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肩の上のルーシーが、満面の笑顔で僕を見る。
「ノエル!あれ、ジャックだよ!」
「ごほっ、げほっ……わがってる」
僕は吹き出したお茶を払い、お婆さんに詫びた。
「ずいまぜん、待ち人が来だようです」
「あんれ、まあ。あれがかい」
「はい、あれです。あ、お茶、とても美味しかったです」
「おうおう。気をつけて行けよ?」
「はい!」
手を振るお婆さんを背中に、僕はハーピー目指して走り出した。
ハーピーはジャックが重いらしく、フラフラと上下左右に揺れながら山の奥へと飛んでいく。
「ノエルー、はやく、はやく!」
「わかってる!」
ルーシーに頭をポカポカ叩かれながら、全速力で山奥への道を走る。
「ふう、はあ」
「はやくしないとジャック行っちゃう!」
ルーシーの言う通り、上空を移動するハーピーが段々と小さくなっていく。
不味い。
自他ともに認める、体力のない僕。
相手は空を飛ぶモンスター。
走っているのは傾斜のある山道。
どう考えても、このままでは追いつかない。
「ぜえっ、ルーシー……ふうっ、『バレット』を!」
「ん、わかった!」
ルーシーは僕の頭から両手を離し、指先をハーピーに向けた。
「『ばれっと』!『ばれっと』!」
魔法の弾丸がハーピー目掛け放たれる。が、かすりもしない。
走る僕の上では、狙いが付けづらいようだ。
「『ばれっと』!んー!当たんないよう」
ハーピーは攻撃されていることに気づいたようで、高度を下げて山肌や木の影に隠れるように飛びはじめた。
「ぜえっ、ぜえっ……どこいった?」
「んー……あそこ!」
ルーシーが指差した岩影から、フラフラ飛ぶハーピーの影が見えた。
更に距離が開いている。
このままでは見失ってしまう、そう思った矢先。
ハーピーは鉤爪で掴んでいた獲物を、ポロッと落とした。
「あー!ジャックおちちゃった!」
「はぁはぁ。落ちるとき銀色に見えた。きっと、メタリックモードになったんだ」
メタリックモードの特徴は、その堅牢さだけではない。かつてメタリックマタンゴの死骸を運ぶのに苦労したように、うまく掴めなくなるのだ。
ハーピーが高度を下げたのを見て、ジャックが自分から落ちたのだろう。
獲物を落としてしまったハーピーは、慌てて降下していく。
「ようし、もうひと踏ん張り!」
「ふんばり!」
ジャックが落ちた場所へ向かって山道をひた走る。
途中、息が切れて何度か立ち止まったが、やっとのことで落下地点そばまでやって来た。
「この下か……」
山道の横は急勾配の斜面になっている。
茂みがあって見通せないが、その茂みに枝折れがところどころあった。
斜面に対し四つん這いになり、足の方からそろそろと降りていく。大きな岩や茂みを避けながら降りたので、かなり時間がかかった。
やっと山肌に光る銀色の物体を見つけたときには、辺りは薄暗くなっていた。
「ギイィーッ、ギィッ、ギーッ!」
メタリックモードのままのジャック。
その体をどうにか掴もうと、ハーピーは悪戦苦闘している。まだ、諦めきれないようだ。
「雷よ、走れ!『ライトニング』!」
「ギャンッ!?」
僕の手のひらから、閃光と共に稲妻が走る。
雷に体を貫かれたハーピーは、フラッと傾いたかと思うと、そのまま斜面を転がり落ちていった。
「はぁ、よかった……ふぅ」
「ジャックぅー!」
その場に座りこんだ僕の肩から、ルーシーがふよふよと飛んでいった。
「……」
メタリックモードを解いたジャック。
彼は僕ともルーシーとも目を合わせない。
「……帰リマセンヨ」
まとわりつくルーシーに構うことなく、ジャックはボソリと呟いた。
「ジャック……」
「私、帰リマセンカラ!」
ジャックは乱暴に立ち上がると、すぐさま斜面を登り始めた。
「待ってよジャック。謝らせてよ」
「マタ口ダケデショウ!?ゴメン、ゴメンッテ!」
振り返りもせずに言い放つジャック。
僕は追いかけることができなかった。
疲れきっていたこともあるが、何より気力が湧かなかった。
行ってしまうのか、ジャック?
「ジャック!にげちゃダメー!」
「オフッ、チョットるーしー!」
頭蓋骨にまとわりついてジャックの邪魔をするルーシー。ジャックはルーシーを引き剥がそうともがくが、相手は実体のないゴースト。
もがいているうちに足をもつれさせ、元の位置まで転げ落ちてきた。
「ヘグゥ」
ジャックは、でんぐり返しの途中みたいな憐れな格好で静止した。ルーシーは、そのジャックの顔に上から覆いかぶさるようにして叫ぶ。
「いえではダメなの!かぞくは家にかえってこなくちゃダメなのー!!」
「る、るーしー……」
ルーシーの悲痛な叫びに、ジャックは気づいたようだ。彼女の生い立ち、いや、死因に。
「ジャック、ごめん」
僕は座ったまま、頭を下げた。
「……私ハ戻リマセンヨ」
「ジャックのばかー!あほー!ほねー!」
「イヤ、ソリャ骨デスケドネ」
「付き合うよ」
「ハイ?」
「〈二つ名学入門〉の著者に会いにいくんだろ?一緒に行くよ」
ジャックは僕の顔をまじまじと見つめ、それからスクッと立ち上がった。
「ジャック!」
「……夜ノ山道ハ危険デス。夜目ノ利ク私ヤるーしーハトモカク、のえるサンハ移動シナイ方ガイイ」
「そんな……僕も行くよ!」
「ココデ夜ヲ明カスベキダト言ッテイルノデス。薪ヲ拾ッテキマス」
そう言うとジャックは薄暗い中、茂みに入っていった。
「……ジャックいなくならない?」
ルーシーが心配そうに尋ねてくる。
「あの感じなら、いなくならないんじゃないかな」
「そっかあ。よかったー!」
「うん……ほんと良かった」
ホッと息をつき空を見上げると、気の早い星々が優しく瞬いていた。





