうに微笑んだ。
「抵抗されたかっ!」
「むー!」
悔しがる僕に、カインさんの指示が飛ぶ。
「ノエル、その手の魔法は止めとけ!レベルが違いすぎる!効きやしない!」
「っ、はい!」
ヒューゴは微笑みつつ、詠唱を始めた。
「有象無象の亡者ども!ただ圧し、ただ砕き、ただ潰せ!『スケルトンタイド』!」
ヒューゴの前の空間がぐにゃりと捻れ、そこから白い洪水が押し寄せてきた。
「うおっ!?」
「骨!?スケルトンの洪水!?」
「くあっ、何なのだこの数は!」
数百、あるいは千を越える骨の群れが殺到してくる。
骨の奔流はあっという間に辺りを白く染め、スケルトン一体一体が怖ろしい形相で僕達へ手を伸ばす。
「ジャック、もっと近くに!これは本当にわからなくなる!」
「ハイッ!」
骨の洪水に飲み込まれた僕達は、必死にもがく。
たかだか名前付きでもない普通のスケルトン。だがその数、その圧力に、僕だけでなくカインさん達も身動きが取れない。
「のえるサン、たーんあんでっどハ!?」
「無理だよ、この状況じゃ!」
ターンアンデッドを行うには、集中して祈りを捧げる必要がある。加えてある程度の時間も必要だ。
今はどちらの条件も満たせない。
「さあ先を急ぎましょうか、ロザリー」
見れば、いそいそともう一台の馬車へ歩いていくヒューゴとロザリーの姿があった。
「なっ!?こっちよりレベル高いくせに、逃げるつもりか?」
骨の洪水に溺れながら、カインさんは驚きを隠せない。
「あしらわれているんだよ、我々は!」
どうにか剣を抜きスケルトンを押しやるジゼルさんが、忌ま忌ましそうに吐き捨てる。
そのとき。
骨の流れの一部が、一瞬にして吹き飛んだ。
バラバラと降り落ちる骨の破片の中、吹き飛ばした張本人が怒りの声を響かせた。
「……馬鹿にしてええええ!!」
眼鏡を外したエレノアさんだった。





